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光る君へ (15)おごれる者たち 感想つれづれ 人違いの場合、するべきか、せざるべきか、それがシェークスピア的に問題なのである。

光る君へ (15)おごれる者たち 感想つれづれ

 やはり、ここまでの主役が藤原兼家=段田安則であったことが、その不在で露わになったなあ。ドラマの筋がヘロヘロになってしまった。混沌とした回であった。

 道隆=井浦新がまったく権力者の器でないこと丸出しになるし、道兼=玉置玲央は操り人形の操ってくれる人がいなくなってただの飲んだくれになるし。

 この前、段田安則と玉置玲央は、今、リア王の舞台で共演中と言ったが、今回の玉置玲央演技、ますますシェークスピア舞台演技っぽくなってしまった。前回の段田安則との対決だったらこれはなかなか見ものだったのだが、今回、道長・柄本佑を相手に玉置玲央シェークスピア芝居をしても、これはやや空回りとなってしまいました。

 一条天皇、子役から大人役者にチェーンジ、「あれ誰?」と我が家で混乱し、ググった妻が「なんかEXILEらしいよ」と。えーそうなのと今、調べたら「劇団EXILE」というのがあるのか。もともとは『獣電戦隊キョウリュウジャー』キョウリュウグリーンなのか。2013年だと、もううちの子は戦隊もの卒業していたから、見ていないな。グリーンって、主役じゃあないよな。

 今日、改めて見るに、ロバート秋山、日に焼けているよな。梅宮辰夫的に日に焼けている。宮中勤めなのに。日に焼けた太鼓腹、若い妻に気に入られているのである。梅宮辰夫Tシャツ芸を思い出してしまった。

 弟の試験合格祝いに、まひろが「お祝いに琵琶を弾くわ」。弟「琵琶ってなんか悲しいよね」うん。我が家でも、悲しいというより、毎回、琵琶弾くっていっても、上から下にベベベベンって、初め、全部開放弦で。二回目、一か所だけ押さえて「ベボベベン」って。その繰り返しだよね。琵琶って、そういうものなのかな。まひろがあれしか弾けないってことなのかな。琵琶、なんか毎回、モヤっとする。

 清少納言、ききょうさま。中宮定子の前に出て、定子さまを初めて見て「うつくしい」とうっとりいきなり心酔、「はっ、仰せかしこまりました。一身にお仕え申します。」とへいこら平服状態。を見ていて、ただいま再放送中、大石静先生の朝ドラ「オードリー」の藤山直美、すぐにヘマをしては大竹しのぶに怒られてテレビ禁止令を出されると、「命に代えて」とか「一生かけて」とかやたらと必至にペコリぺこりと平服するのを思い出してしまった。

 柄本佑・道長は今回もまだまだ青二才っぷり、道綱に苦言を呈したり、倫子と明子の間をうろうろしたり、甥っ子 伊周と弓争いをしたり(あれは大鏡にある逸話だが、かなり全然経緯が違う)。

 そう、道長って、このドラマが始まる前のみんなのイメージは、(今、道隆が演じているような)、権力をほしいままにする嫌な奴っぽいイメージだったんじゃあないかなあ。と思うのである。(私も妻もそういうイメージだった.)

 大鏡でのエピソードでは、道長が先に射る、当てまくる、伊周が外す、道長の勝ち、で終わりそうになる。のを、関白・道綱が息子に勝たせたくて「あと二本、延長戦」と言って、道長がむっとして、「そんなら願い事をしてから」と、その二本で、道長の方が「我が家から天皇が出る」「わたしが関白になる」といってど真ん中に命中させちゃって。道隆が真っ青になって、「ええい、やめるやめろ」と伊周が射るのをやめさせた、という内容なのだな。

 これだと道隆もいやなやつだけど、道長もそうとう嫌なやつでしょう。

 このドラマでは、そういう「道長いやなやつ権力大好き」イメージを、根底から崩して作り直そうという、大石静先生の目論見をもって作られているのだが。さて、うまくいくかしら。今のところは、未熟者、政治的には青臭く筋を通そうとする。普通に女好きモテ男だが恋愛、女性心理についてもまだよく分からない、ちょっと単純でまだ自分に自信がない、茫洋とした若者、という感じである。いやなやつにはならなそうだけれど、今のところ別に大人物になりそうでもないかんじ。これからどういう道長にしていくのかしら。

 さて、今日のクライマックスは、まひろさわさんの、女二人の石山詣。出来の悪かった弟が一家の希望の星となり、自分は一歩も進めていない。そんな中で道綱の母と出会って、「書くことでの自己実現」ということに目覚めるというのが今回大事なことなんだろうが。ドラマの先行きに対しては。大局的にはそういう位置づけの重要エピソードである。

 が、しかしそれよりもやっぱり道綱上地雄介、ポンコツ夜這い、人違いの上にさわさん名前まで間違えて、抱いてやんない事件。こっちが今回のメインイベントである。この前見た予告編で「あれ、この押し倒し、倒されして重なっているの、誰と誰?」の正解は、なんと道綱とさわさんという意外な組み合わせでした。

 人違いされた上に、してもらえない。傷つくじゃん。最後、さわさん「私には才気もなく、殿ごを惹きつける魅力もなく、家にも居場所もなく、もう死んでしまいたーーい」って川に入ろうとしたら疫病死体ごろごろで今回はおしまい。

 夜這い途中で、道綱がやめちゃうのを見ていた僕、さわさん役の野村麻純、宮藤官九郎の「11人もいる」のときのソアラ役のとき大好きだったから、「えーー、さわさんのほうがいいじゃーん。人違いでも、するだろ。もったいなーい。しろ。なんでやめる。ソアラちゃんに失礼だろ」と見ながらプンスカ怒っていたら、それを聞いた妻が「パパが人違いでも勢いでしてしまう人であるということは、分かった」とツッコまれた。うへえ、ごめんなさあい。

 しかーし。これは源氏物語への伏線というか、このドラマが一貫して描いている、源氏物語エピソードから逆算して、それの元となる体験をまひろがしてきた、というドラマ創作・作劇手法、その今回バージョンである。源氏物語「空蝉」で、人違いでしちゃう話があるのだな。

 光源氏、昼間に二人の女が碁を打っているのを覗き見るわけだ。こっちむいているのは大柄で派手で美人だけれど、胸元はだけてたりして、「セクシー美人だけどだらしなさそう」で、向こう向いて顔見えない方が、小柄で上品そうな女だったわけ。手前の上品なのが空蝉で、顔が見えたセクシーだらしない系が軒端荻だなあ、と光源氏は思うのだな。で、夜が更けて、空蝉のところに光源氏は訪ねていくわけだが、空蝉は逃げちゃっていて、光源氏は寝ている方を抱き寄せてみると、セクシー大柄な軒端萩だったんだな。あ、違う方だと思ったけれど、「お前が目当てだったよ」と言って、光源氏はそのまんましちゃうわけだな

 人違いだからといってしてくれないと、どれだけさわさんが傷ついたか、という経験をこのときした、というフィクションを作って、後の空蝉は、このときのまひろの経験から創作されたんだなあ、ということにしたわけである。大石静脚本。

 さて、次回予告編は、あの河原で感染したのか、疫病で苦しんでいるぽいまひろのもとに駆け付ける道長。道長の心に明子ではない女の存在を察知する倫子。むむむむ。男女のドラマはますます盛り上がりそうである。

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