障害者を取り巻く環境について

・ある日突然世界が変わってみえるようになった
 筆者は精神障害者である。病名は双極性障害というもので、躁状態と鬱状態を繰り返す病気である。
 本稿では障害者である自分を例にして、障害者として保護される代わりに、失った権利と追加された義務を筆者の経歴を見ながら紹介したい。
 双極性障害と診断されたのはここ数年のことだが、メンタルに不調をきたしたと自覚したのは、それよりずっと前、大学2回生の秋頃である。それまでは、自分で言うのもなんだが、明るく、快活で、フットワークもよく、毎日のように勉学に励み友達と遊んでいた。
 はっきり覚えているのは、サークル仲間と飲みに行った帰りのことである。みんなでワイワイ帰路についていたのだが、急に疎外感を感じたのである。自分の存在が宙ぶらりんになって、まるでガラス越しに世界を見ているような感覚に襲われた。それ以来、遊びや飲み会に行くたびにその感覚に襲われるようになった。今思えば精神の不調の兆候だったのかもしれない。しかし、当時の筆者はそれを無視してより明るく振る舞うようになった。

・就職そして発病
 ある時バイトで大役を任された。今思えばそれほど難しい仕事では無いように思えるのだが、当時の筆者は責任に押しつぶされそうだった。その大役を終えた時、一気に体の力が抜けたのを覚えている。そして筆者はそのまま引きこもりになった。
 精神病院に通うようになったのはその頃である。大学の講義に行くのもままならず留年した。
 留年はしたが、なんとか単位を取得し、就職活動も地元ではそこそこの大企業に就職が決まった。もちろん精神の不調は秘密である。
 就職してからは意外と順調だった。職場の同僚とは関係がよく、先輩からも可愛がってもらい、仕事もたくさん教えてもらい、仕事が楽しかった。毎月残業80時間はやっていたが、残業代も出て給料も一年目にしては貰っている方だった。1年目にして年収が400万に届く勢いだった。しかし無理は続かない。2年目にして残業がさらに増えた時、筆者の精神がおかしくなった。
 朝起き上がれないのだ。起きて会社に行かねばならぬと強く思っているのに体が全くいうことを聞かない。「なんで体が動かないんだ!」といい歳して大泣きしたことを覚えている。そんな日が1日、2日、5日と増えていき、有給休暇を使い切ったところで上司から休職を勧められた。

・休職するためには?復職するためには?
 休職をするためには条件がある。病状をオープンにすることだ。今までひた隠しにしていた精神の不調を全てひけらかさなければならない。幸い筆者の上司は親身になって話を聞いて受け入れてくれた。本当に良い上司に恵まれていたと思う。
 しばらくの自宅療養の後、入院治療に切り替わった。そこで初めて双極性障害と診断された。入院して上司と先輩がお見舞いに来てくれた。頑張って治して戻るよとその場では意気込んではいたが、結局病状は好転せず仕事をクビになった。これを書いている今でも上司と先輩に申し訳ない気持ちでいっぱいである。

・車の運転ができない?
 双極性障害という障害は車の運転に制限がかかる。正確に言えば、医師の診断書と警察の許可がなければ運転ができない。癲癇(てんかん)という病気をご存知だろうか。てんかん患者が交通事故を起こして多額の賠償金と刑事罰を受けたニュースが時々報道される。それと同じである。もし警察の許可なしで車の運転をして事故を起こしたら罰せられるのだ。それも通常の事故より重い刑罰が課される。理不尽かもしれないが、筆者は必要な規制であると認識している。以来毎年診断書を警察に提出し、面談を受け、許可を得て車の運転をしている。

・仕事が無い!?
 筆者は生産技術の仕事をしていた。聞きなれない仕事かもしれないが、要するに機械の設計をして加工をして製品の生産に寄与する仕事である。そのため、金属加工を伴う作業をすることは必然である。休職してから復職しようとした時、工作機械には触れてはならないと言われた。工作機械とは金属をゴリゴリ削るような機械のことであり、一歩間違えれば指は飛ぶし、致命傷を負うこともある。車の運転に制限がかかるくらいだから、そのような制限がかかるのも当然と言えば当然だが、従来の仕事はできなくなる。職場に戻れたとしても、そこには居場所がなかったかもしれない。
 仕事をクビになってから、いくつかの会社の説明会に訪れたことがある。生産技術者としてだ。しかしどの会社も向精神薬を飲んでいるような人には危険が伴う作業はさせられないとの見解を示された。僕の目の前は真っ暗になった。

・自立支援医療を受けるためには?
 仕事をクビになった時と前後して、自立支援医療を受けた。この制度はある条件を満たした人は医療費負担が一割になる制度である。医師の診断書と手続き書類を書くことで申請できる。収入によっては負担額に上限がつく。
 つまり、月1万円以上の医療費がかかっても1万円以上は払わなくてよい(所得によって変わります)、というような制度である。筆者はこの制度に大変助けられている。自立支援医療を継続して受けるためには、毎年更新して毎月通院することである。通院しなければ自立支援医療の対象外になってしまうので注意が必要である。

・障害年金を手にして障害者となった
 入院中、障害年金の手続きをした。やったことがある人はわかってくれると思うのだが、とにかく書類が煩雑で膨大なのだ。精神障害を抱えている人間には、なかなか超えられないハードルだと思う。障害年金は2年に1回更新しなければならない。病状が軽快に向かったら支給停止になるのだ。筆者ももうすぐ更新の時期なので社会への恐怖で震えている。
 障害年金を受給するためには、それまでにちゃんと年金を納めている必要がある。渋谷のチャラチャラした若者や新橋の意識高そうなサラリーマンみたいなのが言うような「貯金すれば良い」みたいな言説には決して騙されてはならない。筆者は障害年金2級を受給しているが、年間80万円ほど支給され、年金の支払いは免除、健康保険料、各種税金の支払いも免除される(収入にもよる)。とても貯金でまかなえる額ではない。これを読んでいて年金を支払ってない人、今からでもちゃんと収めよう。

・障害者と普通の人と違うところ
 障害者になった筆者は現在福祉及び家庭によって保護されている。保護されるということは一部の権利が制限され、なんらかの義務が生じるものである。ここまで紹介した筆者の事例で大雑把にまとめると、「障害について他者にきちんと説明すること」「危険が伴うことはさせてもらえない」「医療福祉をちゃんと受けること」「書類はきちんと提出すること」。この4つが肝心である。この4つを守っていればちゃんと保護されるとも言える。職業選択の幅が狭まったり、車の運転に制限がついたり、権利の制限を受けたが、必要なことであると認識している。保護を受けながらそれらを求めることはむしろワガママになってしまうであろう。

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