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戦争はどうやったらなくなるのだろう。その3。別に回し者ではないのだが、BSフジのプライムニュースと、その反町理キャスターのことを分析しながら、大切なことを考えたので。

 いつも取り上げるBSフジ プライムニュースと反町理氏について書くのだが、特定の回についてではなく、報道解説番組のことだけではなく、民主主義社会における議論の仕方、報道の在り方、そういう本質的なことについて、思うことをつらつらと書いていきたい。すごく大事なことだと感じていることである。

 比較対象があると分かりやすいので、BS TBSの報道1930と、キャスターの松原耕二氏のことを反面教師的に使わせてもらう。対比のために、ちょっと極端に悪者になってもらっている。ごめんなさいね。あらかじめ謝っておく。

 ウクライナでの戦争が始まる前から、コロナでの引きこもり生活が始まったころから、全チャンネル全番組録画機でだけでなく、番組指定録画でこの2番組はもれなく録画していて、その録画したのを半分以上は見ている。リアルタイムで見なくても、その多くを視聴している。

 プライムニュースの際立った特徴は、あるテーマについて、対立した意見を持つ人を呼んで、それそれの主張を遮ることなく主張してもらい、それを反町氏が整理しながら進行するという、「ニュース解説」と「討論番組」を合わせたような構成を取ることが多い、ということである。

 今週木曜日の「与野党に問う防衛装備移三原則“緩和”と政府の姿勢」では、自民党から元防衛大臣・小野寺五典氏(自民党安全保障調査会長の立場として登場)、立憲民主党の前政務調査会長 小川淳也氏が隣り合って座り、反対側に東京大学公共政策大学院・鈴木一人教授が座る、という面白い座席位置。この回、鈴木教授はオブザーバー的に発言は控えめで、小川氏がおそらく与えられた時間配分を超えて思う存分話をする、という回であった。

 フジテレビという局の性格をふつう考えれば、与党小野寺氏と、政府側意見にきわめて近い鈴木氏がたくさん意見を言うように番組をつくりそうなものだが(NHKの日曜討論なんかは露骨にこうなるから、短い時間で頑張ろうと野党側の語り方レトリックが強くなり、お互い言いたいことだけ言って「討論」にまるでなっていないことが多い。)この番組だと、政府やフジテレビと反対側のゲスト、この回で言えば小川淳也氏により多く語る時間を配分する。立場ごとの人数が1vs2だった、ということもあるが、小川氏は言いたいだけ発言し続けた。反町氏も、出来る限り、その発言は出来る限り遮らないようにしていた。(それにつけこんでテーマと関係ない所にまで小川氏の話が広がると、そこはさすがにツッコミを入れていたが。)

 この回に限らず、反町氏は自分の理解や意見、あるいは事前の「この人はこういうことを言うだろう」という予測と違う発言をゲストがすると、「こういうことなんですかね」と、一生懸命、理解しようという姿勢を示す。

 そして、そういう番組の方針と反町氏の態度は、出演者にも良い影響を与える。

 例えばこの回でも、小野寺氏は、出来る限り小川氏の意見を聞いて理解しようとする態度を繰り返し見せた。

 「論破」がゴールではなく、相手の意見を理解した上で、共通点・合意できる点がないかをさぐりつつ、相違点をあぶり出していく。相手の人格を攻撃するよう議論はこの番組ではまず起きない。相手の立場やこれまでの実績を尊重しようという姿勢が出演者に共有され、そういう場の雰囲気が醸成される。

 これは、番組の基本方針と反町氏の能力とキャラクターのおかげである。

 番組の方針とキャスターのキャラクター、という点で、報道1930は非常に対照的なものに思われる。

 ここから先は、視聴者としての、私の視聴していて想像した、私の意見である。本当に報道1930とプライムニュースがこういう方針で作られているかどうか、全く根拠・エビデンスはない。「それはあなたの感想ですよね」というツッコミに、あらかじめ答えておく。「はい、これは私の感想です。」

 ただし、これは長いこと私のやってきた仕事の経験に基づくものでもある。例えば、テレビCMには、そういう表現をクリエーターが考えるもとになった企業側の戦略、マーケティング戦略がある。タレントの選定からコピー文言の細かな細部にも、映像のトーン&マナーについても、すべてにマーケティング的な意味がある。戦略の裏付けがある。

 しかし、競合他社のマーケティング戦略企画書そのものを入手することはできない。だから、私のような戦略コンサルは、競合他社のTCVMの表現を分析することでその背後にある競合のマーケティング戦略を微細な点まで分析、予想する。その能力が「普通でなかった」ために、私は30年以上、広告業界で生きてこられたのである。表現されたものから背後にある戦略を予測構築する。ということはできるのである。ある程度の精度確度で。

 ここ数年、報道1930とプライムニュースを見続けた結果、読み取れる「番組の戦略」を書いていこうということである。

 おそらく「報道のTBS」としてのブライトが高い「報道1930」においては、「この番組で、私たち(番組スタッフ)が伝えたいこと、主張は何か」を毎回企画会議で突き詰めるのだと思う。それが極めて重視されている。その突き詰めた「ストーリー」とか「主張」に沿って、番組の全ての要素は揃えられていく。基本情報を整理するボード。VTR。ゲストもその主張に沿った人が呼ばれ、番組意図に沿ったコメントを引き出すように松原MCが質問、進行していく。「ストーリーありき」であり、ゲストがその筋からやや脱線したりしすると、松原氏がすかさず修正し、番組の意図を確認するようなまとめを入れていく。

 だから、つまらないのである。私には。

 逆に、だから、真面目な人にはウケがいいのである。自分と同じ主張をちゃんと分かりやすくしてくれると感じられる視聴者には、「ちゃんとした番組だ」と評価されるのである。正直言えば頭が固い人向けの番組の作りである。

 でも、僕にはつまらないのである。

 これと比較すると、プライムニュースの番組方針と反町氏の番組進行は全然違う。

 もちろんこの番組でも、ボードをたくさん用意する。出演者に事前に取材したり依頼されたものと、番組独自にその回のテーマの、それまでの経緯や要点を整理したもの。

 なのだが、反町氏は「叩かれ台」としてこうした整理ボードが使われることこそ、役割だと割り切っている。MCとしての自分の意見も、番組が用意したボードも「叩かれ台」だと割り切っている。局側、番組側の主張やストーリー、局が想定した(局が、反町氏が事前に理解できたところまでの情報などは)番組の中で、ゲストによってコテンパンに否定され、より深い、より高度な情報、議論へと発展していくための叩かれ台だと考えているのである。

 反町氏の特徴は「情けなく頭をかきながら、顔を赤くしながら、こういうことじゃあないんですか」とゲストに質問しては、否定されたり怒られたりする。

 頭の固い(または頭の悪い)視聴者は、こういう反町さんの態度を批判する。番組YouTubeのコメント欄にもそういう意見がけっこうある。

 しかし、僕の見るところ、反町氏は、その情けなさげな振る舞いも自分の強みとして利用しているし、その場で新しく知った概念や情報を素早く整理して自分の言葉にして、ゲストに確認するという、おそろしく知的な作業を正確にする。頭の回転が素晴らしく速い。おそらく頭の回転の遅い人にはそのように反町氏の頭脳が超高速回転していることが分からず、情けなさげに「そうですかあ。ポリポリ」みたいなことだけ印象に残るのであろう。

 反町氏はその能力を全開にして「そうだとするとこういうことなんですかね」と、番組の中で、自分の理解認識が変化したことを、すばやくまとめて、ゲストに質問していく。これがこの番組の最大の魅力である。

 これを、政府政権寄りのゲストに対しても、反対側の立場のゲストに対しても、差別せずに同じようにしていく。

「番組企画段階のストーリーにあくまで固執するTBS報道1930の松原氏」と「自分を叩かれ台にして、より深い情報をどんどん引き出していく反町氏」、どちらが番組として面白いか、どちらがキャスターとして優秀か、というのは、これは僕の個人的な感想としては、言うまでもない。だいたいにおいてTBS、報道1930が事前に作ったストーリーというのは、専門家に聞くまでもなく、普通に世界のニュースを見ていれば分かるようなことであって、あの番組を見る前と見た後で、何かについて「認識が改まった」というようなことはあんまり出てこないのである。

 一方、プライムニュースでは、「そういう、普通にしていれば分かる事」までを反町氏がその立場として代表しつつ、それが否定され、新しいものの見方、情報で更新されていく、ということが頻繁に起きるのである。

 このため、自分の意見立場を変える気のない視聴者には著しく評判が悪い。「政府寄りの意見しか聞きたくない人」その正反対の「反政府寄りの意見しか聞きたくない人」どちらにも評判が悪い。

 ネトウヨ君的思考の人は、反政府寄りのゲストが出た日には、ツイッターで「今日のプライムニュースは××が出ていてクソだった」みたいな全否定の意見を書き散らかす。SNSの悪影響としての「エコーチェンバー」、自分と同じような意見ばかりが表示され、意見がさらに狭く強化されていくことが言われるのだが、プライムニュースはそれと正反対の性格の、得難い番組なのである。エコーチェンバーを報道期番組にも求める人には、左右両方から評判が悪いのがプライムニュースなのである。

 ちなみに、BS日テレの「深層NEWS」は両者の中間的性格のように思えるが。感想から分析できるほど真面目に見ていないので割愛。

 この三番組、ゲストの顔ぶれはけっこう被る。たとえば最近、元・自衛隊陸将の山下裕貴氏という方が、プライムニュースでものすごく面白かったので、他のふたつの番組にも呼ばれるのだが、プライムニュースに出た時ほど、他の番組では面白くない。この方の個性こそ「普通の人は言わないことを言う、局の事前ストーリーをぶっ壊すようなことを言う」点にあるので、それを許容できるのがプライムニュースだけだと思うからである。

まとめた上で、もうすこし大きな話をします。

 プライムニュースは、今、日本のテレビの電波に乗っている報道系の番組の中で、いちばん幅広いゲストを呼び続け、しかも同じ回に対立する立場の人を呼ぶことも一番多い。

 それなのに、議論を罵り合いには決してせず、あるいはそれぞれの意見をただでかい声で言いっぱなしにもしない。

 それぞれの意見立場の「聞けば納得できる点」をあぶりだし。「それでも譲れない対立点」を明らかにしていく。そういう議論をしながら、「相手の人格や立場を尊重する」という姿勢を、ほとんどの出演者がきちんと保持する。

 これはテレビの報道討論番組で稀有なだけでなく、日本の政治の場においてもほとんどない。国会での与野党の質疑なんかでもも、共産党の大門氏と自民党麻生副総理が財務大臣だったときの予算委員会質疑なんかで見られたくらいである。

 戦争というのは、つきつめると、自分と政治的意見利害の違う相手(その集団の構成員)を、敵として認識し、敵であると認識してしまうと人間だとは思わずに徹底的に存在を(生命までも)全否定していいとなってしまう、人間のそういう特性によって起きる。「鬼畜米英」も「プーチン悪魔、〇ね」も同じである。何千年も変わらない。文字通り、鬼や畜や悪魔であれば、人間にはできないこともしていいと感じる。映画「ロード・オブ・リング」シリーズで敵のオーク(小鬼)たちは、醜い外見で人間の仲間とは思えない。ので、主人公側のエルフとドワーフの仲良しコンビが、敵のオークを何人殺せるかを競い合うシーンを見ても「やれやれもっとやれ」と思えてしまうのである。あの映画で「味方、正義の側は人間、エルフ、ホビット、ドワーフ、それぞれ人間らしく、敵の側は醜く、ケダモノっぽく」描かれ、醜くケダモノっぽい敵方はどれだけ残虐に殺しても心が痛まない、それが現実世界の戦争では、人間同士で起きてしまうのである。米国が広島に原爆を落とすことに躊躇がなかったことも、中国で日本兵が仲間と競って中国人捕虜の首を切った数を競ったのも、今、考えると恐ろしいことだが、戦争中にはそのように心が働いてしまう人が、全員とは言わないが、一定割合生じるのである。

 戦争をなくすには、どれだけ政治的意見が異なる人間も、敵対して対立位置遠くに座るのではなく、小野寺五典氏と小川淳也氏がそう座ったように隣り合って座り、意見はほぼ受け入れられなくても「この人の立場と考えでは、こういうことなんだな」と理解をし、「存在・生命までは否定しないで共存の道を探ろう」と飲み込む、ということが必要なんだと思う。

 そのような関係を構築するには、反町氏のような、情けなく頭をかきかき「もしかしてこういうことですか」と双方の意見を、双方に分かる言葉で言い直しながら仲介する人が必要なのだ。対立する立場の人が、お互いの意見をまずは納得できるまでとことん言える場を作ることが必要なのだと思う。

 「報道の役割は政権・権力の批判と監視だ。」と言う人にはTBSの報道の方が評価は高い。ということは重々わかってはいるけれど、僕はBSフジ、反町氏のやり方が好きなのである。戦争はどうやったら終わらせられるのか。そういうことを考えるヒントになると思う。

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