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楢木範行年譜30 柳田国男から楢木範行への書簡① 【柳田国男没後60年記念】

満を持して、柳田国男没後60年記念ということで、柳田国男から楢木範行に宛てられた書簡を紹介する。

楢木範行と柳田国男の交流がいつから始まったかは不明である。
楢木範行が全国的な民俗関係雑誌に投稿するのは、昭和3年7月の『民俗芸術』である。おそらくこれは大学時代の恩師である折口信夫からの執筆依頼だったと思われる。その後、4回同誌へ投稿し、昭和4年7月に『旅と伝説』に投稿している。投稿記事などに柳田が目を通していたはずで、その流れで柳田は楢木のことを認識はしていたであろう。昭和4年10月には『民俗学』に投稿し、その後も『旅と伝説』『民俗学』には度々投稿している。

楢木範行への柳田国男の書簡は、昭和10年2月からのものが残されているが、その他の研究者からの書簡は昭和11年からである。ここでは、昭和11年までの書簡を紹介するが、まだ筆耕できていないが、公開して、皆様からのアドバイスもいただきたい。

①昭和10年2月12日 柳田国男→楢木範行

漸く春に相成候、御左右
如何、此度ハ又々結構なる
菓子御送り被下、何とも恐入候、
早速拝味久しぶりにて
うれしク御礼申上候 
        二月十一日
是は小宅より五六町はなれたる
村の初卯の祭に候

続いて残されている書簡は、民間伝承の会からのものである。柳田国男との関係を探る上で重要と思われるので、ここで紹介する。

②昭和10年10月12日 民間伝承の会→楢木範行

前略 西澤要次氏へは趣意書送っ
て置きました。又先日御送り下さった
神戸の後藤宗弘氏には會報を、又
■田信義氏には趣意書を御送り
しました。玉稿も順次會報に掲載して
行くやうに話し合って居ります。今こちらにも
趣意書なくなって仕舞いましたが、■印刷
出来たら御送り致しませう。 敬具

民間伝承の会の会誌『民間伝承』に楢木が寄稿するのは、昭和10年10月『民間伝承1-2』の「会員通信ー闇夜のいはれ」からである。おそらくこの原稿についての連絡であろう。柳田から届くのは、年末である。

③昭和10年12月15日 柳田国男→楢木範行

「島」合本ハ永井君ニ御借被成候間、
漁村語彙御不揃ひの抜
刷五十八と数部御送申候、他ハ
必ず読む人々へ御分配被下度候、
交通史料参考等ハ本などある
筈なし、小生ノートもう少し整
理したら、八月にかけてよろしく候を■ひへ
の事実を集めるのたから骨折給い可申候
十二月十四日

永井龍一とは、すでに鹿児島で柳田国男とともに交流してしている。送付物が「必ず読む人へ」渡るようにと無駄の無いよう配慮している点が興味深い。
 翌年の年賀状は遺されていないが、翌年には民間伝承の会の関係で連絡を取っている。

④昭和11年1月31日 柳田国男→楢木範行

地名の研究の一部あま
って居たから差し上げます
金は民間傳承の会の会
費にあてました、この会々員
に勧誘すべき人、他の縣のもあ
らば御一報を乞ふ 一月三十一日

この後、昭和11年4月に鹿児島へ柳田国男は、大間知篤三、最上孝敬らとともに調査に訪れている。この内容については別途下記に触れているので、御参照いただきたい。

まだ、整理が付いていないが、以下に昭和11年末までの書簡を紹介する。

⑤昭和11年4月9日 柳田国男→楢木範行

飫肥様の
小包拝受居候 是の正月
十五日のハラメン棒の飾りハ
削りかけになつて居るとハ
□□し存候ハバ
かゝりよくハ参り候ハバ抑自分ハ
         十八日□□□
此月二十七八日頃御県ハ今日
可申候 所在ハ永井君常□フ
可有之候
御口かかり時も金も不覚ニ
□□申候 大間知君□御坐可有候
十月九日

⑥昭和11年5月15日 柳田国男→楢木範行

令室によろしく
御蔭にて思出多き
旅を了り候、但し疲れま
だ残りをり候、椎葉御送
被下り、御礼申上候、御父君と話
をする折なく残念に候、師範
に手帖利用するやう御すゝ
め被下度候
 五月十四日

⑦昭和11年8月13日 柳田国男→楢木範行

暑中御様子如何
先日ハ御不幸、御父君
御嘆きと存し上候、御慰め
被成下候、講習会の事
盛況、九日府縣の数ハ、十
八九ニ過きす、此■ハ先つ
近縣の同志を紏合、直ニ引取候
八月十三日

⑧昭和11年9月22日 柳田国男→楢木範行

会報にハどし■■ 何分
カク様に同人をすゝめ 同坐可被成下候
新秋御起居如何、
此秋ハ御淋しかるべし
と遥察いたし、御父君ハ
幸ひニ御元気にや大阪
の二十五回連続講習会早
くはしまり、一昨日ハ第一回に候
         九月二十一日
会者百餘人
半分ハ史家授
教員、十四五人ハ聯人に候

⑨昭和11年10月5日 柳田国男→楢木範行

先日ハ御手紙拝見仕候、會報
もけふ波多江君より御送被下
受とり拝見 且つ民間傳承ニ紹
介いたすへく候 交通史料ハ
そのうちニまとめ 八月に□□
□□なるも 或ハ貴兄の仕事には□
に今ハ取かゝつて十六日慶応大学の
て□□をすつかり資料□□も
また□□□□□
内君によろしく

⑩昭和11年11月9日 柳田国男→楢木範行

民具展覧会ハ成功と存し候
御父君御声援ハ貴者今日
此日□解説を生入れ 御送り
為下り有かたく存候 もし尚
残部あらバ
 石川県金沢市県立図書館
 長    中田邦造氏へ
一冊御送り被下度 □□□□□
計画ノ有之候     十一月九日
□□
再び□□むはひ候

⑩昭和11年12月3日 柳田国男→楢木範行

宮崎の日野博士ハ 民具のことにハ
□□□をかけ□□よろしく
再び御礼切なる御案内
を□□□悦び申候□□□□
旱天予定のとほり帰京
歯の治療や何やに日々を
費して居ます 東京ハ既に
寒々庭の木の葉ハもう一つも
ありません 今年ハ菊もずつと
是より
少なくなりました
 □んな□□□□□□
□□□□□
   十二月三日

ちょっと集中力がなく、読めない部分が多いですが、柳田国男の文字になれている方にご教示いただけると助かります。

以下の文献を参考に何度も挑戦してみます。

【柳田国男書簡参考文献】

https://sagamiharacitymuseum.jp/wp-content/uploads/2018/06/d43e696a88aedfc9b81f3660ce3a6671.pdf


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