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生活(生きて活動すること)


 「生活は誰でもしてることだ」というようなセリフを、ラブラブエイリアン(漫画)のさつきさんの家の洗濯機が言っていた。
 さつきさんが調子が悪くなった洗濯機をみてもらおうとアパートの住人とエイリアンを部屋に呼んだら生活力のなさをダメ出しされるという話だった。
 
 
 一緒に住んだことがある男性は身内を含めると4人ほどだけど、彼らはだいたい食事や掃除や洗濯をこちらに委ねてきた。だけど私は生活が得意ではなかった。生きることのサイクルを整えて日々を送ることより、その日一日を生き延びることにエネルギーの大半を使っていた。

 お互いに委ねる部分があって補い合って支え合ってとかなら分かるけど、残念ながら私が彼らに委ねたり補ってもらったりした部分はあまりにも少ない。経済的にも特に助けてもらってなかったし。
 それで途中で「あ、一人で生きたほうが楽なやつだ」って気づいて別れることになったのだった。
 
 もともと相手にとって役に立つ人間じゃないと存在価値がないって不安になるような生き方をしていたせいもあるけど、その不安にのっかって「俺の機嫌を損ねるなよ」と圧をかけてくるかつての恋人や身内たち。
 私もうまく育たなかった人種だけど、彼らも相当だよなと今は思う。

 私だけが特に出来損ないなわけではなかったんだ。
 少なくとも今は人の役に立たなくても別にかまわないと思えるようになった。自分の生きやすい方法を探すことのほうが大事だ。

 とくに怒ったり暴力を振るったりしなかったもちねこ君は、いったいどういう風に育てられてきたんだろう。
 自己肯定感が高いと感じることは時々あったけど、あった上で引きこもりなので人生うまくいかないものだとも思う。

 うちは父が割と暴力的なほうで、母も良く私をぶったり無視したり家から追い出したりしてくれたので、もちねこ君が「怒鳴らない」どころか「怒らない」ことには本当に衝撃を受けた。
 そんな彼に対して私は自分の思っていることを言葉で伝えることが難しかったし、言ったほうがいいのか言わないほうが良いのかが分からずに結局黙っていることの方が多くなった。思っていることを相手に伝えることに恐怖があった。これは私の問題。
 
 怒らない相手にさえどう伝えればいいのか躊躇してしまう私の不完全さを、彼は理解しなかったかもしれない。お互い会話が減ったのは、そういう私と彼の不完全さが生んだ隙間だなと思う。

 不完全は悪ではないけど、「人として生きるのに適した状態」に自分を作り上げていくのってかなり難しいことなんじゃないかと周りを見回しても思う。
 みんな怒ったり泣いたり絶望したりいじわるしたり、いろいろな波風や荒波のなか生きてるようだし。

 自分が生きるために必要なことを自分でできること。
 一緒に住んでいる人間がいてその必要をまとめるのは、効率がいい場合があるからだ。
 「男の世話をするのが女の喜び」などとは私は微塵も思っていないのでこれからもしない。
 でも染みついた習慣から、相手が自分で自分のことをしているときに妙な罪悪感にさいなまれることはあるかもしれない。
 自分の生活を自分で遂行するのは当たり前ということを、何度も上書きしてこの居心地の悪さを消したい。



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