Facebook投稿から転載。昨日までの「東京五輪と新型コロナ対策」についての国会論戦を見て、(今日の夕方の党首討論実施される前に)東京五輪と新型コロナについて「菅さんが言いたいこと、言えていないこと、言わないといけないこと」を論理的に整理してみた。

今日の午前中の僕の投稿、すごくタイムリーだったぽいな。

ツイッターから。共産党 山添拓議員。引用

「山添 拓@pioneertaku84
党首討論、五輪開催なら対策をとってもリスクをゼロにできず、新たな感染拡大が起きかねない。そうまでして開催しなければならない理由はなにかと志位さん。
菅首相「尾身氏は分科会担当の西村大臣と緊密に意見交換し、報告も受けている」「国民の命と安全を守るのが責任」…???
討論不能らしい。」


菅さん、論理的に語る能力ゼロなのである。
なので、午前中に、当然、党首討論実施前の段階で、東京五輪とコロナについて「菅さんが言いたいこと、言えていないこと、言わないといけないこと」を論理的にまとめてみた。以下、午前中のFacebook投稿。


原 正樹 6時間前 ·

 国会のような論戦の場「論戦」だよ、論戦の場が「論理的でない」というのが、この国の、最低なところなんだな。


 「論戦において論理的でないのは失格」「論理的でなくなった瞬間に負け」っていうふうに、みんなが思って監視していなければ、国会というか、議会なんて、成立しないじゃんね。国民の民度レベルの政治しか、持つことはできないのである。


 別に、菅さんはじめ政府を批判しているわけじゃないよ。ずっと聞いていると、「ああ、菅さんや政府の立場だって、論理的に語りうるのに」と思って、イライラするだけ。論理的に語れない菅さんになりかわって、論理的整合性をつけていこうと思います。そうすると、どうしても、はっきりさせないといけないこと、追加しないといけない政策、そういうことが明らかになってくるからね。


①東京五輪を中止する権限は、IOCと東京都にあり、国にはない。
これは正しい。このことを野党がどう責め立てても、事実だから仕方がない。不毛な議論だ。
この論点をめぐっての「どういう基準で、どうなったら五輪を中止するのか、その基準を述べよ」という福山さんの質問に菅さんが答えないのも、「そもそも止める権限がないから」と菅さんが答える。質問の仕方が悪い。


 止める権限が無くても、IOCと東京都に「日本国としてやめてほしい、協力できない」と申し入れることはあるのか。そういう「中止要請を出す」ことはあるのか。イエスノ-で答えよ。イエス、なら基準は何か、具体的に答えよ。ノーならば「国民の命を守る責務」が果たせないではないか。論理矛盾が起きているぞ。ということだな。


 福山さんも、文言上、こういうことを聞いているのだが、「こうではなくて、こう」と、細かに逃げ道を塞いで、「この場合のことは答えなくて結構、このことを答えてくれ」と答えを極力、限定しないと。


 といっても、どれだけ質問を限定しても、壊れたテープレコーダーの、「だいたいこの辺再生」として、関係ない答えを延々と答える技は、安倍・菅、二代続けて伝承されているわけだが。


②私(菅)には、日本国の首相として国民の命を守る責務がある。
これも正しい。
そうすると、①自分で五輪を中止することはできないが、②国民の命は守らなければならない。となるよね。

 ならば、国として、五輪の開催を阻止するような、「選手関係者の入国を禁止したり長期間隔離を課すなど、実態として五輪開催を不可能にするような措置を取る覚悟はあるのか」と質問をする。


 今は五輪開催を後押しするために、大会関係者だけをゆるゆる基準で入国させる方向で協力しているわけで。直接、中止できなくても、関係者の入国に関する措置を厳しくしたり緩くしたりすることで、国は五輪の開催に圧力をかけることも可能なのである。国際社会やIOCの反発を恐れなければ。オーストラリア政府は、昨年のテニス全豪オープンの際、選手の反発があっても、陽性者と飛行機に同乗していた選手に、厳格な隔離措置を課したよね。ああいうことをすればいい。

それをしない理由として考えられるのは
③政府の立場として、国際的に開催を約束した五輪を実行することは、日本の国際的信用を維持するために必要と考えており、日本政府として、現在は、日本の国益のために、五輪は開催されるべきであると考えている。

 という論点が、もうひとつあるわけだ。そうすると、質問としては
「五輪開催の約束を守り実施することと、東京五輪が新たな変異株の発生や、世界に感染を広げる契機となってしまい、国際的信用、評価を著しく棄損するリスク、その両者をどう考えているのか。どう評価し、比較しているのか。」と問うべき。

「日本の国際的信用という国益から見ても、五輪開催が不利益が大きいと判断された場合には、開催中止をIOC,東京都に要請する用意はあるのか」
というこの論点が国会で出てこないのは
 「命は地球より重い」価値観が、政治的建前の世界では支配的(国民もそう)なので、「多少の人命が失われても、国際的信用のためには五輪は開催されるべき」という論を言った瞬間、炎上、大批判を食うことが分かっているからなんだな。
 しかし、実際には、この「多少の命と日本の国際的信用」を天秤に架けているのは本当のことなので、それを隠して議論しても、不毛な議論になるだけなんだな。
結論として


①日本政府には五輪の中止を決定する権限はなく
②国際的信用という国益の観点から、五輪開催を支援する立場は、もう変えない。
③それでも 国民の命を守ることが、私(菅)の責務である。

ということなので、
「五輪を開催しても、少なくとも選手・関係者以外の一般国民への感染拡大は、絶対に起こさない措置を講じる。」
というのが、今、菅さんが言っていること。


 ならば、ということで野党は「小学生の観戦動員」「井之頭公園でのパブリックビューイング」はやめたらどうですか、と言っているので、それは、やめます、と言えばいい。ここにこだわると、政府側の論理的整合性が壊れる。


で、ここからが、僕の提案なのだが、つまり、菅さんは言わないが、言った方がいいんじゃないか、やったほうがいいんじゃないかと思うのは

 むしろ、五輪を開催することが、人の外出・人流を抑制し、コロナ封じ込めに向けて資するような策を講じたい。五輪を開催することと連動して、この期間、「巣ごもりして、五輪をテレビ観戦、応援」を推奨する。そのための、国民全員に「巣ごもり資金」10万円を一律給付します。このことでダメージを受ける事業者に、緊急追加資金を一律、給付します。「コロナを決定的に抑え込む期間として、東京五輪を活用しましょう。ワクチン接種が進んだ今、このオリパラの一か月、人流が抑制されれは、世界で最もコロナを抑制成功できる可能性があります。」


 「オリパラ終了後には、オリパラのために大幅に拡大されたPCR検査能力、資源で、最後の仕上げの、大量検査を、希望者に無料提供します。」濃厚接触者定義を拡大し、変異株の感染を徹底的に抑止します。

 というようなことを、わしだったら言うと思う。けどなあ。


それでもまあ、選手・関係者間で感染が拡大したり新しい変異株が生まれたりして、世界に感染拡大させてしまったら、これは国際的信用失墜どころか、「どこが(中国が)コロナの発生源」みたいなことより「日本が五輪で、感染再拡大させたいちばんの犯人」という評価が定着するけどな。そのリスクはぬぐえないよな。

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