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原田喜一郎について

民謡研究家で、元宮崎県民俗学会会長の原田解先生の御尊父、原田喜一郎についての略歴を国会図書館デジタルコレクションで調べてみたがまとまったものが見つからなかった。

原田先生からご提供いただいた新聞記事の切り抜きに次のようなものがあったので、それを参考に紹介する。

南方郵信社長
妻は公恵(57歳)
明治39年10月、生まれ、
大正8年、頭山満翁の流れをくむ玄洋舎で九州日報に入社(門司支局勤務)
大正11年、毎日新聞に入社(内国通信部勤務)
大正13年、小倉通信部主任
大正15年1月、初代宮崎支局長(~昭和10年)、黒迫町に1年住まう。
昭和11年、休職(一年半の期限付)が延びて毎日新聞嘱託となった
昭和13年5月、宮崎市会議員に当選。一期を勤め市政に寄与した
昭和15年、紀元2600年事業に参画。
 2月11日、橘通2丁目に新築2階建てに住まう。長男誕生。
昭和16年、磯野金作氏(宮崎今日社長)らと祖国日向を発刊。
 宮崎新聞の編集長など郷土文化向上に寄与。
 県庁舎横に住まう。妻がオザリオ社を結成し、文化運動を行う。
 五室ある家に住まう。女中二人がいた。
 祖国日向博覧会、御東遷二千六百年祭、大演習に参加。
 第五の家に住まう。
戦後、郵便報知を創刊。
東九州(日刊)の編集局長、廃刊
南方郵信を創刊
新聞同志会の事務局長

祝賀宴参加者
小林美津路(夕刊ミヤニチ)
村尾範春(商工新報)
野口春雄(西日本映画週報)
寺原郁一(農政通信)
山崎繁夫(宮崎観光新聞)
松中晴洋(九州民権新聞)
尾上義隆(東九州)
渡辺晴山(政界通信)
湯浅和彦(政経新報)
荒木一馬(宮崎通信社)

以下も掲載紙、刊行年月日共に不明である



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