見出し画像

『ブッチャーズ・クロッシング 』ジョン・ウィリアムズ (著),アメリカの精神の原風景というか原型というか。自然との向き合い方も、日本人とは全然違う。あとね、カンザスについて、いろいろ初めて知りました。

『ブッチャーズ・クロッシング 』2018/2/26
ジョン・ウィリアムズ (著), 布施 由紀子 (翻訳)

Amazon内容紹介

「『ストーナー』で世界中に静かな熱狂を巻き起こした著者が描く、十九世紀後半アメリカ西部の大自然。バッファロー狩りに挑んだ四人の男は、峻厳な冬山に帰路を閉ざされる。彼らを待つのは生か、死か。
人間への透徹した眼差しと精妙な描写が肺腑を衝く、巻措く能わざる傑作長篇小説。」


ここから僕の感想。


 カンザス州というと、オズの魔法使い、竜巻?くらいしか思い浮かばないのだが、この小説を読みつつ、例によって舞台となる場所については、Wikipediaとグーグルアースで勉強しつつ、読んでいった。


 カンザスという地名は、西洋起源の言葉かと思っていたのだが、ネイティブアメリカン(インディアン)のカンサ族の名前を由来とするのだそうだ。

 アメリカが建国された初めの頃は、まだスペイン領→メキシコ領だったり、なんだかんだあった後、19世紀前半にアメリカ領になった後、東部から追い出されたネイティブアメリカン多くの部族が移住させられる準州となっていた。それが、「やっぱり白人の開拓地にする」となって、ネイティブアメリカンをどんどん追い出していく。

 で、南部からの奴隷制支持派と、東部からの奴隷制反対の人たちが両方入植してきて、激しく闘争、虐殺事件なんかが起きる。南北戦争の前哨戦のようなことが全米で初めに起きた州なのである。(州としては北軍側なのだが、南軍側支持の組織も活動し続けている)


 というわけで、まず、ネイティブアメリカンがものすごくたくさんいて、次に開拓民がきて、奴隷制支持者も解放派もいるという、アメリカの歴史が全部、煮詰まっているような、そういう州なのだそうだ。名作「大草原の小さな家」シリーズも、カンザスが舞台、多くの西部劇もカンザス州が舞台、なのだそうだ。『オズの魔法使い』も、単なる童話ではなく、それぞれの方角の魔女、ライオン、木こり、かかし、魔法使いの正体の小男など、それぞれが、アメリカの中の社会階層や政治勢力をキャラクター化擬人化したもので、当時の政治状況を風刺したものなんだそうだ、実は。


 そういうものが生まれる舞台としての、カンザス州ということを、まず、この小説を読み始める前に、ざらっとお勉強してから、読み始めた。


 そして、この小説の時代は、南北戦争後。バッファロー狩りがピークを少し超えて、カンザスの大平原、プレーリーからはもうバッファローの大群が減ってきてしまった。それでも毛皮商人はハンターたちを雇って、バッファローを狩り尽くそうとしていた。


 主人公は、東部、ボストンの、在俗司祭の息子の青年、アンドリュー。叔父の遺産を手にした彼は、ハーヴァード大学を中退して、「自然の中で自分探し」みたいな感じで、カンザスシティよりさらに西にある、カンザス州の架空の田舎町にたどり着く。そこで、一匹狼で狩りをするミラーに出会い、コロラド・ロッキー山脈山中の隠れ谷に、まだ残っているというバッファローの大群を狩りに行く狩猟隊に参加する。


 ちょいと前、「イン トゥ ザ ワイルド」という映画があって、ベトナム戦争くらいの時期を舞台に、インテリ青年が、自然の中での生活を求めて行ったり来たりして、アラスカの山中で冬を越そうとして死んじゃう(あ、ネタバレ)というのがあったが、あれを思い出した。

  訳者の解説で詳しく説明してくれているのだが、アメリカのインテリ青年の中にある「自然の中で自分を見つけようとする」というのが、「アメリカ自然思想」という流れとしてあるのだそうだ。エマーソンという思想家がその源流で「自然の中で自己の存在の根源を、何物にも妨げられることなく見透かす体験をし、自然との一体感を通じて神を体験する」みたいなことを書いて、ブームになったらしい。


 ところが、このエマーソンのいう自然(カントリー)というのは、人里に接した里山くらいの感じの「フロントカントリー」だった。これと対照的に、アメリカにはというか世界中どこでもそうだけれど、本当に厳しい「バックカントリー」というのがある。そこのところをよく分からずに、エマーソンに感化されて「フロントカントリー」で自分探しをするつもりが、びっくりするほど厳しい「バックカントリー」に無謀にも突入しちゃって、えらいめにあうっていうのが、「イントゥザワイルド」もそうだし、この小説の主人公も、そうだったわけだ。


 グーグルアースで、この主人公が辿ったらしきあたりの現在の道をてくてくと見ながら小説を読んだのだが、(スモーキーヒル川沿いを、カンサスからコロラドに向けて、グーグルアースでたどる、おそらく小説の狩猟隊と同じ風景を見ることができる。)とにかく、何にもない。現在でさえ、何にも無いのだから、小説では、もう、大変。


 カンザス州からコロラドのロッキー山脈まで歩いていこうとすると、初めはプレーリー、大平原なのだが、もうちょい行くと、ほぼ砂漠的乾燥地帯。なので、主人公たちは、川筋を離れて、「水がない」に直面。それをなんとか乗り切り、山登り。これがまたきつい。それをなんとか乗り切って、バッファローの大群のいる隠れ谷に到着。

 そこからはもう、大殺戮。五千頭くらいの大群を、猟師ミラーさんが一人で撃ちまくる。主人公は、皮剥ぎ師の見習いになって、皮を剥ぐ。それを数週間毎日続ける。猟師ミラーさんは、タフガイで何があっても動揺しない男なのだが、とにかく群れを全部殺戮しつくすまで帰る気が無い。もう、ここは狂気。小説を現代再評価された際も、ベトナム戦争やイラク戦争や、様々、アメリカ人の中にある、一回、暴力的になると歯止めが利かなくなる暴力性の狂気が描かれていると言われたらしいが、まさにそう。


 で、最後の何十頭かを狩るのにちょい手間取っているうちに、雪が降り始めたと思ったら、一気に3メートルくらい雪が積もって、谷に閉じ込められて帰れなくなる。ここ、もう恐怖。何か月か、雪の中に閉じ込められる。それでも、ベテラン猟師ミラーさん、慌てない。バッファローの皮で冬越しの家と着るものも靴も作る。タフガイすごい。


 そういう体験を経て、東部のインテリ青年が、どう変化するのか。何を見出すのか。という小説なわけでした。結論は虚無。虚無ってどんな。アメリカ精神の底にある虚無ってどんな感じ。そういうことが、書かれているのです。


 冒険小説としても、青年の成長物語としても、面白いのだけれど、それ以上に、カンザス→コロラドロッキーの旅から、バッファローの大虐殺。そこにアメリカの精神性の根底にある原風景というか、原体験というかそういうものが描かれている感じなのですよ。東部のインテリ青年であっても、自然の中に、荒々しさの中に向いていってしまう。そこで大殺戮をしてしまう。そういう体験をしないと大人になれない感じがしてしまう。ここには黒人もネイティブアメリカンも出てこないのだけれど、まずはネイティブアメリカンを滅ぼし、南北戦争をし、そしてバッファローも殺戮しつくし、それでも征服しえない厳しい大自然に向かって行こうとする、アメリカ人の(正直、日本人にはよく分からない)そういう心のありようが、描かれた小説でした。
 

 この作者の小説は三篇しか無くて、(他にデビュー作があるらしいのだが、本人不満で日本語訳はされなそう。)、三作、それぞれ面白かった。日本語で読める中では、これがいちばん若い時の作品で、それだけ若い勢いと、消化しきれていない部分がいちばん多いけれど、それはそれで魅力的でした。あとの二作が達観している上に、小説として上手すぎるので、それと比較すると、若い時は、すべてを言語化して捕まえ切れていない感がある。のだけれど。しかし、後に達観する人が、若い時、どういう風に、それを捕まえ切れず藻掻いているか、その藻掻き方がとてもよく表現されている。老境に達して人生まるごとを描く『ストーナー』『アウグストゥス』もおすすめなのですが、手探りの若さの中で人生立ち向かおうとするこの小説も、良かったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?