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思いつきで食べに行った神田のカレー屋さんの値段から思うこと

開いていただきありがとうございます。
note初投稿です。カレーを食べに行き、日本の物価とストーリーのある消費について思ったことを書きました。



先日、仕事帰り神田にあるカレー屋さんに寄って、食事をしてきました。

1,000円くらいかなとは思っていったのですが、お店の入り口にあるメニュー表では、1,500円が最低ラインの金額設定でした。

ま、せっかく会社から10分以上かけて歩いてきたんだし・・・と思い入店。
定番のチキンカレーをいただきました。

味は「本格的なスパイスを使っているであろう味・・」としか形容出来ず、「普段の家で食べているカレーや、レトルトの150円くらいのものとはやっぱ違うなー」という感想でした。

で、神田から御茶ノ水の駅まで歩きがてら考えたんですが、

・もしかしたら高いと感じた1,500円という値段設定は妥当なのではないだろうか。
・自分には、美味しいカレーを味わうほどの経験や知識がないのではないだろうか。

という2つの考えが浮かんできました。

自分が小学校や中学くらいの時から初任給ってそこまで変わってないし、自分の給料も贅沢な生活を送れるほどでもない。
とは言え、勤めている会社の近くにはシャングリラやらフォーシーズンズ、マンダリンオリエンタル、アマンとかラグジュアリーなホテルがあって、そこに泊まる人がいる。
なんか、格差がものすごくあるんですよね。


で、冷静になって考えるとチェーン店でもないカレー屋さんが600円とかで東京の山手線内で商売してたら、普通にキツイですよね。
なんで、出せる人はしっかり1,500円のメシを食べるべきなんじゃないかなと。ラグジュアリーなホテルに泊まれる人は泊まればいいし。
そうすれば、少しは経済回るというか、みんなが富んでいくのではないだろうか。その消費が環境破壊につながるようであれば考えなければいけないけど。


美味しいカレーを味わうほどの経験や知識がない

で、2つ目の美味しいカレーを味わうほどの経験や知識が自分にないということについては、全くその通りだと思う。
野球経験者がプロ野球を観て楽しいとかスゴイとか思う感覚と、野球経験したことのない人が感じるスゴイとかいう感覚は似てるけど深さが違うというか、そんな感じのことをカレー食べに行って感じました。

自分はカレーにそこまで興味がないのに、思いつきで食べに行ったから値段に違和感を感じたり、味も美味しかったけど、普段のカレーとどう違うか説明できなかった。


金額を構成する要素と楽しむための客側がする準備

1つ目の話に重なってくるけど、その分野についての知識や思い入れがあればおそらく1,500円の設定にはなんの違和感も持たなかっただろう。そして、食事をかなり楽しめたのではないだろうか。
食材の値段や人件費などの原価とお店の儲けってのは金額を決める要素だと思うけど、高いお金払って満足するには、お客さん側にも何かしらの知識や思い入れなどのストーリーが必要なんじゃないかな?って考えました。
ま、それがブランド化だったりなんでしょうけど。

ウォーホールの絵とかマークロスコとかのペイントとか、バンクシーなんか特にそうだけど、絵を買うというよりストーリーを消費している側面が多分にあると思う。


人生もうすぐ50年くらいなってしまいますけど、あと20年くらい生きる(願望であり予定)にあたり、必要なのは、消費に際してそれを楽しむ事が出来る知識とか自分なりのストーリーがあるか?って事なんじゃないかなと感じました。

安い商品や価格設定は、ありがたいですが、ストーリーの無い買い物や安い消費を続けていく先には、質への不満足とガラクタ化するモノしか残らないのではないかなーって感じております。


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