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『冗談 』ミラン クンデラ を読んで。小説として抜群にうまい、上質。そして、その時代と社会、タイミングめぐりあわせが、偉大な小説には必要のね。と

『冗談 』(日本語) 単行本 – 1992/6/1
ミラン クンデラ (著), Milan Kundera
(原著), 関根 日出男 (翻訳), 中村 猛 (翻訳)

Amazon内容紹介
「すべては〈冗談〉から始まった…。男と女の悲喜劇を主奏に織り成される長大なロンド。中央ヨーロッパが生んだ20世紀文学の傑作、クンデラ文学の頂点。」

ここから僕の感想。
岩波文庫から新訳も出ているみたいなのだけれど、これは、1992年に日本で初めに出た方の、単行本。僕は1995年に買っていたのだが、読まずにずっと本棚にあった。「ブックカバーチャレンジ」で、本棚を見ていて再発見。

というわけで読んだらまあ、これは大傑作でした。なんというか、「面白かったよー」というようなレベルではなく、「死ぬまでに必ず読んだ方が良い本」でした。頭が元気なうちに、読めてよかった。

その後の『存在の耐えられない軽さ』は、プラハの春のころのことをフランスに亡命した後発表したのに対し、これは、プラハの春の前、1965年ころに書かれ、当時本国で発表されている。そして、プラハの春以降、本国では発禁になっていた。

大戦後すぐから50年ころの、共産化する時代に、青春の、若気の至りの失敗というか挫折。その後の人生を、1965年現在から追想しながら描いていくのだが。

テーマとか、描かれた時代とか社会とか、そういうことも大事、重大なのだが、何より小説として、うまい。複数の人物のばらばらに見えたエピソードが、次第に関連が明らかになっていき、クライマックスに向かっていく。どの人物の、どのエピソードも、リアリティと、小説というフィクションであることの面白みが最適に配合されている。「そうだよねえ」と「それは小説だからこそ」のバランス。悲劇と喜劇の混淆。小説として最上級に上質。

テーマ内容について言えば。チェコスロバキアという国の歴史と文化、だけでなく自然、風景も含め、1940年代後半から1960年代半ば、共産化する中で、伝統文化と、共産党支配と、キリスト教と、西欧的個人主義と、それらがどういう相互作用を、社会とそこに生きる人の人生に影響を及ぼし翻弄したか。

小説家の腕前だけでなく、時代と社会の置かれたタイミングというのが、偉大な小説を生み出すには、かなり重要な、運命的条件になると思う。戦後の共産圏というのは、そこに生きた人の条件の揺れ動き方として、(そこに生きていた人の幸せとは別の問題として)、傑作の揺り籠になっていると思う。(国もジャンルも違うけれど、旧ユーゴの映画作家エミール・クストリッツァのような映画が、ユーゴの戦後の歴史・社会からしか生まれないだろうなあ、というのと似た感触が、この小説にはある。チェコスロバキアの、この時代と社会からしか、生まれない強さがある。)

一方で、人間に普遍の、青春期の過ちを、若さを失う30代後半に、振り返りつつ、なんとか決着をつけようともがくという、この年齢なりの人生の折り合いのつけ方、ということについては、今度、ちゃんと文章を書かなければなあ。というか、この小説ではなく、ほかのいくつかの小説で、そのテーマについて考えていたちょうどこのタイミングで、この小説に出会ってしまうというのも、なかなかびっくりでした。

この単行本、この翻訳は、もう古本でしか手に入らないみたいですが、岩波文庫で新訳が読めます。これはお勧めというか、冒頭にも書きましたが、死ぬまでに、読んでおいた方がいい本だと思います。

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