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コア

複数のジェンダーを持つ私の心のコアの部分は、おそらくfemaleでできています。若干の青みを持つ赤色が、コアを表現するのにとても心地いい感じがします。コアは外からは見えませんし、普段、本人も意識しているわけではありません。本人ですらいつもは忘れていて、ふとしたはずみや不定期に出てくる体の違和感で気づかされる存在です。

コアは、自分にとって一番古くて根源的なジェンダーの気がします。

しばらくは、コアが感じられるエピソードを書こうと思います。ただ、過去を掘り返しているうちに、思っていた以上にかなり重い気持ちになってしまったため(特に家庭環境が劣悪だった10代の後半あたり)、もともと考えていたすべてを書くのには少し時間がかかりそうです。1回目は、だいたい7歳ぐらいまでの話です。

大きくなったら

この時期、大きくなったら自分は女性になると思っていました。ただし、漠然と女性になると思っていたわけではなく、特定のタイプの女性になる(なりたい)と思っていたように思います。自分がなるだろうと思っていた女性のイメージは、背が高く、強く、感情をしっかりと表現する、賢い女性でした。おそらく、昼間に家で見ていたアニメ番組の影響も大きかったのではないかと思います。例えば、次の画像の人のイメージです(青くて背の高い人だったとしか覚えていなくてさっき調べたのですが、ノンという名前でした。当時はもっと70年代的な造形だったように思いますが…)。一方で、主人公のことはあまり印象に残っていません。

不思議なことに、なりたいと思っていた女性のイメージは、成長してからの恋愛対象の女性のイメージに似ています。ある時点で置き換わったようにも思えます。

男性になるという感覚はなかったため、成長すれば自分がなるであろう男性のイメージはありませんでした。

子どもを産む

何故そう思っていたかは本人にもわからないのですが、将来は子どもを産むと思っていました(子どもは好きな人とキスをすればできると思っていた)。一度そのことを母親に話したところ、ひどい剣幕で怒られたため、それ以降、誰かに話したことはありません。

好きな人

初めて好きになった人は幼稚園の先生(女性)です。幼稚園に通いだして、あるものの使い方がわからずにまごまごしていると、何故そうするかの理由つきで親切に教えてくれました。あのときの静かに話す雰囲気で好きになったように思います(もしかして、サピオロマンティックの素質が当時からあったのかも)。また、雨でずぶぬれになったときに着替えさせてくれたのですが、着替える下着のストックが大量にタンスに入っていることを不思議に思い、何故そんなにあるのかを尋ねたことを、先生といた部屋の光景を含めてよく覚えています。こういうときのために忘れ物がとってあったんですよね。

遊び

この時期、家の近所でも、小学校に入学した後の放課後も、一緒に遊んでいたのは女の子たちでした。特に仲が良かった子が何人かいて、今でも名前を憶えています。そのうちの一人はとても意思が強くて行動力のある人で、学芸会に参加するのに、大人しくて基本ぼんやりしている私を指名して2人組を作り、私の希望を確認しながら作業と役割分担を決めて一つの演目を作り上げるという離れ業を成し遂げました。彼女のことは今でも忘れません。

ジェンダーの話には、子どもの頃に好んだ持ち物(おもちゃなど)がよく出てくるように思います。このことについて考えてみたんですが、一般に男の子が好むものは持っていなかったように思います。ただ、その理由は、自分が好んでいなかったのではなくて、家庭が貧しくて買えなかったからのように思えます。家庭環境が悪かった場合、好んだ持ち物はジェンダーの議論には使えないような気がします。女の子たちと遊ぶときも、彼女たちの持っているもので遊んでいましたし。

当時好きだったものはクレヨンでした。クレヨンは幼稚園でも使うため、家にあったのです。

注釈1)ここでは、binary的に女性、男性と書いています。当時、non-binaryを知っていたら、どう考えていたんでしょうね。

注釈2)ジェンダーを説明するのに女性と書かずにfemaleと書くのは、日本語の「女性」が自分にとってbinary的に思えるためです。

注釈3)絵を描く以外にも、物の仕組みを考えるのが好きでした。当時はIT機器がなかったので、考える対象は機械的なものが多くなります。機械といえば男性を連想する人も多いでしょうが、必ずしもそうでないことは明らかですよね。機械が好きであっても、ジェンダーとは基本関係ありません。あくまでも個体差です。

注釈4)記事を公開した後で気付きましたが、この時期、自分自身を女性とも男性とも思っていなかったようです。女性に「なる」と思っていましたから。