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『滅ぼす』 ミシェル・ウエルベック (著), 野崎 歓, 齋藤 可津子 , 木内 尭 (翻訳) ウエルベックの最高傑作という本の帯に偽りはないが、それ以上に、ウエルベックが彼固有のシニカルなスタイルは維持しつつも、人生の幸せとか美しさについて、テレながらも真正面から描こうとしたことが画期的でした。

『滅ぼす』 2023/7/26
ミシェル・ウエルベック (著), 野崎 歓 (翻訳), 齋藤 可津子 (翻訳), 木内 尭 (翻訳)

上下巻読み終えた。以下ややネタバレあり。大ファンで読むこと決まっている人はどうぞ私の感想読まずに迷わず買うべし読むべし。大傑作です。

Amazon内容紹介

「謎の国際テロが多発するなか、2027年フランス大統領選が行われ、経済大臣ブリュノと秘書官ポールはテレビタレントを擁立する。社会の分断と個人の幸福。フランス発の大ベストセラー。」

本の帯、上巻

「フランスでは発売即30万部の大ベストセラー!!!
『読みだしたら止まらない』---リベラシオン紙
 
2027年大統領選を舞台に、現代政治とポピュリズム、謎のテロ組織と陰謀論、家族と夫婦の価値観の崩壊など、゛世界を覆うさまざまな問題を含み込んだ、ウエルベック最大の長編!!!」

本の帯 下巻

「世界30カ国以上で翻訳刊行!!!
『真のページターナー』===フィガロ・マガジン誌
大統領選が山場を迎えるなか、ポールの家族をいくつもの衝撃が襲う。『素粒子』『地図と領土』『服従』など、世界のダークな終末を予言し続ける鬼才の最高傑作、ついに翻訳刊行!!!」

ここから僕の感想。

 これから先、この本のことを何度も考えて、何度も長い感想文を書くことになるなあ、ということ確実な、なんというか今とこれからの僕にとって切実な問題ぎっしり満載の大傑作でした。誰にとっても傑作なのかと言われればそれは分からないが、僕にとってはそうなのである。

 上の内容紹介からは、「テロと大統領選」というものを扱ったサスペンス小説みたいだけれど、親の介護とか夫婦の危機とかそういうことをめぐる兄弟姉妹家族の関係問題とか、自分と家族の病気とか、家族の問題、愛と性と死の問題が中心で、そこに宗教とか仕事という家族構成員それぞれの抱える問題があり、この小説では主人公や家族ににとっての仕事の領域が「政治」とか「テロ捜査」に関わっている。という全体バランスなのである。

 ここ最近、東浩紀におけるハンナアーレントとかルソーとかの「公、政治の問題、言葉」と「家、家族、私領域の小説の言葉、文学の問題」について僕がずっと考えていたことと、ここ数年自分や家族に起きたことが深く重なっている核心的問題について、ウエルベックが、ものの見事なストリーテリングで帯にある通り本を置くことが出来ないような展開で、しかもそこに挟み込まれる主人公の思索、それを言語化するウエルベックの思弁的な叙述が挿入され、これが見事にブレンドされているのである。

 そしてこれまでウエルベックの小説の特徴としてどうしたって気になった、ものすごくあけすけ赤裸々な性的描写、その描写の背景にある、女性を物のように性的道具として扱うようなそんな女性観のようなものが、この小説ではかなり変化している。小説冒頭では登場人物ほとんどの夫婦婚姻関係はほぼ破綻状態なので、そうしたことに対して今までのウエルベック通り、極めてペシミスティックかつ虚無的立場で描いていくのかと思いきや。思いきやなのである。下巻に入り、破綻した登場人物たちは、あるものは関係修復し、あるものは新たな素晴らしいパートナーを得る。そのウエルベック的には進化変化した女性観、そこから造形される女性たちもまた、フェミニストからはすごく批判されそうなのものなのだが(男性の勝手な期待を投影しているだけじゃないかとか)。(話はちょっとズレるが、イギリスにおいて常に時事的問題を取り込みながら純文学のヒット作を連発するその国一番のベストセラー作家という、ウエルベック的ポジションにいるイアン・マキューアンも、小説の中でフェミニズムを辛辣に批判するような描写をすることがよくある。アメリカや日本の純文学がポリコレ的批判を先回りして回避するためか、自分はそういうことに敏感で分かっていますよ、というようなサブ人物や挿入的エピソードをどの作品にもしっかり組み込んでおくということが最近は多いように思うが、ウエルベックもマキューアンも、その点では自分の考えについて、そうしたポリコレ配慮的社会や言論をめぐる情勢に対し、自分の価値観をそのまま作品に書いているなあ、と思う。この小説で肯定される女性像については、フェミニズム批評的には議論や批判が起きるのではないかと思う。が僕の立場と考えはウエルベックに重なる。)
 
 夫婦の愛、性、親子、介護、病気と医療と死の迎え方、それにまつわわる兄弟姉妹、その伴侶。こういうかなり日本人にも身につまされる問題に、フランスの政治や制度、移民や宗教やというフランス固有の事情がいろいろ絡まってくるのである。日本人とはずいぶん違うなと言う点と、全く同じだなと言う点が合わさって、自分のことをあれこれ考えてしまうのである。

 小説が(エンターテイメントではない純文学の小説が)何を描くことができるか、ということの現代における最先端にウエルベックという作家はいて、そのウエルベックの疑いもなく最高傑作だと思う。読後感が似ているのは、三島の『豊饒の海』かなあ、いやジョン・バンヴィルの『コペルニクス博士』かも。イシグロの『忘れられた巨人』かな。なんというか、大きな公的状況(政治やテロや)に対して、一人の人間の人生はそんなに大きくは関われない。小さく無力である。結局は病か老い、あるいはその両方を得て人は死に向かう。そのとき一番近くにいてほしいのは、人生を通じて、愛と性で、つまりは心と体の両方の関係において深く結びついてきたパートナーである。今までのウエルベックは「結局人間は一人で死んでいくのである」という立場だったと思うのだが、本作は、そこのところが、大きく違うので読後感がずいぶん違う。死に向かう過程で人がどう生き何を思うかについて、「幸せ」についてウエルベックが初めて真正面から描こうとした作品だと思うのである。その作品になぜ『滅ぼす』aneatirというタイトルを付けたのかしら。最後の一行の意味を考えながら、これから何度も、きっと死ぬまでに何度も読むことになる。そういう小説でした。

ちょいと追記

この小説を読みながら、ずっとこの本のことを思い出していた。フランス人の特に知的エリート層のものの考え方が、日本人とも、日本人がグローバルスタンダードだと思っているアメリカ人とも全然違うことを、学校の小論文教育の比較から考察していく本、その読書感想文note


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