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安くて品質の高いモノが好きな日本人

SNS上で、働き方についてちょっとしたやり取りがあって、思わず書いてしまったことなんですが。。

最近の日本はもはや「重箱の隅をつつく様な指摘にいちいち対応する時代じゃなくなってきた」のだと思います。

抽象的過ぎるのでもう少し噛み砕きますが、
例えば、お客様にお渡しする提案書にミスプリントがあったのを提出前に発見したとします。以前なら提出前に再度印刷しなおして、しっかりした状態でお渡しするのがスタンダードだろうなと思いますが、ミスがあったのが瑣末な部分、例えば「ページの番号がずれていた」、「説明文に意味が通じる程度の脱字があった」などなどに対してはどうでしょうか。

そういうミスを訂正せずにそのまま出してはマズイと考えるのがいわゆる普通だったと思います。
勝手な印象ですが、40代後半から50代の人は特にそう感じるのではないでしょうか。
※ちなみに私は40代後半です。

経済的に体力のある会社なら、そういったミスのあった書面をお渡しするのはお客様に失礼だからと印刷しなおすでしょう。ただ、最近はコストに見合う事以外はやらないし、ページ番号がズレてるとか、いわゆる本筋に影響ない部分に関しては対応しないことも増えてきたのではないでしょうか?


ま、いろんなケースがありますが、私が言いたいのは、日本経済はそこまで余裕がもうないんじゃないの?ということです。

先程の例で言えば、受注する前の提案書の些細な訂正にまでコストをかけるほど、時間とお金の余裕がないように感じます。もしくは個人個人の頑張りでなんとかしているイメージです。

以前は、ミスを放置していれば偉い人(上司や取引先)から、「こういうミスを放置する時点で・・・一時が万事なんだよ」みたいな目で見られるので「ちゃんとしなきゃ。。」なんて抑止力が働いたものですが、今はお金に関係せず本筋と無関係の事柄に対しては、仕方ないよなーとかミスを差し引いて考える様な人も増えてきたのではないでしょうか。

テレビの字幕の漢字が間違ってたり、雑誌の写真が低解像度のまま印刷されているのは日常的によく見ることですが、大して気にしない人がほとんどでしょう。

昭和世代の「お気持ち」もいいけど・・・
昭和世代と言いますか、その世代の方々の持つ「細かなミスでも直さない限り認めないっ!」とか「小さなミスを放置する姿勢が許せないんだっ!」とかいう「お気持ち」も大事にしたいしわかるんですが、実際そんなことやってたら令和の時代では儲けがどんどん吹っ飛んでいきます。

中国製品のクオリティと言ったら語弊があるかもしれませんが、そこそこのクオリティの製品が日本製品よりも安く手に入る世の中で、過剰な高品質を安く売っていては、完全に競争に負けます。
※ドローンの様に中国製品の方が質が良い場合もありますよね。

E Cサイト上での些細なクレームに対しては、同じ新品送るからと相手にしない。なんて対応を取る中国企業もあるそうですし、
新品の値段 < クレーム対応コスト 
よく考えるとこんなもんですよ。


クレーマーのお気持ちを大事にして成長できない日本
日本以外の世界は、そういうスピード感や倫理観で動いているのに、いまだに日本では重箱の隅をつつく様なクレームに対応することに一生懸命になって疲弊し、産業の育成とか新しい価値の創造とかに力を注ぐことが出来ないのでは?

300円と400円台で牛丼食べれる店で、「ご飯茶碗とお味噌汁のお椀の位置が逆だ!なっとらん!」とか激怒しても、払ってるの500円以下ですよ。高級料亭でであればまだ分かりますが。

みんな安い金額で、高いサービスや付加価値を得ようとしているけど、実際それを続けると、高いレベルのサービスや文化なんてものは順調に滅びていき、あとには100円ショップで売っているプラスチック製の商品とセルフサービスに近い廉価な料理屋みたいなのしか庶民には残らないんじゃないかな。

それを避けるには、重箱の隅をつつく様なクレームはもう止めて、良いサービスに対してはしっかりお金を払っていくという事を続けるしかないんじゃないかなと思っている。

安いモノ、安いモノを求めるくせに、品質だけは高いモノを望むのはやめにしていけば、日本の経済は少しは良くなるのかもしれない。。。

なんてことを考えてしまいました。

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