質問に答えるとする「聖者だらけの満員電車♪」の巻
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こんにちはEMIRIです。
ご質問に答えるコーナー♪
その2。
Q:心の疲れを癒そうと瞑想をする教室に行ったところ、「何も考えないでください」ということを言われたのですが、まったくできませんでした。
そして考えることを止めようと思うと、その事に一生懸命になるためか逆に疲れてしまうという結果に終わりました。雑念を静まらせる方法ってありますか?できれば難しくないものがあったら嬉しいです。
また、瞑想って必要なものでしょうか。
A:はい。まず私は瞑想は必要だと感じています。
「雑念」。
思考が動いてしまうのは最初はしかたないです。
スポーツ選手や舞台で踊ったり演奏したりするパフォーマーの方が、
「練習したことしか本番はできないし、たいていは練習でできたことよりもレベルは下がることが本番で出るものだ」
というようなことをよく聞きます。
私もそう思いますし、「思考」も同じことが言えると思います。
普段の生活の中で思考を雑多に使っている場合、瞑想しようと目を閉じても雑多な思考がばんばん動きます。それをやめようと思うと、今度は「眠くなる」とか「ぼんやりと雑多な状態を野放しにしてるだけ」という状態になりますよね。
基本的には瞑想をしようと目を閉じても、
「習慣化されていること」しか起こらない、です。
ですので普段の思考の使い方をもっと「集中的な動作」にすることと、また同じくらい重要なのは「情報の流入を制御し、静けさや冷静さにつながる概念で思考を満たす」ことだと思います。
順番的には「情報の流入を制御し、静けさや冷静さにつながる概念で思考を満たす」ことが先がいいと思います。
原始仏教の主たる精神修養のひとつに「念正智(ねんしょうち)」というものがあるのですが、これが参考になると思います。
これは簡単に言ってしまうと「正しい知識で頭をいっぱいにしておく」ということです。原始仏教の定義で言いますと、正しい知識とはお釈迦様が説かれた真実のことですね。つまり「教え」です。
「思考」というのはそもそもが「働く(動く)」という「機能」なので、思考が動くのは機能しているということで、それ自体が悪いことじゃないのですよね。機能してくれなかったら普通の生活すらままならないです。
でも思考が乱雑に動くので頭が疲れるし、考えが定まらないことで迷いや苦悩が生まれて心が疲れていきます。そして知性が低迷していくんですね。
どうして乱雑に動くかというと、乱雑な情報が多いからです。
たとえ話になりますが、冷蔵庫の中に、そりゃあもういろんなもんが雑多に入ってるとしますよ(笑)。昨日買ったものもあれば賞味期限が差し迫ったものも、とにかくごっちゃに。
すると、開けた時に混乱します。「これでいったいどうしろと」的にwww
まず何を取りさせばいいんだっけ?とか。
「新鮮なものを食べたい」けど「こっちは賞味期限迫ってるし」、
「あ、これはもう食べれないじゃん、ちょっと傷んでる・・」
「トマトと納豆はそろそろ食べないとだけど組み合わせがよくないな・・・」、
「夕飯、ゼリーでいいか(よくねえよ!!と自分ツッコミ)」、
「あ、とっておいたプリンなくなってる!! あいつ!!」、
「冷蔵庫の中、なんか臭くない・・・?」、
「奥の方にあるやつなんだろ、まいっか」、
「てゆうか作るのめんどくさ」・・・
などなどなど(笑)
思考が雑多に動いて、うまくまとまらなくなりますよね。
頭の中も同じようなものなんですよ。
瞑想しようと目を閉じた時というのは「雑多な冷蔵庫を開けてしまった時」のような状態になるのが普通の人の最初のステップです。
で、「瞑想むり。。。」となるんですよね(笑)
また、頭の中はもっと抽象的かつ微細な世界で、そこには「過去の古い記憶」ですね、冷凍庫の中にいつ入れたかわからないようなブツがそれはもう無数にあり、普段はそういったものは奥で黙ってるのですが、開けちゃった時に溶けてきたりします。
“タッパーのまま凍らせたこれは白亜紀のカレーだろうか・・・”
というようなシロモノが無数にあるのが思考空間の奥の方の風景(笑)。
てな感じでね、ただ目を閉じても、普段からある雑多な思考たちが依然として「そこにある」ので、まずそれが見えてしまって「なんだこりゃ、なんだこりゃ!」と思考が動きまくるのはしょうがないのです。
「念正智」というのは、小難しいことは置いておいて、
「普段からそこにあるもの」を正しい情報、正しい知識、正しい概念にしておくこと、と言えます。
そうすると、思考があっちこっちに動いたとしても
「あっちにもこっちにも、見るところ正しい知識しかない」
という状態にしてしまえば、動いても動いてもぶつかるものは正しい教えになります。
右に行っても左に行っても聖人にばかりぶつかる感じです(爆)!!
満員電車の中が自分以外全員「聖者」みたいなね。
聖者たちでもみくちゃ!!
あはははは(笑)それリアルで経験したい!!!
ふざけてばかりですが、真面目に。
自分の思考空間をそういう感じにすればいいんです。
手の届く範囲=思考が及ぶ範囲に「善きもの」がたくさんある状態に整えておくのです。
実際にはそれは、原始仏教的にはブッダ(釈迦)の教えを心に刻みむことであったり、ちょっと時代は降りますが古典ヨーガ(4世紀のヨーガ・スートラなど)の修行的に言うと「聖典学習」ってやつです。
頭の中で思考が動いても「正しい知識」でいっぱいな状態にしておけば、
「(動いたとしても)心が騒がしくなるようなものにぶつからない」
という思考環境になっていきます。これが初歩的な準備ですね。
とまあ、「初歩的」って言ったってなかなかの難易度ですよね。
事実、聖典やら経典を読んで学んでいたって、それ以外の思考は依然動きますし、素晴らしい教えや心が静まる瞑想対象を得たとしても、「他の雑多な対象」に心が動くもの。それまでの思考習慣で「慣れているもの」の方を思考は選びます。
だから原始仏教であっても古典ヨーガの修行でも、基本的には世俗的な生活から離れて実践するスタイルをとっています。なるべく外界的にも思考が雑多になる要素を減らすために。もちろん在俗の修行者もたくさん出てくる時代もありますが、そうなると思考と行動が雑多にならないための「戒律」を守る必要性も出てきます。)
現代の世俗にいる私たちにとってこの「念正智」の段階に至るには、自分なりに日常の中から排除しないといけないものがまず多数あるでしょう。
ひとつはインターネットから入ってくるような無数かつ無選別の情報で、完全なしにすることはかなわなくてもそれらとの距離を考えることは重要だと思います。手軽な時間潰しになる動画を見すぎないとか、どうでもいいニュースをだらだら見ない、とか。
そういったレベルでの行動の整理が必要です。
そのうえで、心が静まる正しい知識を頻繁に入れていくことです。
繰り返しになりますが、普段の思考でやっていることが目を閉じた時にも起こります。それだけの話なんですよね。
無数にあるネット記事をなんとなく次から次へと見て、止められない。
友達や注目している人の投稿を延々と見てしまい、止められない。
おすすめ動画で上がってきた動画をもはや自動的にクリックして観てしまい、飽きるまでは止められない。
人の噂話にほいほい乗って自分もしゃべりまくり、満足するまで止められない。
そういった「止められない癖」がそのまま、目を閉じた時の思考の動きになります。
なので瞑想状態でない時に「無選別な思考の動きを自分の意志で止める練習」をし、瞑想状態でない時に「よき知識を思考に入れましょう」という再教育といいますか、それを意識的にしていると、目を閉じた時にも同じことができるようになります。
時間はかかってもやってみる価値はありますよ。目を閉じた時の思考満員電車の中の「聖者と凡人の割合」が変わってきて、そのうち聖者が多めになってきます(笑)。
なんにせよ「普段の思考」と「目を閉じた時の思考」をかけ離れたものにすることはできないのです。
ですので目を閉じて、そこに観るのが「雑多な想念の世界」であったら、それがあなたの「普段見ている世界」なのです。
ビギナーズラック的なものはあるかもしれませんが、そんなのはまぐれで、永続的な心の平穏を見出すには、普段からの自発的な練習が必要ってわけです。
長くなりましたが、質問内容に即してまとめると
①準備:
雑多な情報を無条件に受け入れ、そこに思考を野放しにするのを、自発的にはっきりとした意志を持って一回一回やめる
具体的には前述のようにネット見すぎないとか情報入れすぎない、そして絶え間なく続く「陳腐なおしゃべり」をやめること。
②装備:
よい知識=心が静まる教え、心が静かになる対象で思考を満たしていく
具体的には、なんらかの「よい教え」を読んだり聞いたりしましょう。
③練習:
目を閉じて②で装備したよい知識について考えるようにする
それ以外の雑多なやつらが出てきても、よい知識を考えるほうに戻す。
「準備」と「装備」が整えば整うほど③がやりやすくなり、結果穏やかな心や明瞭な思考がもたらされます。
あくまでもこれで初歩の段階ですので、道は長いですよ(笑)
でも進む価値大アリの道です。
「できれば難しくないものがあったら嬉しいです」とのことですが、難しく感じるかもしれないですね。でも実際にこれがスタートで、難易度は問題じゃなく、心の穏やかさがほしいなら「やる」を選択するだけです。
難しく感じる場合は、それだけ今まで自分の心を無法地帯にしていたからで、そうであっても今から心の法整備していけばいいよ!とエールを送ります。
今日はこんなところです。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
ナマステ
EMIRI
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