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第2回「財政政策とケインズ。グローバル政府と中央銀行(アタリさんはMMTと一言も言わないし、賛成でないことはわかるが、ケインズと中央銀行を語ってくれれば、それで十分。) BS1スペシャル「欲望の資本主義2020スピンオフ ジャック・アタリ大いに語る」を7つのテーマに分解・解説

連続投稿、この番組を7パートに分解して、各回ごとに以下のように進めます。

⑴アタリ氏の言葉を、番組字幕を写経しました。アタリさんの言うことだけ興味のある方は、ここだけ、お読みいただければ、と思います。

⑵インタビューがただつながる番組構成上、論理の筋道が⑴だけだと、ちょっと追いづらいので、ざっくりと私がそれを整理します。

⑶そのあとに、私の感想、意見を書きます。個人的なこともあれば、今、日本で問題になっている政治的テーマと、アタリ氏の発言の関係を論じる場合もある予定です。ここは、もし興味があればお読みください、というパートです。

では、第二回は、番組的には「社会の血液=お金は国家をどう回す?」というパートです。
僕が論じようと思うのはnoteタイトル通り、⑵財政政策とケインズ。グローバル政府と中央銀行(アタリさんはMMTと一言も言わないし、賛成でないことはわかるが、ケインズと中央銀行を語ってくれれば、それで十分。)です。

⑴番組中継

アタリさん
「今、国家予算をベースとしてケインズ政策よりも、金融政策の役割が大きくなっているという人がいます。果たしてそうでしょうか。  貨幣の役割はたしかに大きいですが、同時に、公共支出の役割も大きいはずです。どこの国でもそうであるように、財政赤字を見れば分かります。

 ドイツは公共支出を政府債務の60%に抑えられていますが、それでも高い割合です。ですから我々は、公共支出と金融支出の両方を用いているのであって、ケインズ政策が用いられていないなどという指摘は間違いです。

 財政赤字には限界があると考えられます。それでも支出を続けているのは、誰にも限界点となる比率が見えていないからです。通過流動高がGDPの3倍以上になれば破綻するなどという確かな理論はありません。破綻する可能性もありますが、理論化はてきません。

 理論になっていない真の理由は、グローバル市場の存在です。グローバル市場と呼ばれるものです。保護主義の問題はあるものの、地球規模の世界市場が確かにあるのです。面白いことに教科書で市場経済を学ぶ際には政府の概念はありません。政府のない国などないのにね。政府は常にあります。だから政府なき市場経済の理論を学ぶ際は、それは実は不完全なのです。資源配分が不適切になり、雇用率が低下し、低成長を招きます。だから政府が必要・・・これが経済学者ケインズの1930年代の偉大な発見なのです。市場の不完全性を補うために、政府支出による介入が必要です。

 世界レベルのグローバル政府はいまだ存在しません。多額のインフラに投資する1つのケインズ主義的な世界レベルの政府というのは存在しないのです。グローバル経済が存在するのですから、グローバル政府も存在すべきなのです。永遠に作られないかもしれません。

 グローバル政府の代わりとして、5つの中央銀行の同盟があります。日本、アメリカ、イギリス、ヨーロッパ、中国、の中央銀行同盟です。この5つの中央銀行が、一種の影の世界政府なのです。うまく協調して、出来る限りのことをしています。このシステムに金を出しています。投資するために。お金を出しているわけではありません。インフラ整備や道路整備に出資するわけでもありません。

 彼らは「お金は出すから何をすべきかは自分で考えてくれ」と言うのです。中央銀行は政府に時間の猶予を与えるだけで、それ以外の役割はありません。「お金を出すことで時間の猶予を与えるから、自分で意思決定をしなさい」ということです。問題は中央政府が「よし、中央銀行がお金を出してくれた、意思決定は避けられる」と思ってしまうことです。これはまるで逆です。中央銀行は意思決定をさせるためにお金を出すにもかかわらず、それによって政府は意思決定をしなくなるのです。

 一定の限界もあります。マドフ氏のことはご存知だと思いますが、(アメリカ合衆国の実業家。元NASDAQ会長 史上最大の巨額詐欺事件の犯人として知られる)、中央銀行とマドフ氏は大差ありません。実は同じことをしているのです。成長が続くことを願って、システムにお金を注ぎ込んでいる。しかし、ある時点で真の成長が見られなければ、見せかけの成長しか得られなければ、破滅が待っているのです。もちろん、明日、破滅を迎えるわけではありません。なぜなら、破滅とはインフレですが(僕の註、アタリ氏はリセッション、と言っている。大恐慌、ハイパーインフレのことである。通常のインフレではない)、今日、インフレが引き起こされることはほぼ無いと考えられているのです。しばらくは破滅しないでしょう。」

⑵ 論理の流れ整理。
 国家レベルでの経済政策は、金融政策が中心と考えられているが、財政政策による公共事業・公共投資というケインズ主義も相変わらず重要だ。

→赤字国債をどれだけ出すと財政が破綻するか(どこかに限界があって破綻すると思うが)どこが限界かは分からない。

→限界がわからないのはグローバル市場があるから。 (市場メカニズムはグローバルで働くが、国家レベルの財政政策は国家レベルでしかない。その相互作用が完全に解明されていないから、だから各国ごとの赤字がどれだけ膨らむと破綻するのかは理論的に解明されていないということ。)→グローバル市場はあるのに、グローバル政府は無い。

→そのかわりをしているのが中央銀行連合だという(IMFの事?ではなさそうなのだが。何をさしているのかな)。

→中央銀行のできることは「政府に対してお金を出して時間的猶予を与えること」だけ。世界の中央銀行連合も「影の政府」とはいえ、そのような「時間的猶予を世界各国の政府に与えるだけ」なので、結局、世界政府というものは存在していない。

→政府は時間的猶予を与えられると、むしろ策をサボるものだ。それが大問題。

→時間的猶予を与えても、投資に対する成長が起きなければ、いつかは破綻がくる。破綻は急激なインフレ、恐慌の形でおきる。が、(日本を含む先進国では)明日にも起きるわけではない。

⑶僕の意見感想

アタリ氏の主張の肝はここだと思います。
 「中央銀行は政府に時間の猶予を与えるだけで、それ以外の役割はありません。「お金を出すことで時間の猶予を与えるから、自分で意思決定をしなさい」ということです。問題は中央政府が「よし、中央銀行がお金を出してくれた、意思決定は避けられる」と思ってしまうことです。これはまるで逆です。中央銀行は意思決定をさせるためにお金を出すにもかかわらず、それによって政府は意思決定をしなくなるのです。」

 このことと、「金融政策が重視されているが、財政政策、ケインズ的政策の重要性は相変わらず重要。」はつながっているわけです。アベノミクスが、超低金利(金融政策、中央銀行による時間猶予の創造)をやっているのに、財務省の緊縮派に丸め込まれて、ケインズ的財政支出をしないから、日本の成長が止まっとしまっていることを批判していると受け取っていいかと思います。アベノミクスのチグハグさ批判です。

コロナ後の現在、読むと、ふたつのテーマと関係しています。

①各国が大きな赤字国債を出してでも(ドイツでさえ)、コロナ対策予算を出しています。「どこまで赤字国債を出すと破綻するか」ということは、とりあえず度外視しての予算を組んでいます。一方、日本だけは、口先では大げさな形容詞をつけていますが、補正予算での赤字国債増発はごくわずか。財務省は「このままではいつか破綻が」「将来世代におおきなツケを」といって、国債増発に抵抗しています。

 アタリ氏の立場は穏健です。中央銀行ができるのは時間的猶予を与えるだけであり、それをやったからといって、ケインズ的政策を政府がサボったら意味がない。ということです。

②二つ目は世界政府の不在について。アタリ氏の視野は「世界政府」「世界法規」と言う方向に向かうわけです。国内の支援救済策をケチる一方、麻生財務大臣が、IMFに支援金拠出、というニュースがあり、「国内に金をケチって世界にばらまくのか」という批判も起きたわけですが、発展途上国の感染拡大は悲惨な国家崩壊を招く可能性があるので、これは先進国の責任としてやるべきことだと思うわけです。世界政府の不在を、中央銀行連合が代替している、というアタリさんの発言が、あたかもこの事態を予言していたようで、流石というほかありません。


 私は、コロナ以前から「ベーシックインカムとMMTについて、真剣に考えろ」投稿を、続けており、コロナ以降も「ベーシックインカムとMMTを真剣に考えてこなかったから、国民一律給付の意味が理解できないのだ」という批判noteを書いてきました。しかし、残念ながら、「ベーシックインカムとMMT」という単語に、脊髄反射的に抵抗・反発する人が多い。  

 これに対し、大人で賢いアタリさんは、そのような刺激的ワードを使わず「ケインズ」と「恐慌はいつかは起きるだろうけれど、明日にも起きるわけではないよ」「政府のやることは、中央銀行に時間的猶予をもらっている間に、しっかりケインズ的に政策で投資をして、成長を実現することが大事だよ」という。

 財政政策と金融政策のバランスと調和、経済成長を伴うゆるやかなインフレの実現をすれば、恐慌は起きないよ。MMTまで極端ことを言わなくても、「反・緊縮」の主張はこう言い換えられるわけで、それをアタリさんのように言った方がいいのかな、と考えさせられました。

 昨日の投稿への反応やりとりをFacebookで友人としていても思ったのですが、長年、現実政治に関わり続けたアタリさんは、敵を作らず、難しいことの理解が低い大衆も受け入れやすいような言葉や態度で、自分の目指す政策方向に導く術を知っている。やさしい物腰、言葉遣い、どんな人も「そうだそうだ」と賛成しやすい「ボジティミズム」や「利他主義」などというオブラートも、すべて、本当に必要な具体的政策を進めるための、戦略的ワーディングや物腰なのではないか。そうだとすると、このアタリさんと言う人、本当に恐ろしい人だと思いました。

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