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昨夜(8/17)、再放送されていたNHK BS「パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜」(初回放送日は2024年2月23日だったそうだが、見ていなかった)素晴らしい内容だった。

昨夜、再放送されていたNHK BS
「パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜」
(初回放送日は2024年2月23日だったそうだが、見ていなかった)
素晴らしい内容だった。

番組HPから

「人類の歴史は戦いの歴史。戦争が絶えないゆえ、平和はある種の“奇跡”であり、尊い。俳優の佐々木蔵之介と濱田岳が旅人となり、人類が実現した“平和の瞬間”をみつめる。
 佐々木が旅したのはイタリア。11世紀に始まったキリスト教勢力による十字軍の遠征は、イスラムと泥沼の戦いに。しかし優れたリーダーの決断で奇跡的な和平が実現する。その要因を、世界遺産の城などから読み解く。濱田が訪れたのはアフリカのルワンダ。30年前、隣人が隣人を殺す大虐殺が起こる。しかし人々は憎しみの連鎖を断ち切り、その後ルワンダはアフリカの奇跡と呼ばれる大発展を遂げた。それを可能にしたのは何か?」

ここから僕の感想

まずは番組前半。

十字軍の時代に奇跡の十年間の平和な時代を築いたフェデリコ2世。シチリア島パレルモに生まれ育ったのだが、父はドイツの神聖ローマ帝国皇帝(母がシチリアの女王)で、神聖ローマ帝国皇帝を継いじゃったもので、ローマ教皇に十字軍を率いることを誓わせれ、第六回十字軍を率いてエルサレムに向かう。

 かと思いきや、イタリアの中の温泉地ホッツォーリで一年を過ごす。教皇は激怒してフェデリコを破門。教皇がフェデリコを踏んづけている絵が残されている。それでもフェデリコ2世は軍を進めず、イスラム側の皇帝にあたるスルタン・アルカーメルと文通をしていたのである。

 このアルカーメルというスルタンも偉い人で、自分のところにキリスト教への改宗を迫りに来た修道士(命がけで喧嘩を売りに来たんだな)が捕らえられたとき側近は死刑に、と息巻いたところ「心の内のことで死刑にするなど間違っている」と助けたんだそうだ。

 フェデリコ2世が哲学、地理学、数学の問題を手紙に書くと、スルタン、アルカーミルがそれにていねいに答える、という文通が続いたんだと。自然に二人は互いを称えあうようになったんだと。1229年、フェデリコ2世とアルカーミラは「10年間、不戦」「エルサレムはキリスト教の聖地とし、ただしイスラムの聖地はイスラム側の管轄とする」という共同声明を出して、そしてフェデリコ二世はエルサレムに入る。イスラム側の記録は「皇帝は言った。ほんとうはエルサレムなどどうでもいいのだ、自分の国と神さえ守れれば。皇帝とスルタンは確認し合った。平和な状態こそ当たり前になるべきことを」と。

 そして、フェデリコ二世は、メルフィという街において発布したメルフィ法典で①それまで禁じられていたギリシャ正教の信仰を許すなど、歴史上(中世のヨーロッパでということだと思うが)はじめて信教の自由を法律で認めた。このメルフィ法典、貧しい人には国選弁護人を付ける、とか、女性側から結婚を拒否できる、とか、画期的な法ばかり。医療関係の方も多く含まれ、民間療法を排し、しかも医薬分業まで方で定めた。それぞれの専門の学校で学んだものだけが医者や薬剤師になれるという、いわば民間医療から医学への転換を図った。

 なんか、このフェデリコ二世、現代の人権と平和思想と科学の知識を持った人がタイムトラベルしちゃったんじゃないか、と思われるような人だよな。
 そして、このフェデリコ二世がたてた城、エルサレムで見たイスラムの聖地石のドームに模した、八角形の城。あまりにモダンでおしゃれなので、佐々木蔵之介、現代の美術館か劇場みたいだな」と感想を漏らす。

 フェデリコ二世がその城で、特に愛したのは音楽。アラブの楽器だったリュートも取り入れ、フェデリコ二世の宮廷で読まれた愛の歌の歌詞、男女の駆け引きの歌なのだが「駆け引きでは誰の起源も損ねない人が勝つんです。遊びと笑いは礼節ある駆け引きの武器となってくれるのですから」という、フェデリコの政治的思想があって滲み出ている。

 戦争相手のリーダーと学問や文化の文通を通じてお互いを尊敬しあい、停戦をして、民の健康や信教の自由や女性や貧しい人の権利を守る法律を作り、遊びと笑いとで礼節ある駆け引きをする。

 信仰心が敵対する宗教とそれを信じる人を人間とも思わない「殺し尽くす相手」としか認識させず、おそろしく暴力的な遠征が繰り返された十字軍の時代。

 そんな時代に奇跡のような10年間の和平を築いたフェデリコ二世。という番組を、今、この時期に放送するのは、日本が終戦の日の近くだから、だけでは当然ない。なんで中世の指導者ができることが、現代の指導者にはできないのよ。お互いを尊敬しあい、知性ある対話をし、笑いと遊びの心までもって、それぞれの侵攻は尊重しつつ、それぞれの民の命、健康、幸せのための政治をする。

番組後半 ルワンダ

 番組後半は、濱田岳が、現代の1994年に起きたルワンダの虐殺(多数派フツ族が少数派ツチ族を全滅させようと107万4千人もわずか100日のうちに)、それをどう乗り越えようとし、今、アフリカの奇跡と言われる経済成長だけでなく、社会の分断を乗り越えて平和で豊かな国として進んでいるかを伝えている。

 濱田岳さん、どこにいって話を聞いても、その記念館でも、虐殺現場の教会でも、泣いてしまう。

 隣人同士だったフツ族とツチ族が、どういう経緯で分断され(植民地時代にベルギーが、植民地支配のために分断を持ち込んだのである。もともとは民族対立というほどの対立ではなく、農耕民をフツ、牧畜をするツチ、ふつうに共存してずっと生きてきた。婚姻も両者間で普通にあったので、明確に分けられないくらいだった。縄文人と弥生人、くらいの話であろう。ベルギーは植民地支配のために両者を、背が高くて鼻筋が通っているのをツチ、少数派で支配層とし、鼻が低くて背が低いのをフツ多数派だが貧しいほう、として身分証に明記した。そこから明確なフツとツチが分けられたのだ。)、それが植民地支配が終わった後、立場が逆転、多数派フツが支配層となり、植民地時代支配層とされたツチに復讐しはじめる。少数派ツチはこれに抵抗して武装集団を作る。フチ至上主義者が生じる。それが最終的に虐殺のきっかけとなったのはフチ族至上主義者による「ラジオ放送」である。(小説の『虐殺機関』はこのラジオ放送と虐殺をもとに書かれているな。)、融和派のフチ族大統領が飛行機事故で死ぬと、それを「ツチ族の犯行だ、ツチ族を殺せ」とラジオ放送が焚きつけたのだな。人々はナタやなんかの日常道具で、隣人を、赤ん坊から老人まで虐殺しまくったのである。

 そして、国連派遣部隊がどのように虐殺を傍観したか。さらに、ラジオ放送は、虐殺に参加せず、隣人を守ろうとしたフツ族の人も裏切り者として、「殺さないフチ族は、裏切り者だ、ゴキブリ(ツチ族のことを放送はそう呼んだ)と一緒だ、殺せ」と放送したわけだ。多くの「隣人を殺したくないフチ族」の人たちも、命の危機にさらされた。

 そういう事情(殺りくに参加したくないから)で隣国に避難しようとしていた多数派のフチ族の家族がいて、歩いている途中で、殺されかけ死にかけているツチ族お母さんから乳飲み子の赤ん坊を受け取って、家族に「面倒に巻き込むな」と反対されながらかくまった、当時11歳のフチ族の女の子、今は41歳の女性。助けられた赤ん坊、今は30歳の女性になっている。二人に濱田岳はインタビューする。

 助けられた娘は助けてくれた女性のことを「おかあさん」と呼んでいる。おかあさん、といっても当時11歳で、赤ん坊を抱えて、家族からは「トラブルに巻き込むな」と疎まれ遠ざけられ、亡命先の隣国で、それでも「子どもだからつよくなかったけれど、神様を信じて、食べ物がありますように、学校にいけますように、そう祈って自分を励まし生きてきました」と。

 その話を聞く濱田岳は涙が止まらない。濱田岳にお母さんは「苦しかった思い出を話すことで心が少し軽くなります。聞いてくれたあなたに伝わり、他の人にも伝わっていくと感じます。孤独から抜け出せます。」と声をかける。底知れぬ強さとやさしさである。

 100日続いた虐殺が止まったのは、その混乱の中で少数派・虐殺されていたほうのの武装集団RPFが首都を制圧したから。今度はツチが報復の虐殺を始めるのでは、と誰もが思ったが、ツチの指導者は報復を禁じた。すべては法にゆだねる。として、私的な報復を禁じたのである。そして、人々もそれに従った。

 ツチ、フツという身分証も廃止された。国民の心の傷をなだめる国民的な歌も生まれた。国民的女性歌手が濱田にその歌を歌って聞かせる。

 この国の通りを歩く濱田岳。どこを歩いてもゴミが全然落ちていない。静かで清潔である。夫を失った女性に道路清掃などの仕事を政府が用意した。それだけではない、国会の議員も30%を女性にと法律で決めた。それを上回り、今、女性の国会議員比率は60%だという。女性や妊産婦への配慮が行き届いた法律、政策が整備され、ビジネスでも健康や医療の分野で、AI、ITを使ったビジネスが急成長している。

 次世代を育てる教師三人に浜田はインタビューするが、三人も女性である。

 「平和」と「団結」の大切さを教えている。かつて国を悲劇に向かわせたエネルギーを、団結と平和のために使える外を育てたい、と若い女性教師たちは語る。「心のケアも今も必要」とも語る。濱田が「世界に戦争や争いはまだまだある。それがなくなるにはどうしたらいいと思いますか」と質問すると。「シンプルに「私はルワンダ人」だという意識が国中で共有されている。それを「私は人間」だと言い換えて共有することができれば、そうすればみなが兄弟姉妹だと思えるはずです。誰も兄弟姉妹を傷つけたりしないはずです」

 濱田岳は、「団結」という言葉をルワンダの人たちが繰り返し語ることの裏に、あのとき、国連軍に、世界に自分たちが見捨てられたという気持ちから出る言葉なのではないか。自分たちルワンダの人間が、自分たちで団結してなんとかしていかなきゃいけないという気持ちがある。今の世界の紛争がいろいろあるときに、そこにいる人たちに「見捨てられた」と感じさせてはいけないということも強く感じた、と濱田岳は語る。

 「こんなに日本の家族や友人や知り合いに会いたくなるロケは初めてでした」という言葉に、ルワンダで起きたことの重さを、濱田岳がまっすぐ心で受け止めていたことが伝わる。

 とても良い番組でした。今、戦争が起きていて、かつては隣人だった人同士が殺し合いをしている国でも、なんとか早く戦争が終わって、そして復讐の連鎖に陥ることなく、それをルワンダの、フチとツチの人たちのように、もうそういう区別は廃止して「ルワンダ人」として団結したり、宗教が違っても、フェデリコ二世とアルカミーラのように、お互い尊敬しあい、学問、文化、芸術、遊び、笑いで交流し合えるようになることを願わずにいられない。中世の人も、ルワンダの人も、そうやって平和を築けたのだから。現代の、中東や欧州の人にも、できると信じたいなあと思った番組でした。


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