【言の葉】信じること
人がこの世に生を受けてから、無数の試練とも言える「壁」がいくつも立ちはだかります。
人が最初にぶつかる壁は「誕生」
それまで母親の胎内で穏やかな時を過ごしていた赤ちゃんが外界に出る時、初めての苦しみを味わいます。
この時の協力者はお母さん。
赤ちゃんが無事に産まれるまでひたすら痛みと苦しみに耐えます。
出産の時には陣痛が起こります。子宮の筋肉の収縮を活用して赤ちゃんを押し出します。陣痛が起こってる時はお母さんも赤ちゃんも息ができません。陣痛がおさまった時にお母さんは呼吸を整え、赤ちゃんにも酸素を送ります。
これを数時間、繰り返してやっとの思いで赤ちゃんはこの世に生を受けれます。
(悲しいことに、この最初の壁を乗り越えられない命もありますが・・・。)
それからしばらくしてまた「壁」が立ちはだかります。
飲むこと、食べること、喋ること、伝えること、歩くこと、走ること、三輪車や自転車に乗ること、友達を作ること、勉強すること、遊ぶことetc。
大人が当たり前にできることは子供にとっては難題です。
この時も協力者はお母さんだったりお父さんだったり身近な大人。
協力者がいることによってできないことができることになっていきます。
この人生の「壁」
だんだんと成長につれて高く厚くなっていきます。
そして子供だった人は自立心が芽生えてきて、だんだんと第三者に頼ることを拒んでいきます。
「甘えちゃだめだ。」
「もう一人でできるようにならないと」
「人に頼るのはかっこ悪い」
「人に迷惑はかけられない」
小さい頃から刷り込まれた「常識」がどういうわけかねじれた状態で「ルール」になってしまう。
小さい頃は当たり前だった「頼る」ことがいつの間にかタブーになる。
それはきっと小さい頃、当たり前に出してた感情が周囲の反応に「違和感」を感じたから。
「あ・・・、これダメなんだ。」
その小さな違和感が蓄積されて「自分ルール」ができあがってしまうのだと思うんです。
もちろん、周囲に悪意があったわけでもないと思いますが。
そして、悲しくも大人の愛情を知らないまま育った人もいます。そういう場合、「自分ルール」はとてつもなく頑丈になってると思います。
人はみんな成長するにつれ、一枚一枚「鎧」を着重ねていくんです。
その「鎧」はなかなか脱げません。それどころか、大人になる頃には「仮面」まで付いちゃいます。
その「仮面」のせいで視界は曇って協力者がすぐそばにいるのに「見ないフリ」をしてしまう。
その頃の「壁」はきっと一人じゃ乗り越えられないほどの「壁」のはず。
それでも「自分ルール」に従って一人で乗り越えようとする。
それはなぜか。
あなたが信じてないから。
ご両親、旦那さん、奥さん、ご友人、自分自身も。
「知られたら離れてしまうんじゃないか」
「知られたら泣かせてしまうんじゃないか」
「知られたら幻滅されるんじゃないか」
自分自身に置き換えてください。
大切な人が大変な時、助けを求めてきたらどうしますか?
手を差し伸べるでしょう。
大切な人が独りで悲しんでたらどうしますか?
話を聞いてあげたくなりませんか?
話してほしいと思いませんか?
同じです。
あなたにとって周りの人たちが大切なように、周りの人たちにとってもあなたは大切な人なんです。
あなたはこれまで自分の人生をきちんと歩いてきました。
そんなあなたを信じてください。
そんなあなたの周りにいてくれる人を信じてください。
一人で見る壁は高く厚くても、協力者がいれば超えられます。
だって人生で一番の難関、「この世に生を受ける」という壁をお母さんという協力者と共に乗り越えたんだから。
赤ちゃんはお母さんを信じて
お母さんは赤ちゃんを信じて
その壁を乗り越えたんです。
「信じる」ということはそれだけ絶大なパワーがあります。
だからあなたの大切な人を信じて。
なにより「あなた」という人を信じて。
わたしの「言の葉」が必要な人に届きますように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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