「違く」(ちがく)の生まれ方、文法的推測。(「奏」と「Everything(it's you)」)

「それ、ちょっと、違くね?」というような会話を、若い人たちがしているのを、よく耳にします。

 街中の若者たちだけでなく。テレビに出てくる若い芸能人さんも、「それとは違くて」なんて、普通に言います。

 これに違和感があるのは、何歳以上の人たちなんでしょうか。学校で教える国語の文法的には明らかに誤りだけれど、言語の変化として、だいぶ、定着してきています。

 私の長男は1988年生まれの33歳、くわしくはあれですが、言葉に関する専門家です。幼い頃から国語の成績は圧倒的にできたのですが、彼も日常会話、話し言葉としては「それ違くね?」を使います。以前は、言葉にうるさい言葉おじさんである私の前で思わず言ってしまうと「しまった」みたいに言い直したりしていますから、違和感もありつつ使うのだとおもいます。ちょいと話はズレますが、彼は「それ、ちげーし」ともよく言います。これは誤用ではありません。正しい日本語「違うし」の、後半母音auが音便化したものだとおもいます。違うを、五段活用動詞として正しく使った上で音便化している。方言のようなものです。私も聞いていて、「ちげーし」は汚いけれど品詞と活用として間違っていないのでそんなに嫌ではありません。「違くて」はすごく嫌です。文法的にひどく間違っているから。

 私はアコースティックギター弾き語りおじさんでもあるので、もう50年も「この曲素敵だな」という曲は弾き語りをして生きてきたのですが、曲の歌詞に「違く」が出てくると、そこだけ、言葉おじさん体質が出てしまって、「グゲ」と、気持ちが萎えてしまうのです。

 弾き語りをするJPOPの歌詞として、「違く」が出てきたのは、ヒット曲、メジャー曲では、

1997年2月5日ミスターチルドレンのEverything( It's you)、二番サビ前の

「例えばこれが 恋とは違くても」

です。どうしても僕は「ちがく」と口に出したくないので、「違っても」と歌うことにしています。

しかし、2004年3月10日発売のスキマスイッチの「奏」の大サビ

「君がぼくの前に現れた日から/何もかもが違く見えたんだ」

 と。「奏」は如何ともしがたい。日本語を大切にする玉置浩二さんも、玉置浩二ショーで「ちがく」と歌っているしなあ。

 ミスチル以来、もう25年も使われ続けていれば、今の30代前半以下にとっては、話し言葉としては自然な言葉になっているのでしょう。むしろ、「ちがく」を使わないことの方が難しいのかもしれません。

文法的に、何がおかしく、しかし、それでもなぜ定着したかについての考察。

 このような、誤用が広く使われ定着するには、それなりの、致し方ない、合理的理由というのが存在します。

 これは、「違う」(動詞)の反対語が「同じ」(形容動詞「同じだ」の語幹だけ)、という不思議な対応関係になっていることに原因があると私は考えています。

 まず、物事の状態や性格・性質を表す言葉は、普通、形容詞か形容動詞です。

「暗い」⇔「明るい」「白い」⇔「黒い」

言い切りの形になったときの言葉の最後が「い」で終わるのが形容詞ですね。反対語も形容詞同士のコンビニなりますね。

活用形は「かろ」「かっ」「く」「う」「い」「い」「けれ」です。
白かろう 白かった 白くなる/白くない 白うございます 白い 白い時 白ければ

形容動詞は、言い切りの形が「だ」で終わるやつ。

「陽気だ」⇔「陰気だ」  「にぎやかだ」⇔「静かだ」 
活用は「だろ」「だっ」「で」「に」「だ」「だ」「なら」
静かだろう 静かだった 静かである/静かでない 静かになる 静かだ 静かな時 静かならば

形容動詞は、形容詞よりも不安定な品詞で、人の頭の中に「静か」とか「陽気」とかいう語幹部分だけがひとつの言葉としてあって、それに断定助動詞「だ」がついている。という分析もできます。

で、ときどき例外的に

「静かだ」形容動詞⇔「うるさい」形容詞

形容動詞と形容詞が対義語になることもあるんですね。

さて、「違う」に戻ると

さて、「違う」というのは、動詞だけれど、状態を表している。だから、なんとなく、形容詞や形容動詞のように扱いたくなるわけですね。

反対語を考えると

「違う」(動詞)⇔「同じだ」(形容動詞)。
「違う」(動詞)⇔「同じ」(形容動詞の語幹)

※ほんとうは動詞なので、活用形は

「違わない」「違おう」「違います」「違った」(連用形音便)「違う」「違うとき」「違えば」「違え」という五段活用動詞です。

しかーし。普通の人の感覚だと状態を表すのに動詞なのは、なんか変。

さて、そうであるとすると「違う」を、形容詞か形容動詞のように活用させたくなるのが、自然な人情というもの。だって状態を表しているから。

※これが「間違う」だと、動作・行為なので、若者も、ちゃんと動詞として使います。また「たがう」と読めば、これも動作なので、ちゃんと動詞として活用させます。「違う ちがう」だけ、動作ではなく、状態を表しているので、形容詞だと勘違いして、変な活用形にしてしまうのです。

で、「ちがい」=「ちが」という語幹+「う」というのがくっついていると考える。「ちがい」=「ちが」+「い」という言葉もあるから(ほんとは名詞なんだが)。おおお、活用形のなかに「う」で終わる形もあるし「い」で終わる形もあるぞ、これは形容詞に違いない。(というのが、いかにも頭悪い感じの間違い方なので、私は本当にいやなのですが)

形容詞にしちゃって活用させると

形容詞活用形は「かろ」「かっ」「く」「う」「い」「い」「けれ」

なので

未然 違かろう 連用 違かった 違くなる/違くない 違うございます 終止 違い 連体 違い時 仮定 違ければ

というわけで。使用頻度の高い、連用形の違かっ(た) 違く(ない) が誤用定着してしまったのであろうと、私は考えています。

「違く」はちょっと嫌でも「奏」と「Everything( It's you)」は名曲ですよね。


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