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『戦争と交渉の経済学: 人はなぜ戦うのか』 クリストファー・ブラットマン (著), 神月 謙一 (翻訳)。明解な理論や分かりやすい答えが書かれてはいません。だからこそ、価値のある本でした。おすすめ。

『戦争と交渉の経済学: 人はなぜ戦うのか』 2023/7/7
クリストファー・ブラットマン (著), 神月 謙一 (翻訳)

 2023年に感想文を書く最後の本になる。ウクライナの戦争が長引き、ついさきほどの夕方のニューズでも、ロシアがウクライナ全土に攻撃を仕掛けウクライナの死者30人といっていた。10月からはパレスチナ、ハマスによるイスラエル攻撃、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃で、イスラエル民間人の人質はまだ多数解放されていないし、ガザ地区民間パレスチナ人の犠牲は大きくなるばかりである。それぞれの戦争個別の事情背景についてもいろいろ本を読んだが、そもそも戦争そのものについて考えるために、この本を読んでみた。

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戦争が起きる「5つの原因」を、ギャングの抗争から世界大戦までの幅広い実例と、ゲーム理論で解説。
「戦争がある世界」をリアルに理解し、実効ある「平和への道」を考えるための必読書。

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本の帯

平和とは、敵同士が損得勘定で戦争を避けることにほかならない。
◎平和とは必ずしも平等や攻勢を意味しない
◎取引で敵を譲歩させるのに必要な「脅す力」
◎敵が軍備を拡張する前に

本の帯

ここから僕の感想

 著者は戦争の原因は「5つしかない」といい、平和をもたらす術を4つに分類する。という本書構成からして、ずいぶんと論理的に明快な本なのかなあと思って読み始めたが、さにあらず。ゲーム理論による解説はいまひとつ腑に落ちないし、5つの原因はそれぞれやや分かりにくいし、5つの原因の境界や重なりがあいまいなものもある。平和のための4つのアプローチも、その有効性についても、著者は躊躇しながらの叙述で歯切れが悪い。

 「戦争」についての本と言いつつ、言及される紛争は、必ずしも戦争ではない「集団間の抗争紛争」も多い。シカゴのギャング(若い麻薬売人グループ)の抗争の話から始まり、コロンビア・メデジンの麻薬カルテルの抗争、ウガンダの内戦、リベリアの内戦、サッカーのマンチェスターユナイテッドのサポーターがイタリアのユベントスとの対戦でイタリアで巻き起こした抗争なんていうのある。
 あ、もちろん本格的な国家間の紛争も数多く分析の俎上にはのったり、言及されたりしている。ギリシャのペロポネソス戦争から、第一次世界大戦、第二次世界大戦、イラク戦争、シリア内戦、インド国内の宗教対立、北アイルランド紛争、パレスチナとイスラエルなどなど。

 ウクライナの戦争について国際政治学者たちが繰り返し語った「国際法に違反したのはロシアだから、ロシアがウクライナから撤退するまでウクライナ国民が戦う意志がある限り、西側諸国はウクライナを支援し続けるべき」みたいなこととは、この筆者の考えはずいぶん違うように思われる。

 基本的に、筆者のいう「どうしたら戦争は避けられるか」とか「戦争は終わらせられるか」というのは、対立を根本的に解決する、と言うようなことではない。ふたつの集団の間に対立があっても、それは戦争ではない。それから、それら二つの集団が短期間、小規模に武力仕様突して少数の死者が出てすぐお互い手打ちをする、みたいなのも著者は戦争とは考えていないようだ。長期間にわたり暴力的な殺し合いをしてしまう事態を戦争としている。パレスチナとイスラエルの関係は典型的な戦争である。IRAとイギリスの間の抗争も戦争である。

 筆者の言う、本の帯で言う「平和への道」というのは、正義が実現される、と言うことではない。ゲーム理論で考えれば、より不利な、弱い立場の方は、より不利な条件を呑むことで戦争を終らせるしかない。それでも、大規模で長期的戦争をするよりも得だと考えて多くの対立する集団は、この筆者の言う平和を(正義や公平が実現されていない)平和を選ぶ場合がほとんどだという。
 また、平和は必ずしも合法的な手段で実現されるわけではない。麻薬組織同士の悲惨な戦争を避けるために、警察は対立する組織の幹部を逮捕して同じ刑務所に入れる。すると、刑務所の中で幹部同士が話をつけて、争いが終わる。こういうのも、平和のための方法論なのだと筆者は言う。

 この著者、もしかして頭が悪いの?その上、正義や公正を求める人でもないの?いったい何なんだろう?と思いながら読み進めていたのだが、最終章「結論 漸進的平和工学者」を読んで、そこまでの疑念がいろいろと氷解したのである。

 この「漸進的平和主義者」というのは、カール・ポパーの「漸進的社会工学者」のもじりだと筆者は言う。

「ポパーにとって、科学は実際的な問題を解決するための道具であり、微妙な調整を重ねながら少しずつ改良していくものだった。」

この「漸進的社会工学者」の反対概念は「ユートピア的社会工学者」だという。

 ユートピア的社会工学者・平和工学者の態度を「プランナー」と呼び、漸進的社会工学者・平和工学者の態度のことを「サーチャー」と呼んでいる。

 プランナーは、現地の実情に目を向けず、理想主義的な視点から問題の解決が可能だと考え、問題を自分たちの提案できる技術的な問題だと単純化し、一つの成功した解決策をテンプレート化して様々な場所や課題に適応できると考える人のことだ。

一方のサーチャーは、前もって答えを知らないことを認め、それぞれに固有の歴史や制度や文化が複雑に絡み合った、個別の問題だと考え、実験のプロセスを試行錯誤し、小さな成功と失敗を積み重ながら、実際的に、少しずつ前進する人のことだ。

 筆者の、戦争を避け平和を求めるアプローチはあくまで「漸進的平和工学者」としてのサーチャーとしてのアプローチなのである。だから、小さな成功を見せた具体的な事例を数多く扱いながらもそれを他の事例にもそのまま適用可能なものとして自信満々にメソッド化、テンプレート化しようとは考えない。その効果の程度と範囲についてはとても慎重なのだ。個別の実験についてはできるだけ科学的であろうとするが、しかし多くの事例が定量的に扱うことがいかに難しいか(ある手段を取ったことと、どの様な成果が上がったかの関係を見極めることが、対照実験が不可能な場合がほとんどあるなど)、そこの「いかに難しく単純化できないか」について、厳密なのだ。だから、語り方があいまいになるし、私には自信なさげに読めてしまっていたのである。

 しかしその「漸進的平和工学者」としての、揺るぎない態度と粘り強さをもって、研究と実践を重ねて、この本にその成果をまとめたことが、最終章に至ってはじめて腑に落ちるのである。

 ウクライナの戦争と、パレスチナ、イスラエルの紛争に明け暮れた今年。それだけではない、そうした中で西側先進国の人の関心が薄まってしまった様々な紛争内戦戦争についても、気にしては忘れ、また時折ニュースで見て思い出し、そういうことを僕は繰り返した。ウクライナ戦争についての、アメリカ国内の支援疲れ、アメリカ大統領選に有利か不利かで支援がどうなるか分からないという事態、武器は支援されても戦う兵士が足りなくて、徴兵年齢を引き下げたりするというウクライナの窮状、いろいろなことを考えてしまう。完全な正義よりも、とにかく戦争を、際限のない攻撃と一般市民の犠牲を止めることの方が優先なのではないか。

 徹底的に正義と公正が実現するまで、侵略者を完全に追い出すまで、テロ組織を壊滅させるまで、戦争は続けなければならないという声のために、一般市民が、徴兵された兵士が、延々と大量に殺され続けるということが続いている。

 そういうニュースを聴くたびに、僕は「ユートピア平和工学者」的な、プランナー的な答えを求めていたのだ。その答えを求めてこの本を読み始めたのだ。その態度が、間違いとまでは言い切れないが、とにかく「無理な問い」であり、そこに答えは無いのだということを教えてくれる。そういう本なのでありました。

 戦争について、正義感に満ちた断定的な物言いをすることには、どれだけ正しいことに、正義や公正や理想から見れば正しいことに思えても、そのことにより、「戦争が終わらない」「小競り合いで止まるところを大惨事にしてしまう」という危険性があること。そういうことを考える視点を与えてくれる、それだけでもこの本は読む価値があると思うのである。

 国際政治学でも地政学でもない、なんとも名づけがたい、戦争を考えるための必読書だと思うので、年末年始、何か読もうという方にはおすすめです。


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