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『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』佐々木 実 (著)   経済学門外漢の私が、心の底から感動した。そして勉強になった。著者に深く深く感謝。

『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』 2019/3/29 佐々木 実 (著)

Amazon内容紹介
「その男の人生は20世紀の経済学史そのものだった――。〈資本主義の不安定さを数理経済学で証明する〉。今から50年以上も前、優れた論文の数々で世界を驚かせた日本人経済学者がいた。宇沢弘文――その生涯は「人々が平和に暮らせる世界」の追求に捧げられ、行き過ぎた市場原理主義を乗り越えるための「次」を考え続けた理念の人だった。――ノーベル経済学賞にもっとも近かった日本人 86年の激動の生涯――

今から半世紀も前、優れた幾多の論文によって世界の経済学界を驚かせた日本人の経済学者がいた!彼の人生は、20世紀の経済学史そのものであり、彼の生涯は、人々が生き甲斐をもち、平和に暮らせる世界を創り出すために捧げられた。そしてそれは資本主義との闘いの人生でもあった――。2014年に逝去した経済学者 宇沢弘文の伝記です。伝記でありながら、難解とされる氏の経済学の理論を、時代と絡めながら解説していきます。」

 ここから僕の感想。まず、こんな素晴らしい本を書いてくれた著者 佐々木実氏に、心からの賛辞と感謝を。そう書かずにいられないほどの、素晴らしい本でした。

 私は経済学についてまともに勉強したことが無く、そのくせ経済学を信じていない、尊敬していない、そういう人間でした。経済学の前提や学問的ありかた自体が、信用ならないうさんくさいものに思っていたのと、あと、単純に数学が苦手で、最近の経済学は、すぐ数式が出てくるので、「無理」という、そんなわけだったのですが。

 「宇沢弘文はすごいぞ」といろんな人にから聞いてはいたものの、そんなわけで、著書も、何冊か買ったけれど、読んだこともありませんでした。

 この本、宇沢弘文の伝記ではあるのですが、数式を全く使わずに、しかし、ものの見事な経済学史の教科書になっているのです。私のような数学音痴にも、経済学が何を求め、何を論じて発展してきたのかが、一望できる内容なのです。アダムスミスからリカード、マルサス、マルクスから、限界効用、一般均衡理論を経て「新・古典派」となり、ついでケインズからイギリスとアメリカ(サミュエルソン、ソローら)それぞれでケインズの後継者たちが理論を発展させ政治的に大きな影響・役割を演じたのち、フリードマンに始まる新自由主義の波に世界が飲み込まれていくという流れを理解することができます。

 宇沢弘文というと、主要な著作は、1968年に日本に戻ってきてからの、社会的共通資本、コモンズといった、政治的社会的意義のある、リベラルな特殊なアプローチで、ある種「異端児」的扱いを受けていますが、そうした仕事をするようになったのはなぜか、どういう経緯なのかを、伝記として追っていくと、それはそのまま、経済学の歴史、経済学が世界の政治の流れとどのように関係して、どういう流派的対立があり、その攻防盛衰が、世界の政治、日本の政治の変遷とそのまま重なる、それが、多彩な登場人物の生き生きとしたエピソードの中で浮き彫りになります。

 宇沢氏は、もともと、戦後昭和23年、東大の理学部数学科の学生でした。数学の天才だったんですね。そして、大学院でも数学科院でごく少数しか選ばれない特別研究生になります。が、戦後の経済的混乱や周囲の学生の影響で、経済学を勉強したくなり、はじめはマルクス主義の勉強をする。そして数学科の院をやめてしまう。とはいえマルクス経済学の勉強もままならないとき、数学科の恩師の紹介で文部省所管の研究機関、統計数理研究所で働きながら、経済を独学しはじめる、その折、東大ラグビー部の先輩、近代経済の学者をしている稲田健一と偶然再会し、その研究グループに入り、急激に数学化が進んでいた近代経済学の世界に入る。日本ではいくつかのトラブルで勤め先を転々とするが、数学の天才的能力もあり、書いた論文がアメリカの超一流学者たち(いずれも後にノーベル賞を受賞する人たち)に評価され、28歳でスタンフォード大学に研究助手として招かれる。

 マルクス経済学から、当時のアメリカを席捲していた、アメリカ・ケインズ派の、その数理化という世界最先端で活躍をすることになる。そこでも次々に画期的論文を発表し、誇張ではなく、当時の数学界で、最も注目される学者の1人となる。

 この時代から、ケネディ~ジョンソンの民主党政権時代は、アメリカ・ケイジアンの「ニューエコノミクス」派が、大統領の経済顧問など要職を占めていた。新自由主義の開祖親玉、ミルトン・フリードマンは、「反ケインズ」の戦いを始めていたがまだ不遇だった。このフリードマンとそのシンパの学者たちの、攻撃的で政治的な最低の振る舞い、今の竹中平蔵につながる流れはここからスタートしていることがよく分かる。

 フリードマンが新自由主義の「シカゴスクール」をシカゴ大学で着々と形成している時期に、なんと、宇沢はスタンフォードからシカゴ大学に移籍する。シカゴ大学の中の、フリードマンに対抗する反・新自由主義の「もうひとつのシカゴスクール」を立ち上げる。宇沢が主宰したワークショップには、MITから、後のノーベル賞受賞者であるスティグリッツやアカロフも、大学院生として参加している。このシカゴ大学時代が1964-68年である。シカゴ大学の教授として、また、その間1年、イギリス、ケンブリッジに招かれ、ケインズ直系の学者たちと交流もしている。当時、英米の経済学者は、ケインズ派の間でも激しい対立があったのだが、宇沢はその両方と深い交流を持ち、どちらからも評価尊敬されていたのである。

 という、まさに世界の数学界の中心人物の1人として活躍していた1968年、40歳の時、突如、日本に戻る決意をする。東大は学園紛争の真っただ中で、しかも「助教授」報酬もアメリカの何分の一、研究資金は1/15に減った。東大の当時の経済学部はマル経中心。

 それでもなぜ戻ったのか。当時の日本は高度成長のひずみが様々に噴き出していた。特に、公害が深刻な社会問題となっていた。近代経済学が「外部不経済」として、精緻な数理分析の対象外として放置していた、自然環境や、社会的コスト、そうしたものを無視して、現実離れした前提と、扱える範囲だけを高度に数学化することに何の意味があるのか。新自由主義も、アメリカ・ケイジアンも扱わなかった、その領域を、数理化し経済学の中に取り込もうという意識が、具体的な公害問題へのコミットの中で、生まれる。これが、「問題意識が生まれること」と「コミットすること」の前後関係などは本書を読んで追いかけてほしいのだが。そんな中で名著、ベストセラーとなった『自動車の社会的費用』が生まれる。
 また、水俣病、被害者救済、訴訟への関与を描写する部分は、涙なしには読めません。

 宇沢が日本で、公害問題にコミットしながら「社会的共通資本」についての思索を深めていた時期、世界では、ベトナム戦争の敗戦、オイルショック後のアメリカ経済の混乱、スタグフレーションを、ケインズ派は説明できない、という事態に陥ります。ここで一気に経済学会の主導権を握ったのが。あの、ミルトン・フリードマンです。攻撃的、政治的に論敵を次々排斥していき、政治的影響力も獲得していきます。

 フリードマンの主張は、80年代の、サッチャー、レーガンの経済政策により世界を制覇し、日本も、「緊縮財政・民営化・市場の自由化」をセットとする、今につながる新自由主義に飲み込まれていくわけです。

 これに対し、宇沢は、地球温暖化問題について、世界で最も早く、画期的な論文を発表します。また、資本主義と社会主義陣営の対立を憂うるローマ法王に招かれ、それを超える道を示唆したりします。「地球温暖化」を経済学的にどう理解し解決への道筋をつけるか、という大きなテーマに取り組もうとした矢先、「成田闘争、三里塚農民の支援」という、ややこしい問題を引き受けてしまいます。三里塚闘争というと、70年安保前後の学生運動としてしか認識していなかったのですが、その後の、農民、農地をめぐる長い闘争の、最終局面での解決、落としどころについて、両サイドの学者も含めた調停を模索する中、農民側を支援する立場で、宇沢はこの問題に深くコミットすることになります。

 これが「プライベート(私有)とパブリック(公共)」の中間にある、コモンズ、という問題を具体化する契機となるわけです。このあたりも、柳田国男の農政学から柄谷行人の協同組合にまでつながる日本的農業コミュニティの在り方の問題として、いままで全く知らなかったことで、とても勉強になります。こうした政治交渉の中、宇沢は、自民党側の、後藤田正晴氏(当時、副総理)とも、積極的に交流し、信頼関係を築いたりします。宇沢氏は、学者としても、こうした社会活動に関わるときも、全く党派的ではなく、どんな立場の人とも個人として積極的に関わり、話し合い、理解しようとする、徹底した個人主義者としての強さを持っています。そういうところもまた、感動的なのです。

 三里塚後、その農民たちと日本的コモンズとしての「農社」を作ろうという構想が頓挫したり、温暖化対策の京都会議では、宇沢氏の主張とは全く相容れない方向に会議の合意が進んだりと、不遇、不満が募る中でも、理想に向かって考え、行動を続けたその晩年が描かれる部分は、「誰か、この思いを継がないとダメだろう」という気持ちになります。

 ということで、私にできることは、まずはこの本を、皆さんに勧めることです。例によって、私の勧める本、分厚くて(638ページあります)、高くて、(2970円です)なんですが、これは、それでも、どうしても読んでほしい、すごい本でした。

 そして、私の経済学への不信がどうなったかというと、やっぱり、今の主流派の、新自由主義の経済学は、全くダメなんじゃないか。その確信が強まっただけでした。宇沢氏も、その限界を感じたから、シカゴから戻って来たんじゃないか。不完全で単純化された前提で、どれだけ精緻な数学を駆使しても、結局それは現実社会を説明しきることはできないのに、その割に政治的に大きな影響力をもって、我が物顔にのし歩く経済学者を名乗る汚い政治屋がのさばっているではないか。そうそう、この著者の、もう一冊の主著は『竹中平蔵 市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の想像』っていう本なんですよ。

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