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再考・キモくて金のないおっさん論

目次
1.キモくて金のないおっさんとは
2.かわいそうランキングとは
3.キモくて金のないおっさんは救われるのか
4.なぜキモくて金のないおっさん論は嫌われるのか
5.キモくて金のないおっさん論の意義

1.キモくて金のないおっさんとは

 キモくて金のないおっさんとは2015年頃からTwitterに登場した言葉で、以下の条件を満たす者を指す言葉である。
①軽度の知的障害、精神障害、発達障害があり
②正規雇用に就けず、日雇い等の非正規雇用によってその日暮らしをする程度の賃金しか得られず
③頼れる友人や家族がおらず社会的に孤立しており、福祉にたどり着けない
人々のことを指していた。「キモくて金のないおっさん」というフレーズだけに着目され、特に「キモくて」という表現が気に食わない人々によってTwitter等で邪険に扱われた概念であるが、福祉に携わったことのある人間であれば誰しもが感じたことのある問題でもある。それを(福祉に携わったことのある人なら)誰でもわかりやすい言い方をしたものが「キモくて金のないおっさん」である。
 筆者もかつて、ホームレスの生活保護支援を手伝っていたことがあるが、同じホームレスでも、同程度の問題を抱えている人なのに、救済が後回しにされる人がいることに違和感を持った。まさにキモくて金のないおっさん問題である。

 キモくて金のないおっさんは言い換えるとこうも言える。
「本来福祉を受けるべき資格のある人達だが、かわいそうランキングが低いため救済されない人々」
 問題の本質は、救済するかしないかの判断が「かわいそうさ」あるいは「キモさ」(③の「頼れる友人や家族がおらず社会的に孤立しており、福祉にたどり着けない」に相当)によって決定されるということだ。

2.かわいそうランキングとは

白饅頭氏(@terrakei_07)提唱した言葉(リンク先:「かわいそうランキング」が世界を支配する(白饅頭))であり、これもまたBlack Dog Syndrome(大きく黒い犬の問題 , BDS)として知られていた概念をわかりやすい日本語で示したものである。BDSとは保健所に預けられた犬たちの中でも黒くて大きい犬は人気がなくて引き取り手がなかなか現れないという事態である。
 これと似た現象がある。2015年11月13日のパリのテロの直後、Facebook上の人々がアイコンを一斉にトリコロールカラーにした。Facebookの利用者だけではない。Google、youtube、amazon、Apple、各社がトリコロールを掲げた。だか一方で、パリのテロの前日には、レバノンのベイルートでも連続自爆攻撃事件があり、少なくとも37人が死亡、181人が負傷した。この事件は少なくとも日本の新聞記事では一面を飾ることはなかった。この記事によると、「朝日新聞」の13日夕刊第二面に掲載された記事では136字程度の記事だったそうだ。これを受けて、Twitter上で下のような画像が風刺として出回った。

 白饅頭氏はこの風刺画のような現象のメカニズムを、個人それぞれが「かわいそうランキング」によって支配されているためだと説明している。
 つまり、レバノンやイラクやシリアの人々はかわいそうランキングが低いため、あまりニュースに取り沙汰されず、パリの人々はかわいそうランキングが高いため、世界中の人々がトリコロールカラーを掲げる、というのだ。
 これは非常に説得力があると筆者は考える。例題を考えてみる。

「以下に掲げる人々のうち、誰か一人だけ選んで助けられる。助けた瞬間選ばれなかった人は死ぬ。誰も選ばなかった場合、あなたを含め全員死ぬ。」
①0歳児、②20代の女性、③50代男性

というような問題を作ったとき、明らかに選ばれる数に偏りが生じるであろう。最も選ばれるのが少ないのは③の50代男性だ。現実社会でも同様の現象が見られる。この問題を扱うのがキモくて金のないおっさん論である。

3.キモくて金のないおっさんは救われるのか

 現状、キモくて金のないおっさんに分類される男性がどこにどの程度の人数がいるのか、正確には定かではない。しかし、自治会の寄り合いに一度も出席したことがなかったり、ご近所の世間話や、昼間の公園を見ると確かに存在するのだ。そんな人達に対して我々は何ができるのか考えてみよう。
 考えられる手段として、まず1つ目には、そういう世帯を訪問することだ(キモくて金のないおっさんの認知)。
 2つ目は、キモくて金のないおっさんを地域社会(自治会等)で包摂することが必要だ。
 3つ目は、地域社会がキモくて金のないおっさんを行政サービスとつなげることだ。
 4つ目は、行政の支援を継続的なものにするために、ケースワーカーのような立場の人をキモくて金のないおっさんにあてがうことだ。

 だが、これらには大きな問題がある。実現可能性だ。現状で既に地域社会から排除されている透明な存在を認知できるか。次の動画を見て欲しい。

 動画を見てもらえただろうか。このような動画はyoutube上に多数存在する。ほとんど電車にのることのない筆者もこういった迷惑行為をする乗客を見たことがある。彼らがキモくて金のないおっさんかどうかはわからないし、キモくて金のないおっさん全員がこのような迷惑行為を行うわけではないが、少なからず社会性に難があり、周囲から変人扱いされるのもキモくて金のないおっさんの特性の一つである。

 また、キモくて金のないおっさんは別の側面を持っている。セルフネグレクトという言葉をご存知だろうか?自らの生活や健康が極端に悪化しているにもかかわらず、それでも周囲に助けを求めない人々のことである。彼らは救済の手を差し伸ばしたとしてもそれを拒否する傾向がある。最低限の生命維持以上のことができないにもかかわらず、他社との関わりを絶ってしまうのである。よく言われる恥の概念によって救済を断る、というものではない。他者と関わるエネルギーがないのだ。人間関係の煩わしさに耐えられるだけの精神状態ではないため、手を差し伸べられても振り払ってしまう。

 読者はこのような人々の家庭を訪問することができるであろうか。「したい」「したくない」の話ではない。弱者として認識できるかどうかの問題である。つまり、暴力的であったり、援助を断ったりするような人々は、多くの人にとってかわいそうランキングが低く、救済の対象として見えないのだ。

 先に上げた動画を見た読者は、この「男性たちは社会悪だ」と思わなかっただろうか。動画の彼らの実態は不明だが、往々にして生活が破綻寸前である場合が多い。そして何らかの精神疾患を疑わせる言動をする。youtubeのこの類いの動画のコメント欄には、「キチガイ」「死ね」「怖い」「迷惑客」などといった感想が多いが、まさにそれがかわいそうランキングの低さを物語っている。筆者には何らかの病気を抱えている人がたまたま電車で症状が現れただけの医療福祉案件の人のように思える。

 2つ目の問題は、先程からキーワードになっている「地域社会」である。ほとんどの地域では、特に都会では、地域社会など存在しないのではないだろうか。先にも述べた「自治会」「寄り合い」についても「なにそれ?」と思う人も少なくないと筆者は予想している。つまり、地域社会レベルでキモくて金のないおっさんを救済することはほぼ不可能という結論に達する。

 では、どのようにキモくて金のないおっさんは救済されるべきなのか。筆者は国政の政策レベルの解決策を提唱したい。
 1.累進課税の強化
 2.世帯所得による所得税の徴収
 3.公共事業によるキモくて金のないおっさん向けの雇用の拡大

以上である。もちろん増税分はキモくて金のないおっさん向けの雇用に当てるのである。キモくて金のないおっさんは、健常者と障害者の間のグレーゾーンの存在である。故に、健常者のようにフルタイムでバリバリ働く能力はなく、障害者のように包摂され雇用を確保されているわけでもない(そもそも障害によっては障害者雇用ですら就労が難しい人も少なくない)。キモくて金のないおっさんには、彼らの能力に見合った仕事に就いて、現状より所得を増やしてもらうのだ。

 それによって社会からの疎外感を軽減し、社会との関わりを持つことで、適切な医療・福祉を受けることが期待できる。また一般の就労者のように家庭をもつことも夢ではなくなる。キモくて金のないおっさんを政策によって一般人レベルに押し上げるのだ。

4.なぜキモくて金のないおっさん論は嫌われるのか

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