見出し画像

『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー (著)を読んで。僕の人生の、昨日までを総括し、明日からを考える。21世紀の政治を、経済を、仕事を、人生を考える必読書。

『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』 2020/7/30
デヴィッド・グレーバー (著), 酒井 隆史 (翻訳), 芳賀 達彦 (翻訳), 森田 和樹 (翻訳)

Amazon内容紹介
「やりがいを感じないまま働く。ムダで無意味な仕事が増えていく。人の役に立つ仕事だけど給料が低い――それはすべてブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)のせいだった! 職場にひそむ精神的暴力や封建制・労働信仰を分析し、ブルシット・ジョブ蔓延のメカニズムを解明。仕事の「価値」を再考し、週一五時間労働の道筋をつける。『負債論』の著者による解放の書。」

さて、ここから、僕の感想。

 コロナ禍で、「エッセンシャルワーカー」という言葉が浸透したが、「ブルシットジョブ」とは、エッセンシャルワークの反対概念の仕事だと思って、間違いない。

 物流、販売現場、ごみの収集、インフラの維持、医療従事者、教育、介護、保育など、そういう人がいなくなると、たちまち、社会が動かなくなる仕事。それがエッセンシャルワーク。その反対ということは、無くても、別に困らない。いままでは忙しくそれで働いていたから、高給を取っていたから、社会的に認められていたから、仕事として何か意味があるのだろうと漠然と思われていたが、本当は、なくてもいいんじゃないの?という仕事。無意味だったり、むしろ、社会にマイナスだったりするんじゃないの。という仕事。その無意味さが、働く人自身の心をむしばんでいる。社会全体を病ませている。それがブルシットジョブ。

 そして、私のやってきた広告マーケティングの専門家、というのは、本書内では、ブルシットジョブの代表のひとつとして、しばしば取り上げられる。そう言われればその通り、私には、大いに心当たりがある。自分が人生の半分以上の35年間、その大半の時間、心血を注いできた仕事が「ブルシットジョブ」というのは、つらいかというと、いや、ここまではっきり詳しく分析してくれると、本当にすっきりといろいろと納得がいく、という気持ちの方が強い。心の中でわだかまっていた思いや、仕事人生の後半にもやもやと悩み続けたことが、ここまで明晰に分析されていて、ありがとうという気持ちである。心の宿便が全部出た感じ。

本文から少し引用。
「2017年の論文で米国の経済学者ベンジャミン・B・ロックウッド、チャールズ・G・ナタンソン、E・グレン・ワイルは、高給取りであるさまざまの職業にかかわる外部性(社会コスト)と「スピルオーバー効果」(社会的便益)について既存の文献を探査している。その目的は、それぞれの職業が経済全体に対し、どれだけの量(の価値)を追加しているか、あるいは差し引いているかを計測することは可能であるかを探ることにある。(中略)かれらの結論では、貢献度を計算できるもののうち、最も社会的に価値のある労働者は医療研究者であり、その職業についている人は給料一ドルにつき社会に九ドル分の価値を追加している。一方で最も価値の小さい労働者は金融部門で働いている人々だが、彼らは平均して一ドルの報酬につき社会から一・八〇ドル分の価値を差し引いている。

 分析結果は次のようなものである。
●研究者 プラス九 ●教師 プラス一 ●エンジニア プラス〇・二 ●コンサルタントとIT専門家 〇 ●弁護士 マイナス〇・二 広告マーケティング専門家 マイナス〇・三 ●マネージャー マイナス〇・八 金融部門 マイナス一・五」

「イギリスのニューエコノミクス財団のおこなった調査で(中略)「社会的投資収益率分析」と呼ばれる手法を用いて、三つの高収入の職業と三つの低収入の職業、合計六つの代表的な職業が検証されている。その結果を要約すれば、次のようになる。
●シティの銀行家-年収約五〇〇万ポンド、一ポンド稼ぐごとに推定七ポンドの社会的価値を破壊。
●広告担当役員-年収約五〇万ポンド、給与一ポンドを受け取るごとに推定一一・五〇ポンドの社会的価値を破壊。
●税理士-年収約百二十五万ポンド、給与一ポンドを受け取るごとに推定一一・二〇ポンドの社会的価値を破壊。
●病院の清掃員-年収約一万三〇〇〇ポンド(時給六・二六ポンド)、給与一ポンドを受け取るごとに推定一〇ポンドの社会的価値を産出。
●リサイクル業に従事する労働者-年収約一万二五〇〇ポンド(時給六・一〇ポンド)、給与一ポンドを受け取るごとに推定一二ポンドの社会的価値を産出。
●保育士-年収約一万一五〇〇ポンド、給与一ポンドを受け取るごとに推定七ポンドの社会的価値を産出。」

そういうことだ。

 いろいろ反論したくなる人はいると思う。想定される、というか、筆者か受けた様々な、あらゆる反論・異議に対する答えが、本書にはこれでもかという説得力をもって書かれているので、反発した人は、ぜひとも本書を読んでほしい。

 

 本書は、全七章からなるが、第五章までは、やや混乱した印象の本である。ちょっとわかりにくい、ちょっと変という印象を我慢して読み進めると、第六章で、劇的に面白くなる。そして、第七章冒頭で、あまりの凄さに仰天し、第七章後半、本の最終部分で、筆者が、この本の意義を歪曲矮小化されないように、最新の注意を払いつつ、提言をくっつける、という展開の本である。

ここから書くことの、およその目論見。

①これから読む人のために、第五章までの、混乱の原因を、僕なりに説明しておく。
②第六章の面白さとは、どういう類の面白さなのか、軽く説明する。
③七章前半の凄さとは何か。すごいところを引用する。
④七章後半、なぜ作者は、本の意義を歪曲矮小化されることを心配しているかを説明する。

①著者は、ブルシットジョブを明確に定義したり、いくつかの類型に分類して、議論が混乱するのを、なんとか避けようとする。しかし、読み進むうちに、私は、混乱する。筆者の定義も分類も、大事な点を説明し損ねているせいである。

「◇ブルシット・ジョブの最終的な実用的定義
ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

◇ブルシット・ジョブの主要5類型
1. 取り巻き(flunkies):だれかを偉そうにみせたり、偉そうな気分を味わわせたりするためだけに存在している仕事
2. 脅し屋(goons):雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素をもち、そのことに意味が感じられない仕事
3. 尻ぬぐい(duct tapers):組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事
4. 書類穴埋め人(box tickers):組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している仕事
5. タスクマスター(taskmasters):他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブをつくりだす仕事」

 こう筆者は定義、分類する。この論のために、調査を行っている。ばかばかしくて意味のない仕事をした体験談をツイッターを通じて募集して、250を超す証言を集めた。もうひとつは、本書のきっかけとなった2013年の初めの論文に対する、世界各国の新聞論説に対する反響を、そこで語られた体験談が掲載された124のwebサイトのテキストから、体験者、体験談を集めた。これらを分類整理した結果の定義と分類が、上記のものである。

 なのだけれど、その前に、もっとざっくりと、以下のふたつに分類する必要があると思うのだ。大きく異なるが、どちらもブルシットジョブなのだ、大きく異なるふたつのブルシットジョブがあるのだということを、どこかできちんと書いてくれないと、分からなくなる。分からなくならないまでも、もやもやと混乱したまま、本種の前半を読み進むことになった。

 ひとつは、実質、やることがあまりない、暇なのに、高いお金が払われるタイプのブルシットジョブ。本書の中でも、繰り返し出てくる。本当にやるべきことは一日10分くらいで終わってしまい、あとは、パソコンでゲームをしたり、SNSに書き込みをしたりしているのに、高い報酬が払われるようなホワイトカラーの仕事の例が出てくる。これは、「そんなおいしい仕事、ブルシットなの?」と思われるが、仕事のそもそもの量の少なさ無さと、すこしだけある仕事の無意味さ。それと不釣り合いに報酬が高い時、人間は精神的にダメになる。そういうタイプのブルシットジョブ。

 もうひとつは、大変な労力と時間がかかって、忙しくて大変なのに、そのやっている仕事に、何の価値も見いだせないというタイプのブルシットジョブ。

無意味だと本人が感じているのは同様なのだが、「ものすごく暇」なブルシットと、「ものすごく忙しい」ブルシットがある。

 僕の、広告業界での仕事で言えば、プレゼン資料を山のように作る、そのための調査を定量調査定性調査、大量にして、その分析に何日も徹夜をするのだけれど、それは、「一生懸命やった」ということを表現する、プレゼン資料の厚みを出すためだけのもので、誰も読まない、クリエーターも見向きもしないし、広告主も読みもしない。そんな資料のために過労死寸前まで働く、これは忙しい方のブルシットジョブ。

 忙しくない方のブルシットジョブは、会議で一言も発言するわけでもないのに、「原さんもこのプロジェクトに参加しているということをクライアントに見せることが大事なんですよ」と言われて、毎週、会議に参加して、座っているだけの仕事。それなのに、ずいぶん高い報酬が支払われる。「おいしいじゃん」と言われるかもしれないが、もう実際の仕事は若者たちが進めており、自分が用なし、時代遅れになったことを感じながら、一言も発さず会議で座っているだけの仕事は、心にこたえる。これは、暇な方のブルシットジョブ。

 そして、どちらにせよ、広告マーケティングの専門家、という職業自体が、忙しい方でも暇そうな方でも、とりあえず、広告主の社内承認のために、広告案にもっともらしい理屈をつけるという、ある種の儀式のために存在するわけであり、「いやあ、役に立っていますよ、いないと困ります」と言ってもらえたとしても、それは本当に必要なものなのか、心の中に何かもやもやとしたものがずっとあり続けた。

 変な話だが、私の両親は、私の仕事が何なのか、25歳で電通をやめた直後から、引退した今に至るまで、分かっていないらしい。「らしい」というのは、私には、面と向かっては聞かないのだが、妻に「正樹君の仕事というのは、何なんだっけ」とか「正樹君の仕事は、ちゃんと稼げているのかい」とか「正樹君はずいぶん最近、稼ぎがいいみたいだけれど、何歳くらいまで稼げそうなのかねえ」とか、事あるごとに聞いてきたのだそうだ。会議で資料を作ったり、それを説明したりすることは、電通の社員がすればよさそうなものを、なぜ電通をやめた私に発注するのか。それが、電通にいたときよりも高い報酬になるのか。どう考えても分からなかったらしい。

 「それでも、お金を払ってもらえるというのは、きっと何か、役に立っているのだろう」と、両親もなんとか納得しようとし、私自身も、何とか、納得しようとして30年もやってきたが。しかし、このもやもやが、私の心に何か、よろしくない滓のようなものを貯め続け、五十歳を迎えるころから「もういいかなあ、仕事は」と、妻にも周囲にも漏らすようになっていった。

 そして、友人の皆さんはご存じのとおり、政治とか文学とか、そういうことについて考えたり書いたりすることが多くなっていった。

 しかしまた、そういう「本当にやりたいこと、考えたいこと」と、お金を稼ぐ仕事の間の関係、というのが、自分の中でも、どうにも折り合いがつかないことはある。今でもある。

 ②そういう私のもやもやを、ものすごく大きな視野で解き明かしてくれるのが、第六章。どのようにブルシットジョブが成立し、増殖し、その中になぜ人は否応なしに巻き込まれて生きることになったのか。そのことを、歴史的、世界史的過程の中で解き明かしてくれる。『負債論』の筆者の面目躍如、という感じ。文化人類学者であり、歴史・哲学の深い知識を持つ筆者の縦横無尽の知性が、この六章に至って、がぜん発揮される。マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やマルクスの『資本論』、それよりさらに起源を遡りながら、労働価値や労働倫理の成立プロセス、ブルシットジョブが生まれる契機を発見していく分析は、抜群の面白さである。最終的に、「経営封建制」ともいうべき制度が、ブルシットジョブの増殖を不可避的に促進していることが明らかにされる。

 ③第七章最終章、「経営封建制」とそれがもたらすブルシットジョブが、現代社会にみられる様々な経済的、政治的分断、問題の原因となっていることを解析していく。そのメカニズムを描写する筆致の鋭さは、圧巻。日本で言えば「世田谷自然サヨク」、この本ではリベラルエリートと呼ばれる社会階層と、右派保守派の対立。その右派保守派が、リベラルエリートを批判すると同時に、生活保護受給者のような社会的弱者を自己責任論で攻撃する理由。リベラルエリートと、黒人などマイノリティが結託しやすく、白人ブルーカラー層がそれに反発する理由。欧米でも日本でも見られる政治的分断対立と、「ブルシットジョブ」を増殖させる経営封建制の関係が、きわめて精緻に分析される。軍についての政治的、社会的評価のされ方、日本で言えば自衛隊への右派左派からの評価のされ方のメカニズムも、きわめて説得力が高い。

 ④個人のレベルでの心を病ませるだけでなく、社会全体の政治的分断をもたらす経営封建制を解決する方策への見通し、提言で本書は終わる。端的にいうと、ユニバーサル・ベーシックインカムの可能性についての言及である。筆者が、ここで危惧するのは、ベーシックインカムという政策を提案するために、この書が書かれた、と思われることである。ベーシックインカムの有効性の議論に、本書の意義が収斂してしまうことを拒否する言葉で、本書は終わる。また、ベーシックインカムを財源論で語るならば、それは、また別の分析、論が必要だと語っているが、それは、筆者のもうひとつの主著『負債論』であろう。

 つまり、本書と負債論のふたつの主著で、現代社会と、そこに生きる人の閉塞した状況を打破する見取り図を、全体として描く、という、きわめて大きな、野心的な試みなのだと、私は読んだ。21世紀における、社会変革理論のスタートとしての、労働と人生をめぐる基本理論の書として、本書は書かれているのである。

 というわけで、『負債論』と本書『ブルシットジョブ』は、21世紀の経済と政治の変革、人間解放のための最も重要な論となると思うので、分厚くて、値段も高いけれど、必読書ですよ。読んでない人とは政治の話、したくなくなる、というタイプの本でした。感想、おしまい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?