夏休み日記ー母に会うの巻

年明けに母(70代前半)と電話で話した時に、体調不良で入院をしていたということを「事後報告」で聞き、その後の経過の心配もあったのですが、こっちはこっちで受験生の最もナーバスな時期に突入し、身動きとれずな日々でした。


春は春で娘の卒業、入学、新たな生活への順応で、集団生活があまり得意でなく新しいことに慣れるのにもちょっと時間のかかる性格の娘のケアも必要になっていました。ケアとも言って能動的なものではなく、とにかく日々の生活を穏やかに保って、親の私が安定していて、規則正しく落ち着いた精神生活というセーフティーネットを淡々と保つのみ、という保守的なものですが、そこには日常生活のほぼすべてに対して細やかなバランス感覚(しかも娘に気づかれないようなさりげなさでのそれ)が必要な期間を送っていました。そんな感じでまあまあ気を使って過ごしていたここ半年ほどだったのですが、高校生になった娘の生活とメンタルも安定してきて、そろそろ「私の休憩」があってもいいなと思える夏となりました。



休憩っていろいろな休憩がありますが、「見ている風景が変わる」という休憩がありますね。旅行なんかがそれです。活動や移動を抑えて体を休めるというのも大事ですが、「知覚的な入力情報を変える」ことも心理的な休憩としてとて大きいものです。そんなわけで灼熱の首都圏を出て信州へ。



夏の長野は美しいです。
いや、どの季節も格別に美しいのが信州なんですが、しかし夏の澄み渡った青い空は標高の高さも手伝って異国のような青を惜しみなく与えてくれます。誰かが「長野は日本のチベットだ」と言っていたのを思い出しました。それはたぶん空の色のことだと思います。私は盆地育ちで、山に囲まれた街で育ったこともあり、視界に常に山がある土地は本当に落ち着きます。同じ盆地の京都でも近い感覚の安心感があります。発展的で文化的だけどどこかのどかな地方の都市で、周囲には必ず山がある。この景色が細胞を安心させるんだなと思いました。きっと海辺で育った人には、海がくれる安心感があるんでしょうね。




母の様子を見る、というのが今回の大きな目的。


母は元来めちゃくちゃ体が丈夫で、今まで病気などで苦労をしたことがなく、だいたいいつも元気な人だったのですが、昨年いきなり脳梗塞をやったと後から聞いてびっくりしました。前触れなくいきなりだったことや、退院後も頭痛やめまいなどに悩まされ、たくさんの病院でいろいろ検査したそうなのですが、それでもとくに悪いところもがないと。年齢のわりにかなり運動をする人で生活習慣もそれほど悪いわけではないところから、本人も寝耳に水的でなんでかよくわからない感じでした。電話で話していた時は、「やっぱり歳だから」というところに落とすしかない感じなのかなあ、と本人も自分の状態をどう捉えていいのか掴みかねている感じでした。


「心の方に原因があるんじゃないかな・・」と聞いたりもしていました。しかし、なにか心配事があったりしないか、思い煩っていることがないのか聞いてはみても「とくに思い当たらないけど(脳梗塞を)やってから将来の心配とかするようになった」と。脳梗塞やってから(やったから)心配になった、というのも母らしい感覚で、母はとにかく楽観的で悩まなくていいことに悩まない、というようなさっぱりした人。「とくに思い当たらない」というのもわりと正直な感覚なんだろうと思いました。


私は、口には出しませんでしたが、例のワクチン接種の影響もあるんじゃないかとも考えていました。人によってどう影響が出るかはそれぞれだし、なんともない人もいるけど、まだまだ判明していない「その後」がたくさんあるシロモノなのは確かだと思います。


そんな感じで母に関しては、体調も原因もスッキリとはしていないけれど、それでも日々の生活は自立していられるところまでは回復しているという段階でした。



それで今回、脳梗塞後初で会うのでいろいろ聞きたいし心配していたのですが、

会ったら・・・なんか元気(笑)


よく喋るし、食べるし、運転も安定してるし、言葉も考えも明瞭だし、ITもそこそこ使いこなしているし、働くことと人に会うことを好む性格の母らしく非常勤的な仕事も少し復帰してやっている、と。その方が気持ちに張りが出るからと。そして何よりも、楽しそう。顔や声にちゃんと生気がある。



聞いたら「いろいろ検査しても悪いところがなくて、最終的にメンタルなんじゃないかって心療内科の方に行くことになり、そこでちょっと精神安定の軽めのお薬と不眠を和らげるお薬をもらって飲んでたら、頭が常に痛いとか胃が気持ち悪いとか気分が不安定とかがなくなったんだよね、今これといってなんともない。」と。それはよかった。


お薬の効力というのももちろんあるだろうけど、「今笑顔でいられる」という効果であればそれは肯定的に受け入れていいものなんじゃないかと私は思いました。メンタルの急降下や急上昇を避けて、なだらかであることが大事だと思う。お薬がその助けになってくれているのなら、今はそれでなだらかさを保ち、時期を見て変えるなり離れるなりすればいい、と思いました。



母はあまり「人に話してスッキリ」みたいな体質を持っておらず、聞かれない限りあまり自分のことを話さない。「言えない」わけではなく、あまり必要に感じていないようです。それは昔からで、自己充足度合いがけっこう高めの人。好きなことをして、芸術を愛し、友人たちとゴルフをやったり美術館や博物館巡りをしたり、畑をやって体を動かしたり、創作をしたり、一人でふらっと温泉に入りに行ったり(しょっちゅう)をしていると日々は流れていく。その自然な流れで充足しているようなのです。


ご飯を食べながら、ここ数年くらいの単位で日々をどう過ごしていたか、電話だけでは聞けなかったことや、会っても聞かないと答えないことを聞いたりしている中で、今回の母の不調の原因に関係しているものを見つけたような気がしました。(普段はそこまであれこれ聞かないのですが、今回はさながらインタビューみたいになりました。)


今回の母の不調の原因。それは「たぶん」という前置きをしつつ、コロナ期間に「好きなことがやれなくなった」からなんじゃないか、というところです。非常にありふれた「コロナあるある」な理由だとは思うのですが、やはり「世間でよく聞く」ことでも、個人の中でリアルに起こる「それ」は重いことです。




母のライフワークは「歩くこと」。それも「街道歩き」と「山歩き」と。


「街道歩き」の方は、東海道とか中山道とか、甲州街道、日光街道、奥州街道などなど、歴史的な道を歩くこと。歩きながら風景を楽しみ、観光スポットにちょっと立ち寄ったり。(観光スポットを目指すのはなく「街道を歩き切ること」のが主たる目的で、立ち寄りは「ちょっと」だそうです。)


こういうのは旅行会社が企画しているんですね。私はその世界に詳しくなかったのですが、街道の端から端までを一気に歩くのではなく、一泊とか二泊とかの可能な日程で「ある区間」を歩いたら、一旦家に帰って日常に戻り、前回の最終地点に行って続きの区間を歩くのだそうです。そうやって細切れに、何ヶ月かかけて長い街道を制覇するんだそうな。



コロナ期間中、旅行会社の企画も開催されなくなり、個人的に友達と計画して行くことも控えざるをえない状況になってしまった。母と世代の近い友人たちはきっと社会的な自粛感も、感染の心配も両方強かっただろうと思います。




「山歩き」の方はすごいです。

それは登山とは違いますしハイキングとも違います。アルペンスポーツともまた違います。


山歩きは、「かろうじて道っぽい」山とか峠を歩く、というなんともニッチな世界。舗装されていない、地元の人がたまに通って踏みならされた山道とか峠。「〇〇村→(こっち)」みたいな標識が時々あるだけの山中を、時には生い茂る草木をかき分けながら歩くのだそうです。


これはけっこうすごい趣味だと思います。母はそれが好きなんですね。

昔、こちらから電話をして「今どこ?」と聞いたら「ん、峠。」と答えが帰ってきて、どこだよ!と思ったこと数度。



「山の中で迷わないの?」とか「クマとか出ないの?」と聞くのですが、「なんとなく勘が働くのと、一応の簡単なマップはあって、所々に標識はある。」と。クマに関しては、ここは一人では行かない方がいいという情報が(その世界の人々の間で)あるらしく、そこはさすがに一人では行かないとのこと。一人じゃなきゃ行くんかい、と思ってしまいますが、きっと都会生活に慣れきった私では退化してしまった身体的な勘や、その世界の情報ネットワークがあるのでしょう。


山歩きは、タイミングが合えば歩き友達とも行くけれど、基本一人でもぜんぜん行くんだそうです。しかしさすがにスタート地点まで車で送ってもらって、歩いた先の待ち合わせ地点で車で待っていてくれる誰か(お友達)とのコンビネーション技のようで、行き帰りの足になってくれる人がいないと満足のいく距離やルート(達成感のあるレベル)は歩けないのだそうです。母は車係の人を「アッシー」というレトロな呼び方をしていました(笑)。


山歩きのほうもコロナ期はコンビを組んで出向いてくれる車係の人がいなかったのもあったでしょうし、山を一人で歩いたってなんのコロナ的迷惑もかけない趣味だけど、従順で善良な一市民の母やその世代の友人たちは、やはり自粛したんですね。


歩くだけでいいのなら、コロナ猛威の時期だって近隣を歩いたり近場の山を歩いたりもできたんじゃないか、と思うかもしれません。それはそれでやっていたっぽい。でもそれは母にとっては、四駆でわざわざ悪路を走行して楽しみたい人に市街地を楽しんでください、と言っているようなものなんだと思います。銀座でお金を落としたい有閑マダムに、すいませんが商店街で買い物を済ませてください、と言うようなもの。状況が状況なので今はしかたないと思っても、やはり本来の醍醐味からずいぶんレベルダウンしていたのだと思います。話の中で母は「時々つまらない道がある」と言ってました。「つまらない」の定義は?と聞くと、「普通の街の中を通過する区間とか、簡単すぎる山」と。

簡単すぎる山(笑)
プロが望むステージってのがあるんでしょう。




そういったわけで、どうやら最終的な医師の診断では、母は軽度のうつのようです。私もそうなんじゃないかと思っていました。今は精神的なものも身体的な不調もお薬で緩和できている段階。




歩くというのは全身運動で、人間の行動の基本動作。しかも母が好きなのは、よく知らない道や、道とも言えないような山の中を歩くこと。その行為は、身体の感覚を研ぎ澄まし、本能的な感覚も判断能力もフルに使う運動だと想像できます。それがぱたっとなくなってしまったコロナ期間。


まず運動量が減って筋力や骨の強度が落ち、それまで頻繁に研ぎ澄ませていた身体感覚が急に低下したんじゃないかと思います。歩くことで活性化していた「脳」の働きも鈍化し、それが「心」の低迷になったように思います。


人に会いにくくなったのも母の性格的にこたえたと思うし、加えて普通に年齢もあり、いろいろ具合の悪いところが出ても当たり前の歳、歩くことで年齢をはるかに下回る元気さを保っていたものが、いきなり年相応になってしまったのかもしれないと思います。



来月からまた◯◯道のどこどこ区間を再開するの、と嬉しそうに話していた顔を見て、母の健康を左右するのはこれだな、と思ってしまいました。


もちろん年齢的にそれだけではない理由もきっとあるので、今後もまめに連絡をとることが必須なのですが、しかし母が「歩く」という喜びを取り戻したことにひとまず安心しました。「意欲」とそれが「叶う」というのは、心という機能を持つ人間の健康にとって本当に重要だと改めて思いました。


お薬に関しても様子見です。ソフトに着陸するのが大事で、薬の効果がその滑走路になるのなら良いと感じます。



今回の夏旅で、「好きなことで自分を楽しませる」って大事すぎるなと改めて思いました。人それぞれ、自分なりの純粋な意欲と、それを実行したり叶えたりすることで保てる健康と幸福があり、その権利が守られる社会を存続させないと、と切に思います。


だからやっぱり、どう考えても「政治の質」というのが、人々の健康と人生の質を左右しますね。





人生にはいろんなフェーズがありますね。
個人的なものもあれば、全体に影響する社会的な変化も。


いろいろあっても、みんな好きなことや意欲を感じることを大事にしてほしいです。私も大事にします。

そんなことを強く思った夏休みでした。



まだまだ残暑も厳しいですが、健やかにお過ごしください。


ナマステ
絵美里

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