春と桜


桜っていいですね。

短い期間に盛大に花を咲かせ、雨や風という自然の変化の中であっという間に散っていきます。その間中私たちは、機を逃すまいと日々のお天気や咲き具合に関心を払い、美しく時を惜しむことを愛します。



清水へ祇園をよぎる桜月夜 
こよひ逢う人みなうつくしき

与謝野晶子



和歌は、時間の中のある一瞬をその短い言葉の中に収めますが、それは「言葉の写真」と言ってもいいように思います。そしてその精神の芽吹きを桜が担っているところはとても大きいものです。咲いては散っていくその生命に思いを託すとき、眼に映る桜と心模様はひとつになり、万感の思いが歌を咲かせるのですね。



桜の花というのは、枝いっぱいに咲いている美しさもさることながら、散る姿にも心を揺さぶられずにいられません。なんなら満開に咲く時のためではなく、散っていく時に備えてそのような花の形をとっているのではないかと思うほどです。枝から離れたら、風と光とひとつになれる小さな花びら。



私はちょうど桜が咲きはじめる時期(関東だと)に誕生日なんですね。母は「いい季節に生んだ!」と言ってましたが、母は自分の誕生日(五月の新緑がピークの頃)について
「私は最高の季節に生まれた!」
と言っています(笑)
そんな母の自己愛具合にはけっこう励まされます。みんな「自分サイコー!自分にまつわるもの、サイコー!」と思えたら、心はハッピーですよね。他人のそれと競わない限りですが。




桜はまた、長い時の経過とその先にある「死」を感じさせるものでもあります。その咲き様と散り様の短期決戦的な激しさは、一年の経過と重ねた年月への思いを痛いほど刺激し、私たちの人生を否応なくカウントしてきます。


あと何度、一緒に桜を楽しめるだろう
あと何度この季節を重ねることができるだろう
あの時も桜が咲いていた、
そして来年もまた桜が咲く、
と。


生まれたものに死は必定。お釈迦様もクリシュナも言っている自然界の真実。

自然が見せてくれる景色の変化は、そのまま受け止めてしまうと人の心だけでは持ちきれない「生の真実」というものを、長い時間をかけて一緒に抱えてくれているように思います。








僧侶であり歌人でもあった西行法師の歌が好きです。



願はくは 花の下にて 春死なむ
そのきさらぎの 望月の頃

西行法師




桜を愛した西行法師は、桜の季節にこの世を去りたいものだと願い、本当に桜の頃に亡くなったそうです。想像してみると、自分もそうでありたいなと思えてきます。

人生という枝を離れたら、風と光とひとつになって、重ねた生の月日が風景に溶け込んでいけばと。









そんな感じで、上を見上げがちなこの時期ですが
 
実は・・と言わんばかりに、足元には可憐な花たちが

ゆっくり静かに咲いています。

咲き急ぐこともなければ、こちらをせかすこともないその姿にもやはり、癒されます。





他にも書こうと思っていたことがちらほらあったのですが、春と桜に思いを寄せたら長くなってしまったので今日はこの辺りで。


地域によってはまだ桜を楽しめるところもあるかと思います。足元の可愛らしい草花も散歩に寄り添ってくれます。

よい季節をお過ごしください。


ナマステ
絵美里

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