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続・中年クライシスその3(一応完結)



(こちらの記事は拙者の(忍者か!!w)サイトから配信しているメルマガのアーカイブ記事になります。noteで初めて知ってくださった方には私が何者かよくわからんまま読むことになるかと思いますがご容赦ください。そして記事に来てくださりありがとうございます。ちょっとだけ自己紹介すると、インド哲学を研究しつつ、ヨーガを通じて古代インドの叡智を伝えている者です。)


やっと三番目になります(笑)。


さて、下手をすれば色々な場面においてイタイことになる中年なのですが(笑)、そんな中年期を良いかたちで押し進め、厄年的なダイナミズムを含めた諸々の悲喜こもごもを越えていくには。

私なりの提案まずひとつめ・・・


もうOSが古い、ということを本気で認識する


自分の頭の中はすでに「古いデータ」でいっぱい!
捨ててないファイルや使っていないアプリがい〜〜っぱい。
それだけでもすごく「動作が重い」人間になっているのですが、もっと言うと、思考を司る「システム」自体がかなり古いものを使って「現代の新しい問題」に対応しようとしている。


そのOSではどんなにがんばってもまともに処理できません。
無理にコマンドを打ちますとバグるか、フリーズするか、
悪ければ落ちます。

というシステムで近年の新しい案件を処理しようとしてるんですな。これは気をつけていないと、ひどく無自覚にやっているものです。
なので議論ばかりが長くなるのですね。議論は悪くないのですがその時々の落とし所や打開策までたどり着かないのはOSに古さに加えて、引っ張り出してくるロジックも自分世代のものばかりなので。


もうちょっと歳をとって年代が上がっていくと、その古さに自覚が生まれる人も出てくるのですが(ないしは頑固ジジイ&ノーデリカシーババアになっていく)、その中間期である中年クライシス世代のイタイところは、「自分はまだそれほど古くなっていない」という根拠のない安心を持っているところです。そのように安心しているあたりが、すでに古くなっている証明でもあります(笑)。


自分の思考システム。
OSもアプリケーションも、かなり古いんだ。


これを自覚しているだけでも、より良い中年期を送れると思います。


具体的にどんなことかというと、自分よりも後に生まれてきたジェネレーションに関して「ぜんぜん理解できていない」ということを自覚することかと思います。


「理解できないのは彼らがまだ若いから」というひとくくりにまとめて、それ以上考えたことがないようでしたら、もう古いOS確定です(笑)。


そうじゃなくて、ただ若いからなのではなく、生まれた年代によって時代環境的に与えられた「モノ、条件、人生の初期経験、それらから必然的に起こるロジック」がぜんぜん違うので、歳の問題じゃなく彼らは同じ地球にいても「別の思考世界」を生きているということを理解しないといけないんですね。


逆の方から見ると、後から生まれたジェネレーションの人たち(つまり若い人や中高生)から見えると、まったく理解不能な大人たちであることがだいたいなのです。


よく大人は若者や子どもに「おまえだって大人になれば、これが大事だってわかるよ!」とか思ったり言ったりします。確かにそういう普遍的なものもあります。親になれば親の気持ちがわかる、とかね。ありますあります。しかしですね、こっちが思っているよりもかなり多くのことに関して、彼らの年齢が上がっても「(上の世代が言う)それが大事だとは思わない」という結果もあるんですね(笑)。「もっと別の合理的な視点をもう発見しましたのでご心配なく」ということも多々ありなのです。


「若い世代の人たちも年齢を重ねると、自分たちと同じことを感じるようになる」というのは年上側の錯覚であり、自分たちの世代を勝手に投影した「叶わない期待」です(爆!)。こういうところに「古さ」が露見してきます。


ですので、世代が違う人たちは「本当に価値観が違う人たちなんだ」という具合に、もっとちゃんと見ることができれば、彼らとの付き合いにもちょうどいい距離感が取れ、そしてもっといいのは世代を超えて協力ができるようになります。


これ超重要で、例えば現在中年期の皆さんも更に上の世代を見ると、もうろくジジイたちのロクでもない政治に大迷惑を被っていたりしますよね。
世代間の協力なんて言葉の上でのお飾りで、実際は古いやり方をなかなか変えられない(変えない)じいさんたちが覇権を握ってます。
こういうのを変えないと個人の中年クライシスどころではなく日本の危機なんですが、ちょっと話が逸れるので今は置いときます。



真面目な話、先に死ぬのは順序で言うと年上世代。

後に残る人たちに「現代に機能しない古いロジックや固定観念」を押し付けたって迷惑なだけです。


「では、古き良きものは伝えなくていいということ?」

と言われそうですが、いや、そういうことじゃないです。

「押し付け」と「お渡し」は違いますもんね。


実際私も「古き良きもの伝道師」です(笑)。

かなり古い。なんてったって紀元前1000年くらいのロジックを紹介したりしてんだもんね(笑)!新しくてもせいぜい10世紀くらいですよ。


「この古きものは興味深いけれど、現代においてそのままは使えない事だってたくさんあるだろう」ということを考えて、まずそのまま渡してみるけれど、考察できる材料も一緒に渡すから、それぞれでどう生かせるか考えよう!というスタンスでいます。


そういう風に感じさせてくれたのもまた、古代の思想の変遷において「歴史のうえでの必然性」を知ることができたからです。その時代にはその時代の向き合い方があったんだ、と。


現代人の生活や現代の問題に対して、古い考えの中の「叡智」と、「新しい視点」がなければ太刀打ちできない現代的な実際、それらを協力させて解決を見出していくことの重要性を感じます。



そのような考察のうえでのもうひとつの提案は、


何を「手渡す」かを徹底的に考え、実行


クライシス世代の中年まで来ましたら、もうグダグダ自分の事でいっぱいいっぱいになるのをやめて(笑)、残りの人生、自分は何を次の世代に手渡していけるか。ここの集中するのがいいと私は感じています。


もちろんこれは私の感覚なのでみんな同じじゃなくていいのですが、もしも中年クライシス具合を引っ張ってシャキッとしない思考を抱えてパッとしない感じの日々が続いているのなら、なら、
(そうじゃない人もいるのはわかってます)


過去の歴史の中で、どんなに悪い時代であっても、
それこそ弾圧を逃れて影に隠れながらも
連綿と続けて来た

「善きものリレー」

を引き継いでください。

自分の知っている「善きもの」「善き行為」を次に渡していくことに集中します。

それはやはり現代においては「古いもの」も含まれると思います。しかし次の世代がどうそれを使っていくのかは彼らを信頼して、いろいろ口出ししすぎずに受け渡していくことです。


とても個人的で小さなことでいいと思います。

パワーのある人はもっとデカイことをやってもいいですよ!ぜひ!
実際そういう人が必要でしょう、この狂った日本には。



もうね、中年の悟りですよ。

(笑)。


前の記事でも書きましたが、中年ってのはまだ余力がギラギラしている世代なんです(笑)。

実際にエネルギーあるんです。


その余剰ギラギラパワーを「自分中心の喜び」や「自分の欲求」に向けて使ってばかりいると

「変なものを焼いてしまったみたいな匂い」

になるので、それは避けよう(笑)。
そういうのを存在的加齢臭と言います(そんな言葉はありませんwww)

もうあきらめて、人の役に立つこと、良いものを次世代に譲っていくこと、

とどのつまりは


自分が死んだ後の世界の幸福のために、自分の残りの人生を使う


中年クライシスを中年エンライトメントにひっくり返しましょう。



まじめに、これだと思います。


もちろん異論ありなのはわかっています。

お金儲けとか考えたらこんな提案はぬるくて通用しないでしょうね。


でもいいじゃないですか!(笑)

なんとなく、漠然と、そんなことをぐるぐる思っていた人にこの記事が届いて

そっか、それでいいか!

と気づきになったりスイッチが入れば、それが私のできる善行リレーなのです。


というわけで、間を空けてしまいましたが「続・中年クライシス」と題して長々書いてみました。一応のシリーズのまとめとして書きましたが、また考察して同じようなことを書き出したらすいません(笑)


そして・・・
中年・中年と連呼しましたがw
実際にはどの世代の人にとっても考察すべきなにかがあるかなと思います。


悟りはいつ開いたっていいのです、中年より前でも後でも。


最後まで読んでくださりありがとうございました。


EMIRI

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