見出し画像

こんな時代だからこそヨーガ哲学を通用させなければという思い -ヴィヴェーカーナンダ編-

平和主義の立場がずっと抱えつづけるものは、非平和的・非人道的な勢力に対してどのような物理的態度を取るか、という事。


作家の村上春樹さんが、先日3月18日に東京FMで「戦争をやめさせるための音楽」というテーマで番組を放送していました。

サイトの文言に、


「音楽に戦争をやめさせる力はあるか。たぶん無理ですね。」

とありました。 https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

(↑番組のお知らせページなのでそのうちなくなるかもしれませんが一応リンク載せておきます。)


「たぶん無理」


同じことを、自分が関わっているヨーガでも言えるなあと思ってしまう。愛好者で集まって平和を訴えて反戦メッセージを掲げても、もちろん意味はある、あるけれども、すでに始まってしまった戦争を止めることは限りなく難しい。


じゃあなにもしないのか、というと違うと思う。


村上春樹さんの番組サイトの文言には、「(音楽の力で)戦争をやめさせなくちゃ」という気持ちが集まって、少しづつでも力を持っていくかもしれない」と。

その通りだと思う。戦争を止められなくても、止める方向に動くことをしなければ私たちは状況に翻弄されるだけ。世論が暴力や非人道的な行為の抑止力になることをやめてはいけない。実際の戦場から離れた場所にいる私たちにできることは、物理的支援はもちろん、人々の意識の方向性を戦争と逆の方向に引っ張っていくことだと思う。ヨーガはまさにそのような動きの中の重要な要素でいられると思う。



例によって長くなりますが、最近の思うところをまとめましたので読んでくだされば嬉しいです。



■近代の聖人・ヴィヴェーカーナンダに心を寄せて


ヨーガを古代から現代までの歴史の中で見てみると、当たり前のことではありますが、ヨーガが平和な環境で生まれた発想でもなければ、平和な時代にのびのび育ってきたシロモノでもないのはわかります。むしろ人の心の荒廃や、苦しみの多い環境であったからこそ、真理と救済を希求する動きとして現れそして進化してきました。


まずもってヨーガ文化を生み出したアーリア人自体が相当に侵略的だし、ブッダが生まれた時代のような紀元前の戦乱時代、その後の巨大王朝の覇権争いと制圧時の大虐殺、西や北からの他部族の侵攻。中世ではイスラムとヒンドゥーの宗教的対立に伴う紛争、近代の世界大戦、植民地化時代の支配と搾取、そして独立運動、独立後も分断された地域での紛争は絶えない・・・
インドも大混乱と激動を繰り返してきました。


その中でヨーガも生き残ってきたわけです。

そして時代の変化に応じてイズムが多様化したり、どこかしら偏ったりしながら今に至ります。古代からの叡智と簡単には言うけれど、「いつの時代も変わらない」わけでもなく、ヨーガであっても時代をサバイブしてきた痕跡の集合体と言ってもいいと思います。


もちろん古いの情報(聖典や経典)は変化しません。当然だけど「書かれていること」は変化しない。しかし「解釈」と「役立て方」に変化は起こるのが必然で、そしてそれは最終的に「人物」に現れます。


人物とその人生には、今現在の私たちが学ぶべき多くのことが詰まっています。「時代」を生きたヨーガ者たちを見てみると、その時代にどうヨーガを適用させたのかが見えてくるわけです。



ウクライナへの侵攻が始まり、日々起こる非人道的な武力行為の様を見て、様々な気持ちになる中で、改めて「ヴィヴェーカーナンダ」という激動の近代インドを生きた偉大なヨギの人生に向かい合いたく書籍を開いていました。


「ヴィヴェーカーナンダ・名言」と調べればネット上に簡単に出てきます。しかしその「名言」の背景や、どういった時代の状況でそれらの言葉たちが彼の口から出て来たのはもう少し突っ込んでいかないと見えてきません。


wiki的にヴィヴェーカーナンダを紹介すると、ヒンドゥー教の出家者でありヨーガ指導者、そして社会活動家で、1863年生まれ、1902年に没しています。


当時のインドはイギリス領インド帝国の時代で、宗主国イギリスからの支配と搾取を受ける植民地。西洋での学問を得た若いヴィヴェーカーナンダは、托鉢の旅をしてインド各地の様々な地域、異なる宗教の人々と交流しつつ、そこにある圧倒的な貧困、大飢饉による飢え、疫病の蔓延、帝国の奴隷としか言いようのない状況に置かれた人々、荒廃したインドを見ることになります。そしてその旅で彼は、インドの「強さと弱さ」を観察したと言われています。


絶望的なインドでヴィヴェーカーナンダは、「観念的な教えばかりを説くインド人が多いと感じ」、心の教えだけを説くのは無益であると思うようになりました。

ちょっとここで、彼の師であるラーマクリシュナという人について話さねばなりません。ラーマクリシュナは、俗から離れたいわゆる聖人らしい聖人で、奇跡とでも言うような飛び抜けた神秘性を備えていた人物でした。

ヴィヴェーカーナンダの師ラーマクリシュナは、「社会的実践(社会に加わり働きかける事で宗教的実践とする事)は神との合一において無駄な行いだ」としましたが、しかしヴィヴェーカーナンダはその必要性を感じるようになりました。つまり宗教実践者として社会に関わる事を選びます。そして彼の中に「インドは社会の平等を西洋に学び、西洋は精神的な教えをインドに学ぶべきだ」という信念が生まれます。


その後、ヒンドゥー教改革運動やインド内での社会奉仕活動を精力的に行い、植民地時代のインドの人々の「民族的自覚」を鼓舞しナショナリズムの高揚を後押ししました。これはその後のインド独立運動に大きな影響を及ぼすものとなります。後にヴィヴェーカーナンダの著書を読んだインド独立の父マハトマ・ガンディーは、「私の祖国に対する愛が何千倍も深くなった」と語っています。そして国内だけでなく欧米諸国の人々にも大きな影響を及ぼすことにもなります。



そんなヴィヴェーカーナンダの名言は、それだけ読むと「なんだかすごいパワフルな人だ」という印象だと思います。

例えばこう。

『勇敢で力強くあれ。山のような障害を克服する意思を持て。君が欲する力と救済は、君のうちにある。』
『力は生命であり、弱さは死だ。 自分を身体的に、精神的に、霊的に弱めるものは、毒のように吐き出しなさい。』


これらの言葉だけ聞くと「すごくアグレッシブな人だな・・」という印象かもしれません。


しかし彼の生きた時代と、彼が「誰に」向けて放った言葉なのかを理解するとこれらの言葉の重さは否応なく高まり、魂の深いところに働きかけられる言葉として染み入ってきます。


当時、イギリスの植民地とされたインドの人々の多く、とりわけ理不尽で差別的な労働を強いられる一般市民や貧困にあえぐ人々は、自分たちは大国の支配を前に無力な存在だと思っていた人も多かっただろうと想像できます。自分たちに状況を変える力などない、と。奴隷的状況に対し、心理的にも奴隷となってしまう人々がおそらく大多数だったのではないかと思います。

そして多くの人々が、自分たちの不幸な境遇を支配者のせいにしていたところもあったのでしょう。そんな人々に対してヴィヴェーカーナンダは、インドの民の精神性を取り戻し、ヒンドゥー教に引き継がれたインド古来からの「信仰」の真髄を語り、「立ち上がれ、目覚めよ」と言っています。

画像1


『これは学ぶべき最初の教訓だ。自分以外の何物も呪わない、自分以外のなんびとにも責任をなすりつけないと決意せよ。男らしくあれ、立ち上がれ、すべてを自分自身のせいにするのだ。君は常に真実だということに気づくだろう。しっかりせよ。』



補足をしておくと、ヴィヴェーカーナンダがこのように社会に対して強烈に働きかけた行為は、彼が最敬愛を捧げた師ラーマクリシュナの教えに反したという事ではありません。ヴィヴェーカーナンダには、彼独自の「時代に対する使命」があったのだと私は解釈しています。


師であるラーマクリシュナは、霊的に特異体質の人で、「すべての宗教は根源的には同じなんだ」ということを自らの神秘体験をもって人々に「実際に見せてしまう」という体質があり、その体質そのものが使命に直結していました。そして命の限り「他宗教への寛容」を伝え、全うします。

ヴィヴェーカーナンダは、師がインド独立を見ることなく召された後、師の伝えたもっとも重要なテーマである「他宗教への寛容」「すべての神は一つに帰する」をもってインドの民を目覚めさせ、ひいては世界を寛容の精神でつなげるという独自のダルマ(使命)を持っていのでしょう。そのダルマを遵守することこそ彼の師への愛であり、インドにおけるすべての宗派や哲学派の総合的真髄とも言えます。そして彼は38歳という若さで病気が重なり亡くなりますが、死ぬまで師を心から愛し想い、師の教えを伝えるために尽力しました。


こんな言葉も残しています。

『もし君が君自身の救済を求めるなら、君は地獄に行くだろう。君が求めなければならないのは他者の救済だ。そしてもし君が他者のために働いて地獄に行かなければいけないとしても、それは自分の救済を願って天国に行くよりも価値がある。』


ヴィヴェーカーナンダは、それまでのインドの様々な宗教的思想を再編成することで普遍性を高め、それを掲げて「時代」に対応しました。時代を「進めた」と言うほうが的確かもしれない。この姿勢に、今私たちが学べることがたくさんあるように思うのです。時代によって解釈を都合よく変える、ということではなく、これまでの全てを引き受けた上で、「教え」という船に時代の荒波に耐えられる強さを与えました。


■ヨーガの道

師のラーマクリシュナのように、社会に関わらずに、完全なる精神の自由(合一・解脱)を全うする。これもヨーガと言えます。

その教えを受けてなお、自ら社会に積極的に関わり、インドのみならず地球規模での平和という高い理想を掲げて時代を生きたヴィヴェーカーナンダ。これもヨーガと言えます。


どちらかを選べ、ということではない。
また時代は変わって、今がある。

今この時代、今起きていることの中で、今生きている私たちが可能とするヨーガがある。

それがなんなのかは、自分たちで考えて表していかなければいけない。


こんな時代だからこそヨーガ哲学を通用させなければ。そんな思いでいます。


個人の中に様々なレイヤーがあることを認め、「精神性をどう行為に移すか」もハイブリッドでサバイブする時代なのかもしれません。

人の心の中には、ラーマクリシュナのように純粋無垢に、ただただ究極的な真我の平安だけに没頭することを望む心もあります。そしてヴィヴェーカーナンダのように、戦いの現場(社会)へ出ていく、それを望む精神もあります。このふたつは同居していいように思います。どっちも持ってハイブリッドでいればいい、と。それはまさにラーマクリシュナとヴィヴェーカーナンダが深い愛と信頼で結ばれた師弟関係であったように、神との合一の歓喜を愛する自己を師とし、誰かのために立ち上がる自己を友とし、この時代、この世界に関わっていく。



■めんどくさいかもしれない

いろいろ書きましたが、そんなこと考えるのもめんどくさいかもしれない。
戦争なんて関係なところでのんびりいつも通り生きていたいよね。

しかし「戦争は他人事じゃない」というよりも、「平和は、他人事じゃない」と言いたいです。

みな生きていくことを前提にして語るなら(人類など滅亡してしまえという極論はここでは出さないとして)、戦場の人々が今現実的にサバイヴしなければいけない状況に立ち向かっているように、私たちも思考してこの状況を生き延びないといけない。時代を進めなければいけない。そう思います。

社会やそれを司る政治は「分野」ではなく「環境」だから、関わらないわけにはいかない。冒頭の村上春樹さんの「音楽にできること」という思いと同じで、「この世界は平和にしないといけないんだ」と思う人が増えるように、ヨーガにできることはたくさんあると私は思い、前に進もうと思います。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

ナマステ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?