巣ごもり期間の使い方。 たたただ怒りを募らせるのでも、もちろん「批判せずに心を一つに」なんかでもなく、これから来る未来について、深く考える。今までの生き方を振り返り、どう変わるべきかを考えよう。
まずは、毒を吐き出し切ろう。
バカがいやなのは、正しいことにたどり着くのに時間がかかり過ぎるから。本質的なことを考えられず、表層的な些事に目を奪われ、本質的な議論ができない。
私の怒り。
一か月半前、全国一斉休校の時点で「社会経済をいったん止める、そのために休校とともに両親のいずれかが仕事を休む。その経済補償はする。子供が無くても収入が減る人には素早く3月末までに直接給付する」までを一気に言えていたら、こんなバカなことにはなっていないのだ。「社会経済を止める」と「感染拡大を止める」の本質的関係を議論できないバカ政治家バカ官僚が、いちばんの問題だったのだ。
妻の怒り
その⑴ そのずっと前、中国で第一報が出た時から春節までの間に、「中国全土からの入国禁止措置」「空港検疫の強化」をしていたら、こんなバカなことにはなっていないのだ。
その⑵ コロナを診る病院と絶対診ない病院を分ける。検査をしての軽症者・無症状者を、病院ではなく収容する隔離施設を造る。これだけやれば、院内感染は起きない。医療崩壊は起きない。
その⑶ 医療資材の増産がなぜ、今からなのか、全く分からない。2月の半ばの段階で、もうマスク不足は深刻だったのに。
これらのことを、二月中には夫婦で毎日話していたし、その一部はnoteで二月末から三月頭に書いている。(ので、僕ら夫婦は、本気で怒る権利、バカは嫌いだ、と怒る権利があると思う。)
一か月半から二か月くらいかかって、ようやく私たちが言っていたあたりまで政治、メディアの議論が来た。もちろん今後も情報を集め、厳しく監視し、批判すべきは批判するが、「今」だけでなく、「未来」をどう考えるか。そのことの方が、今の私たちにできることとしては大事だと思う。
ここまで、コロナ対応で、日本は、相当、ダメダメだった。それは、ここまでの日本社会が、いろいろ問題だらけだったからだ。コロナから回復したときに、「元のダメダメ日本社会」に戻ろうとするのか?そんなんじゃ、ますます世界との差が大きくなる。世界は、コロナ危機以降、大きく進化変化しようとする。そんなコロナ危機以降の世界の中で、日本社会だけが「ダメダメなもとに戻ろう」としたら、日本社会は本当の地獄、世界の孤児になる可能性がある。
ここからが本題。
コロナ収束以降、世界が本格的に変わっていくことに向けて、今、私たちに、何がどうできるかを考えようという話をしたい。
ETVの、アタリ氏の「命の産業」を中心とした「ポジティブ経済」への転換。そのことを、今、時間があって、家にこもっている心ある(そして幸運にも比較的経済的にも余裕のある)人たちは、本当に真剣に考えなければいけないと思う。単に「早く元に戻れ」ではダメだ。せっかく、日本社会の、自分の今まで信じてきたやり方が、いろんなことがダメダメだ、間違っていたと気が付いたのに、単に「元に戻る」を望むの?
再度、アタリさんの言葉を引用します。
「私は人類すべてがこの戦いに勝てると考えています。自分たちの安全のために最善を尽くし、世界規模で経済を変革させていくことができればきっと勝てるでしょう。今の状況は私が「ポジティブ経済」と呼ぶものに向かうとても良いチャンスだと思っています。ポジティブ経済とは、長期的な視野に立ち、私が「命の産業」と呼ぶものに重点をおく経済です。生きるために必要な、食料、医療、教育、情報、研究、イノベーション、デジタルなどの産業です。生きるのに本当に必要なものに集中することです。」
「ただし、長期的にみるとこのままでは勝利は望めません。経済を全く新しい方向に設定しなおす必要があるのです。戦時中の経済では自動車から、爆弾や戦闘機へ企業は生産を切り替えなければなりません。今回も同じように移行すべきです。ただし、爆弾や武器を生産するのではありません。医療機器、病院、住宅、水、良質な食糧などの生産を長期的に行うのです。多くの産業で大規模な転換が求められます。はたして私たちにできるかはわかりません。パンデミックの後、人々が以前のような行動様式に戻ってしまうかもしれませんから」
一人一人が、コロナ以前の自分の生活を、コロナでの自宅にこもる中で思い返し、「あれは間違っていた、無駄だった、悪だった、あれはコロナが解決しても元に戻すべきではない」ということをしっかりとあぶりだす。それをやめる代わりに、こういうことを始めよう。そういう計画をする。この巣ごもり期間を、単に暇つぶしと気晴らしをどうしよう、と考えるのでなく、そのような大きな転換のための、芋虫が蝶にかわるための、繭にこもっているメタモルフォーゼの時間として活用しなかったら、それはバカだと思う。
すごく具体的なことなのだ。たとえば、いままで高齢者が惰性と社交のために病院に、必要以上に通院していた。今、コロナ感染が怖くて、高齢者は全然病院に行っていない。「医療崩壊」が危惧されているが、それは入院患者の診療に関してであって、外来診療は、今、患者が来なくてガラガラだ。
今まで、高齢者は不要な通院で社会保障費を無駄に支出させていたのだ。むろん、遠隔診療が認可されていなかったのも大きい。患者だけの責任ではない。そういう無駄な診療、無駄な投薬で、製薬会社も病院も儲ける構造になっていたのだ。
コロナから回復して、また無用な社交の場に病院を戻してはいけない。無用な投薬で医療費を膨らませてはいけない。遠隔診療と院外処方に何割かの高齢者が移行するだけで、社会保障費が大きく削減されて、その分が、若い世代の子育てや、大学教育の復活に予算を回すべきだろう。
満員電車での通勤も、コロナから回復しても、もとに戻すべきではないだろう。今回、リモートワークで済んだことは、コロナ回復後も済ませるようにしよう。ハンコが必要、窓口に出向くことが必要な行政手続きは、どんどんweb経由で完結するように変えよう。無用な人の移動を減らせば、エネルギー消費も減る。中国やインドでコロナ危機で大気汚染が改善したように、日本でも無用な移動の削減はポジティブな変化だ。
現役世代も、風邪だなと思ったら、躊躇なく会社や学校を休む。他人に感染させないために。しっかり休む。しばらくはリモート勤務や、web授業で、自宅から仕事や学業に復帰。しっかり治ってから通勤通学を再開。それでいい。それがいいという「病気で休むの当たり前」学校職場文化に転換する。こういう軽症の時の通院も、遠隔診療があればいい。
何かというと飲み会をしてバカ騒ぎというのも、本当に必要だったの?これは酒を飲むのが嫌いな僕のバイアスがかかっているけれど。あれが嫌いで、コロナ危機で、ああいう時間の無駄に付き合わされなくて済むようになって、よかったー、と思っている人も多いんじゃないの。
僕の個人的なことでいえば、町内会、自治会という老人ひまつぶし、隣近所を監視、干渉して意地悪悪口を言い合うだけの活動なんて、9割がた不要だということが、この数か月で、みんなわかったんじゃないだろうかと思う。本当に必要な「防災への備え」程度に、活動は削減できる。
給付問題に付随して、「世帯」単位で行政・政策を考えることが時代遅れなことが、みんなわかった。「モデル世帯」を想定して政策立案しても、合わない人がたくさん出てくる。そうではなく、すべてを「個人」ベースで考えるように、行政・政策も転換していくべきなんじゃないか。そう考える人が増えれば、昔の古臭い家族中心主義に回帰しようとする日本会議なんて、力を失って、どこかに消えていくんじゃないのか。
この巣ごもり期間に、「どうしても必要なこと、復活させたいこと」「もう二度と戻りたくないこと、やめてよかったこと」「新しく始めたいこと」を自分の中で仕分けをする。自分個人のことでも、社会の仕組みのことでも、仕事のことでも、なんでもいい。いろんなレベルで、考える。それを家族と話し合う。家にこもっている期間を、そういうふうに使うことを提案します。
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