呪術的になるべく「人間」というもの
「ガダラの豚」読書感想文
昨年読んで面白かった本。
中島らも「ガダラの豚」
アフリカが舞台となっていて、「呪術」が物語の要になっています。
■刺激される記憶
私の二十代というのは、アフリカ渡航の体験が一種の「背景」になっています。踊りを習いに渡航を重ねていました。日本に戻ってはお金を貯めてはまた行くという感じで、当時の人生のベクトルにもなっていました。今思うと、そういう「ある種の極端な体験」を二十代で積んだことは宝だと感じます。「人生にアフリカがある」というのは、私としてはなかなかいいものだと思っています。(そして今は、「困ったらインドもある」、という人生で、これもかなりいいです。)
「ガダラの豚」は舞台は東側のアフリカで、私がよく行っていたのは西アフリカです。そこは同じアフリカとして大雑把に括れない違いも多いのですが、それでもやっぱりアフリカ大陸に共通する「匂い・手触り・気配」があり、自分の中の記憶が色々と刺激されました。
「ガダラの豚」が私にもたらした記憶の刺激は、物語の中での表現を借りますと、“何年もやめていた酒をある日一口飲んでしまった時の、腹の底に広がる濃厚な安堵感” のようなものかもしれません。主人公はアル中で、終盤で禁酒におおかた成功するのですが、とあるなりゆきで酒を口にしてしまいます。その大平原のように広がる安堵を感じてしまうというくだりがありました。ちなみに私はぜんぜんお酒に強くなく、そんな必要にも感じていないタチなので、アル中や禁酒のくだりは想像力を使うのですが、「忘れかけていたものが、五感を刺激する何かによってもう一度細胞の奥から湧き上がる」その感覚はわかるような気がします。いや、わかります。お酒じゃなくてもありますよね。
■街に普通にいる
アフリカというと、動物がすぐそこにいるようなサバンナや、地平線にバカでかい夕日が沈む大地なんかを思い浮かべる人も多いかと思いますが、都会もたくさんあります。物語中のナイロビなんかはその代表の一つとも言えますし、私がよく行っていたセネガルのダカールも(ナイロビのような高層ビルはそんなにないですが)かなり大きな街が広がっています。槍を持った人が裸足で駆け抜けて行くことなんてありません。
「ガダラの豚」にはアフリカの呪術師がたくさん出てきます。この辺りは自分の西アフリカ体験を非常に刺激するもので、自身の滞在中に「呪術師」に遭遇したことなどを多々思い出しました。私がいたダカールは本当にいわゆる「街」で、物語に出てくるような、何日もかけて内陸へ車で移動して到着するような僻地の集落でもありません。それでも呪術をしている人にはよく会えました。こちらから頼んで会えたこともあれば、その辺の民家の主婦が「ああ、見てあげるよ」的に遭遇したことも多し。数としては後者が多く、別にそれは珍しいことではありませんでした。使うアイテムも人それぞれでしたが、貝殻を使う人に会うことが多かった気がします。
■それは「儀礼」として
最後に西アフリカに行った時のことです。あと数日で帰国、という日に、私はダカールから内陸へ、車で4時間ほどのある「聖なる街」へ行きました。そこである聖者に出会いました。
「呪術」というものが含むものはけっこう広いと思いますが、その出会いではいわゆる「普通はないであろう現象を起こす」というものを実際に目の当たりに体験し、その時までの自分の価値観や世界観を「いっぺんサラに」してもらうような体験があったのです。
それはただマジック的なものや、「奇跡」的な事を見せてもらってびっくり!!というような体験ではなく、もっともっともっと深いところに作用する体験でした。一番言い得ているのは儀礼だったように思います。私がそう思っただけなのかもしれませんが、実際に私の人生に儀礼として機能したのは確かです。
それは、
「この先の人生に持っていかない価値観や観念はここへ置いていきなさい。」
というものでした。
その時に彼(呪術師というか聖職者の方だったのですが)が使っていたのは「言葉」でした。(インドで言うマントラですね。)
私には意味がわからない言葉でしたが、成分なんか知らなくてもドラッグはちゃんと効くように、言語的に意味がわからなくても私の意識にはそれまで経験したことのない「意識の粒度の変化」を起こしました。こう書くとアッパーなやつキメた体験談みたいですね(笑)、まあいいか、中島らもつながりだもんねwww
キメたのは、「言葉」なんです、言葉。
この体験は私にとって非常に重要な体験で、何が起こったのかの詳細は書かないこととします。言葉で言ってしまうとどうにも陳腐にしかならず、言語で表現しようとすればするほど「私が受け取ったもの」ではなくなっていくので。受け取ったギフトを人にシェアしようと思っても、言葉では無理なので、別の形で返していくんだ、とも思いました。
私自身がどうなったかというと、価値観やアイデンティティの崩壊が起こって、自我のタガがはずれてしまったんですね。無意識に、自他の境界線だと信じていたものが消え去って、ブッダ的に言うこの世界の「縁起」が、わかる形でビジュアライズされると言うか、ヨーガ的にいうと自我の働いていない目でこの世界を観た、と言う感じです。あるいは、カメラで言ったら「10年前のガラケー」のカメラと「現在の最新の、プロ仕様のカメラ」くらい見え方が変わってしまった感じです。
どう言ってもうまく言えないのですが、「ルーシー」という映画を見た事はあるでしょうか。リュックベッソン監督とスカーレット・ヨハンソンの。映画の中でルーシーは、意識が覚醒していく中で、ものの見え方が変わっていく様子が描かれています。いくつもの「言語」が目で見たり、手で触れたりできる描写があるのですが、そのシーンは自分の体験に(抽象度と粒度のレベルで)近いなと思いました。良かったら観てみてください。(映画はかなりエンターテイメント性重視なドタバタアクション&お決まりカーチェイスも長めではありますが、意識の「描写」がなかなか面白い映画です。)
私に儀礼的な「ギフト」を与えてくれたその人に、「あなたは帰国したら程なくして子供を産みますね」と言われました。子育てでしばらくアフリカは来なくなるけど、それがフィニッシュしたらまた来るだろう、と。それに関しては「そんなもんか」と思って(笑)、帰国したら二ヶ月ほどでその通りに(笑)。 子供に関しては、特に急いだ切望も、希求もなかったのですが、これがタイミングっていうものなんだなと思ったものです。
それからもう15年、子供を産んでからはアフリカには行っていません。さすがに幼児を連れていって対処できないことが起こったらという守りの意識が働いたのもありますが、いろいろと人生に変化のあるタイミングで、この頃に自分の方向性は、アフリカと並行して親しんでいた「インド哲学」に大々的に舵を切ったのもありました。片足でなく両足入れた感じです。外国に行くよりも、勉強に深く没頭する時期が始まった頃合いでした。そうなったのもその儀礼の影響のひとつだと思えます。アフリカを一旦休憩(また行きたいけど)、別の世界からのアプローチに。
■思い出せない事ばかり
「ガダラの豚」を読んで、お話のおもしろさに引き込まれつつも、アフリカでの数々の事を、その匂いや手触りともども思い出しました。そして同時に「思い出せない事」の多さにも改めて気づくのです。
その土地や街に暮らす旅。異国の地での数々の出来事があったはずで、見たもの、触ったもの、感じた事、思った事、知った事も膨大にあったのですが、思い出す場面はいつも限定的です。
印象に残って何度も思い出した事や、人に話した事は記憶に定着しているのですが、そうではない旅の中の日常の場面の多くが、「思い出せないもの」という絵の具の下に埋まってしまっています。
でも思うのです。
その「思い出せないもの」こそが、実は一番いろんな事を多感に感じ取り、鋭敏にアンテナを働かせて様々なことを考えていた貴重な経験の連続であったことを。
それは自分の記憶の奥底に、今もあるのだろうか。
おそらくあるのだと思います。自分が意図して触れることができないだけで、記憶の貯蔵庫の中にしまわれている。インドの理論ではそう考えるのが主流でもあります。「サンスカーラ(潜在印象)」と言って、見た事、聞いた事、思った事、言った事、行為した事のすべて、ありとあらゆる経験は意識の深い所に痕跡を残していて、消えることはない。それらの一部がカルマとして再び現れるのだ、と。
「忘れた、思い出せない」=「消滅した」ではないのだ、と。
そんな内奥に隠れてしまった記憶をすべて思い出せたら、今どれだけ有益な考察ができるとろう、と思ったりもしました。アフリカでの経験・記憶だけではなく、小さい頃に見たもの、した事、関わった人、出来事など、つまびらかにすべて思い出せたら、と。
とは言え「忘れる」というのは非常に大事な心理的機能なので、思い出せないのはしょうがないんですけどね(笑)。しかししかし、全部思い出せたらいろんなことがわかりそう、「わかりたい」という率直な欲求ベースの願いです。瞑想をして、そのあたりに意図的に探りを入れて引っ張り出す事もできますが、これでもやっぱり全部じゃあない。ほんの一握り。
あの聖者が私に見せてくれた「縁起の展望」の時のように、私が私であろうとする恒常的な自我意識があの時の同じくらい放棄されれば、きっと見えるのかもしれません。
しかしインド的に言うと「プラーナ(生命エネルギー)は必ず変化するもの」で、私という自我は通常の生活に戻ると「そこまでよく見えるレンズだと逆に危ないぜ」という風に、自動的に解像度を下げてくれます。良いとか悪いではなく、今いるフィールドに合わせた生命維持装置みたいなもんなのでしょう。
それでもあの体験が私に、それまでよりも3ランクくらい高価なレンズを残してくれたのは確かです。あれがなかったら世界の捉え方はもっと目が粗かっただろうし、様々な想念と信念のフィルターに誤魔化されていただろうと思います。
今も時々、あの時見たものを瞑想します。そうする事で何が起きるとかではないのですが、心理的な故郷のように感じて安心するからです。
そして、思い出す事はできない奥底にしまわれた数々の記憶は、自分では意識できないレベルで細胞や血液、あるいは「気」なるものを通じてじわじわと私の中から出ているものもあるのだと思います。思い出せない事だらけだけど、自分が生きている間じゅう、それはずっと作用し続けているのだろうと思います。
そして時々、こうやって本の中の物語を通じて、ぐぐぐっと勢いつけて表に出てくることもある。それを「感じる」のはとても楽しいこと。物語を楽しんでいるだけではなく、自分の中にある様々な記憶と再会したり対話したりするのも、本読みが与えてくれるギフトだなあとも感じます。
そういうわけで、「ガダラの豚」は、どんどん先へと読み進められるエンターテイメント要素たっぷりのお話なのですが、私は頻繁に立ち止まってしまい、一旦本を閉じ、自分の中にある西アフリカの風景と再会しながらの旅になりました。
■呪術で均衡を取る社会システム
「ガダラの豚」のお話の中では、人間社会に機能する「呪術」を本当に絶妙に解説しているように思います。「呪術」があることで成立している「平等」を保つシステム。この辺りの説明が、自分のアフリカ体験と重なって秀逸に感じられました。
そして、人がいれば「呪」はかならずある、という前提についても、同感だと感じました。人間の思いと行動を操るのは「言葉」ですからね。
呪力というのは良いもの悪いものでもなく、人間の心がある限り働くもので、それは「矢印みたいなもの」だと語られます。まさにその通りだと思います。幸福へと「向かわせる」場合もあれば、不幸へと「向かわせる」場合もあり、矢印だけでは特定できない「目的地」は意図次第。
言葉とは、物の名前を指し示したりするだけではなく、本来、根源的にそういう「方向性」を持ったものとして働くのだと思います。
あるいは「そういうこと」に気づいてしまった時、人間は物の名前を指し示すだけではない、「何かに作用させる」言葉の力を、恐ろしくもありがたくもある力として慎重に使い始めたのかもしれません。
■誰かの幸福のために
言った言葉、聞いた言葉、書いた言葉、思った言葉。本来はすべてに「力」があるのですが、今私たち現代人は(日常的には)言葉の力を混ぜて薄めて放っています。「果汁1%」の清涼飲料水みたいに。(その他99%の成分はなんなんだw)
しかしそれが「無力」かというとそうでもなく、1%でも、もしも純粋な「意図」が入っていれば、それって毒にも薬にもなります。そうやって言葉は生きたベクトルとなって「なんらかの作用」を必ず起こします。ちょっとした言葉であっても。言葉を使って心を表しながら生きている私たちは、意識してもしなくても呪術的にならざるを得ないわけです。
言葉の中に何を宿らせているのか、そこをなるべく認知して発していくのが、ひとつのヨーガ的な「行」でもあります。言葉という「矢印」に乗せるのは「思い」なので、その「思い」の方を洗浄するために「沈黙の行」があったりもしますしね。これはヨーガだけではなく、精神的修道においては常ですね。
「ガダラの豚」を読んで、自分の体験の中にある「アフリカ」の呪詛的な匂いを強烈に思い出すと同時に、言葉をいかに厳重に扱うかにも思いを馳せました。言葉っていうのは、使った先からなんらかの作用を生み出すもので、厳重に配慮すべきエネルギーの凝縮体なんだよな、と。インドの「ヴェーダ」にしても密教の「真言」にしても、濃縮した力の塊で、同じように私たちが普段使っているこの言葉も実際非常にパワーがあるもの。
重要なのは、それを意識しているかいないか、ということだと思います。普段の何気ない言葉に、どんな「思い」を乗せられるか、が自分にかかっています。
言葉には、なるべくなるべく、人を幸福にする意思を乗せよう。
そんな感じです。
読んでくださってありがとうございます。
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