ネドラ・グローバー・タワブ「心の境界線 穏やかな自己主張で自分らしく生きるトレーニング」
最近カウンセラーさんたちから、「境界線を引けるようになれば楽になりますよ」と何回か言ってもらった。
最初言われたとき、私は「境界線?知ってる知ってる。これまで周りの人に対して結構ズバッと引いてきたけど?」と思っていたが、何回か言われて「なるほど。どうやら彼女たちは私がここをクリアしていないと認識しているのか。私にはまだ理解が足りないところがあるのか。」と気が付いた。
カウンセラーさんにお願いしようか迷ったが、今回は、まず本を読んでみて、それでも足りないならカウンセラーさんに頼ることにした。
読んでみると、「……うわっ、これだわ」と驚愕。
私はこれまで「自分軸の育成が大事」とよく言っていたけど、具体的にどうやるのかがよくわかっていなかった。モンテッソーリ教育・コーチングは自分の中で同じカテゴリーに分類されていたけど、なかなか触手がのびなかった。その理由は多分、脳の機能回復、マイナスをゼロにする作業に集中したかったからな気がしている。この作業のボリュームがなかなかで、他の物を取り入れる隙間があまりなかったんだ。トラウマの手当てが進めば進むほど、前頭前皮質の働きが回復し、他の物を取り入れる余地が広がっていったんだろう。
この本には、「境界線」についての知識を、自分軸を徹底的に具体的に育成していくためのツールとして活用する方法が書かれていた。境界線を保つマインドの持ち方、実行の仕方、実行した後の周囲の変化のバリエーション等々書かれていた。これが学校教育と保育、医療、会社で発信されていけば、メンタルヘルスを罹患する人は減り、人々のもつ暴力性も薄まるだろう。国は効率よく必要なところにお金を投入することができるようになる。合理的で無駄が少なく、とてもよいとおもった。
全て読んでみて、私の境界線レベルは50/100くらいだったんだということがわかった。思いっきり侵害してくる人達から身を守ることはできるようになっていた。マイナスをゼロにもっていくことはできている。しかし、そこから先、自分の理想を突き詰めて提示し続けること、ゼロをプラスにもっていく、はできていなかった。
これが自分の中にインストールされたら、だいぶ生きやすい。読んでまとめるのに2日くらいかかったけど、数日以内にワークもやってみようと思う。これを読んで、子どもと話せそうな気がしてきた。
以下で、気になったところをつらつらと書いていく。
>以前の私は、周りの人々に対して、「どうして私の気持ちや望みを察してくれないのだろう」と恨みがましさを募らせていました。しかし、何度も試行錯誤を重ねるうち、「人には私が求めるものなんて分からない」、そう気づきました。私が黙って苦しい思いをしていようがいまいが、彼らは彼らの人生を生きているからです。
→小学校に上がる前の夏祭りの日、親が選んだ大味の柄の浴衣が着たくなくておおいにごねたことがあった。親には柄が私の美的感覚とズレすぎていて恥ずかしくて着られないとは決して言えず、親は困惑していた。この時ふと「私はどうしても欲しい柄を伝えることができない」と思っていた。高校を卒業するくらいの時にもふと「私は自分が欲しい物を欲しいと絶対に言うことができない。これでは私は幸せになれない」と思ったことを思い出した。思い当たる理由は二つあって、一つは、ほしい物を欲しいと言えない環境に私の第一養育者である母がおかれていたから。「母が解離をして生きていたら、子どもは解離を引き継ぐ」ということなんだろうな。そして、私が解離したままだったため、実子も解離を引き継いでいた。あの子が数か月前に言っていた「今は違うけど、あの時はなぜかお母さんに自分が考えていることを全く話すことができなかった」という言葉は、そういうことなんじゃないかな…。次の会合で聞いてみよう。そしてもう一つは、私が0~6歳までの間に、欲求を表明して諦めさせられてきた数が圧倒的に多かったんだろうな。実子に関しては、あの子が乳幼児の時、日常では私は欲求を丁寧に救い上げていた。しかし、離婚が4歳くらいの時だったので、この時にあの子の中に「自分の望みは叶わない」が刻み込まれたんだろうな。そして、中学に上がる前の強引な引っ越しとすぐ戻ったことに関しても、「自分の望みは尊重されない」思ったはず。あの子の場合は大きなイベントによるトラウマなんじゃないかな…。その後、あの子の望みと少しでもズレたことを私がした時、あの子は怒りをあらわにした。私に脅かされると思っていたんじゃないかな。で、最近、私の下に戻らないわけを聞いた時と、ストレングスファインダーを勧めたら、怒りを露わにしていた。自分は興味が無いと。
これが理由だとすると、私の日常の接し方の方向性は、あの子の軸の育成を促進していた。しかし、トラウマ由来の逃走に駆り立てられていた時、愛情の欠乏感を誰かで埋めようとしていた時、私は駆り立てられるような行動をし、環境を大きく変化させてきた。そのモードに入っている間は、あの子の意志を尊重せず私主導で物事をすすめた。あの子のモヤモヤは、ここなんじゃないかな。
>【あなたに境界線が必要なときとは】
・プレッシャーに押しつぶされそうなとき
(・人に手伝ってほしいと言われて、怒りを感じるとき)
(・何か頼まれそうだと感じて、電話に出なかったり話を聞く聞くのを避けたりするとき)
(・他人に力を貸すことについて意見を述べたのに、何の効果も得られないとき)
・疲れきっていると感じるとき
(・すべてを投げ捨てて消えてしまいたい、と何度も思うとき)
・自分のために使える時間がないとき
→教育の仕事を始めた時、私はそもそも人前に立つのが苦手で大っ嫌いだったし、プレゼンテーションなんてもってのほかだったけど、子どもを育てるためにそんなこと言ってられなくて必死に努力を重ねた。数年やれば、自分に負担が少ない形で相手の満足度を上げることはできるようになった。多分元々苦手ってところからスタートしているから、本来ならもう十分なレベルだったけど、不安でやり過ぎていたんだろうな。常にプレッシャーに晒されていたから、疲れ切っていて、脳が過活動すぎていて、家に帰ると自分の幸せために使える時間がなかったんだ。
>試行錯誤を繰り返す中で、私は「やりたくないことがあるなら、そうしなくてすむように何とかしよう」という姿勢を学びました。かつての自分は、たとえ嫌でも物事や相手を受け入れなければならないと思い込んでいました。周囲を失望させたくなかったからです。
→この言葉を3年前に毒親カウンセラーさんに言ってもらったとき、「それができたらいいけど、まぁ難しいよね。」って思ったのを思い出した。今回、コーチに似たようなことを言ってもらったときは、「その通り」って思った。私の内面の整理が大分進んだのと、置かれている環境の違いと、コーチの違いかな…。
>私たちは常に人を怒らせたくないと恐れているのです。 恐れとは根拠のないものです。恐れは、「ネガティブな考え」と「勝手な思い込み」が生み出す幻想に過ぎません。
→ここは、親との関係性もあるよなぁ。我慢し続けることが生存戦略だった場合は、恐れがデフォルトとして刻み込まれちゃうからなぁ。
>「解決してあげる」のが彼らを助けることにはならないと気づくまでには、長年を要しました。本人が自力ですべきことに手を貸すことは、彼らにとって弊害にしかなっていなかったのです。
→まず自分の足で立つ、自分の足で立っている人同士が必要な時に手をつないで支え合えるようにってメッセージを仕事ではずっと送り続けてきた。8割くらい達成できていた。実子には、手が回らなかった。私が疲れ切っていて、誰か実子に関わる教育者たちがそういうメッセージを送ってくれていたらって願っていた。ただ、食事作りを一緒にしようとしたりしていたから、2~3割くらいは達成されていたかな。
>あなたが何を望んでいるか、他人には分からないのですから。それをはっきりと伝えることが、あなたあなた自身の役目なのです。心地よい人間関係には、明快さが欠かせないのです。
→母との私の相性が悪く、母は私を全く理解できなかった。理解できなさ過ぎて占いに走って極めるほど母は困惑していた。私は幼少期に自分が理解されないという経験をひたすら重ね、デフォルトとして「私は理解されない。私が考えていることは母(人)を苦しめる。」という考えが脳に刻み込まれた。母が自身のあらゆる欲求を後回しにしている姿を24h365日見ていて「(女は)自分の考えを表現してはならない」がデフォルト設定になった。この設定だと、自分の考えを明快に表明することなんてできやしないし、心地よい人間関係も永遠に手に入らない。
【あなたの境界線が尊重してもらえない理由】
・ あなたが自分自身を大切にしていないから
・ 相手に責任を課さないから
・ 弁解がましく一線を引くから
・ あまりに多くを許容しすぎるから
・ はっきりと意思を表明しないから
・ 自分の境界線について口にしてこなかったから(すべて頭の中にあるだけ)
・ 自分の境界線を、一度話せば充分だと思っているから
・ 境界線を侵害された場合、相手は自分の要望を察してくれると思っているから
→ここが全て当てはまって、びっくり。ここのトレーニングをする必要があるのか。
>特に女性には、見返りを求めず与え続けた結果、ただただ自分が疲れ果てて気力を失ってしまう人が多いのです。私たちは、まさに燃え尽き症候群の世界に生きているのです。
→女性がケアを求められる割合が高い社会ほどこうなる。
>飛行機に乗ると、こんな説明を聞きます。「他の人を助ける助けるよりも先に、ご自分の酸素マスクをつけてください」。簡単な指示だって? いいえ、違うんです。セルフケア不足は人助けばかりに気をとられているときに起こりがちな問題なのです。 これまで、どれほど多くの相談者が「自分のために使える時間がないんです」と悲しみに暮れて訴えるのを聞いてきたか分かりません。話を聞くと、誰もが自分のためにまったく時間を作ろうとしていないのです。 実のところ、セルフケアのやり方を忘れてしまっているように見受けられる事例が多々あります。健康的な食事をしたり、5分間瞑想の時間をとったりすることもままならないのに、我が子の学校のボランティア活動に毎週何時間もかけていたりします。こうした時間の使い方のアンバランスさは、境界線の問題を浮き彫りにしています。 セルフケアは、1日中温泉に浸かるよりも意味があり、決してわがままな行為などではありません。頼みを断るのも、セルフケアの1つです。あなた自身の欲求に意識を向けるのがセルフケアです。酸素マスクと同じで、まず自分をケアしなければ、他者のためのエネルギーは湧いてきません。つまり、セルフケアの本質とは、他者と一線を引くことなのです。あなた自身の感情や肉体、精神を健やかに保つために、断るのです。
→まず自分が酸素を吸う。美味しい酸素を吸える場所を拠点にする。おいしい酸素が吸える場所を訪れることができる仕事をする。すべてはそこから。
プレッシャーに押しつぶされそうになっている人は必要な時間以上に仕事を抱えています。すでにスケジュールがぎっしりと詰まっているのに、さらに詰め込まなければという考えで頭がいっぱいなのです。
→授業づくり、十分なのに「もっと深く、もっと面白く」って時間つかってたよなぁ。
他人に利用された感覚、不満、いらだち、憤慨、苦々しさといった感情は、自分の中に限度を設けなかったために感じる「恨み」の表れです。恨みを抱えると、人との関わりに影響が表れます。人間関係において、ありのままの自分でいられなくなるのです。その結果、衝突が生まれます。疑心暗鬼になったり、人との間に壁ができたりすることにもなります。
→私が「自分の考えを表明できない」設定になっていたので、大いに色んな人に翻弄されて、恨みを募らせることになった。この設定を解除するためのトラウマ治療、ブレインスポッティング。脳の中の機能停止している部分、保存に無駄に膨大な容量を消費している部分を機能させるようにすることが先決。実子もやった方がいい気がするが、その子自身がやりたいタイミングじゃないと意味ないしなぁ。ひとまずは「私はこうだった」って回復までの道のりを伝えておけばいいか。
>人から離れる無視する周囲から距離をとるといった反応は回避行動です。依頼に応じなかったり、関係性をはっきりさせることを先延ばしにしたり、約束に遅刻したりするのは積極的に状況を改善させる代わりに、ただ現実から逃げているだけに過ぎません。問題を避けて解決を長引かせても、結局同じトラブルが何度も起きますし、人間関係にも影響します。回避行動とは、あなたが原因を解明するのに疲れているというサインでもある。受動的攻撃です。一見、問題を遠くへをやってしまおうとするのは、とても安全な選択に思えますが、回避は恐れからくる反応です。自分が抱く期待についての話し合いを避けても、相手との衝突は避けられません。境界線を引くという必要な必要不可欠な取り組みを先延ばしにしているだけなのです。人間関係に制限を設け、それをはっきりと主張できると、こうした思考に陥る危険が減り、鬱症状や不安間とも上手く折り合えるようになります。境界線に対する理解が足りないと不健全な思考回路にはまってしまいます。
→実子がとったのは回避行動。2年前あの子は弱り切っていたので、原因を解明するのに疲れていた、その力がなかったということなんだろう。実家に戻ってエネルギーチャージをして、ある程度の時間が経ったらもう話せる状況になっていたんだろうけど、私があのあたりで3発くらい思いっきり頭殴られて(比喩)、ぶっ倒れて機能停止して鬱→トラウマ治療コースに入ったから、実子の当時の回避行動の原因を紐解くことができないまま、今に至っている。多分、そろそろ大丈夫なはず。実子も私も。
>家族の在り方や個性は境界線をどう設定するかどう受け入れるかを決定づける要素です。もしも互いの承諾なく線引きをしたり、その線を無視したりするような家庭ならば、自分の要求を主張するために必要なコミュニケーション能力を培えないまま成長してしまうでしょう。例えば、アルコール依存症患親に育てられた子供には、境界線を設けるのに苦労する時期があるかもしれません。こうした親に育られた子供は境界線の理解や線引きが難しいまま成長しがちです。家族が持つべき境界線をきちんと伝え、尊重する家庭であれば、どんな状況でも上手に線引きができるようになるでしょう。
→私の親はアルコール依存だった。「境界線?なにそれ、おいしいの?」くらいの勢いの人達。私には境界線を培う機会がなかった。ただ、侵害され嫌という感覚は強くあった。実子と深くかかわることが難しいと感じていた。自分がされて嫌なことは一切しなかった。結果的に、遠くから見ているだけになってしまった気がする。子の父親、祖父母は境界線を踏み荒らす人達。母親は侵害は少ないものの必要なノウハウを伝えることもできなかった。結果的に実子も境界線の引き方を学ぶ機会がなかった。
【もろい境界線の行動パターン】
・情報を過剰に共有する。
・共依存。
・巻き込まれやすい。
・自分と他者との感情的な区別がつけづらい。
・断れない。
・お人好し。
・他者の意見に左右されやすい。
・拒絶されるのがとてつもなく怖い。
【もろい線引きの例】
・やりたくない仕事も引き受けてしまう。
・義務感に駆られ、あるいは金銭的余裕がなくても他人にお金を貸してしまう。
【かたくなな境界線の行動パターン】
・他人と物事を共有しない。
・壁を作る。
・傷つくのを避ける。
・人付き合いが希薄。
・他人に高すぎる期待を抱く。
・厳しいルールを常に守る。
【かたくなな線引きの例】
・相手が今後一切頼み事をする気にならないように、依頼をにべもなく断る。
・絶対に甥や姪の世話しないという独自のルールを持っている。
【心地よい境界線の行動パターン】
・自分自身の価値を明確に示す。
・自分の考えを尊重する。
・相手と必要に応じて共有する。
・信頼を置いた人から程よく影響を受ける。
・心苦しく、思わずに断れる。
・他人から頼みを断られても、被害者意識を抱かずに受け入れられる。
【心地よい境界線の例】
・その時の自分にとって最も適切な選択だと思ったら、謝らずに断れる。
・過度な負担がなく、余裕がある時には必要に応じて他人に金銭的援助ができる。
もろい境界線は不適切な距離感(巻き込まれやすい)が特徴である。一方頑なの境界線は、必要以上の距離を取る自己防衛の方法です。大抵は自分が傷つくのを恐れたり、これまで何度も人に利用された経験があったりするのが理由です。かたくなに線引きをする人は厳しくルールを定めており、例外を許しません。例え、それが自分にとって良い効果を生む可能性を秘めていてもです。
→若い頃は、もろい境界線だった。最近は、嫌な思いをしまくってきて、頑なな境界線を引いている。この状態は、自律神経系の凍り付きの状態と関係ありそう。頑なな境界線から心地よい境界線へ移行しているところかな。
>ひとたび制限を設ければ相手は従ってくれるものと信じ込んでいる人があまりにも多いです。そうした人たちは、自分の限度を人に説明しても、実際の行動で示しません。そして行動が欠けていると、人間関係において境界線が侵害される恐れが高まります。ですから、あなたの境界線は尊重に値するものだとわかってもらう。努力を惜しんではいけません。境界線を維持することはあなたの責任なのです。相手がどう反応するか考えるのは大事ですが、想定される反応にあまり執着し過ぎないようにしましょう。
【境界線へのよくある反応】
1.反発する
2.限界を試す
3.無視する
4.正当化と疑問視
5.自己保身
→ここの「主張をし続ける」が全然できない。すごい葛藤があるしエネルギー必要とするから疲れちゃう。だから、物理的な距離をとるようにしている。ここの柔軟性がもう少し育てばいいのかなぁ。
>無視する
あなたの話を聞かなかったふりをして、受動的攻撃の一つとして境界線を無視する人もいます。しかし、本来、境界線とは尊重されるべきものです。境界線の要求を無視されると恨みが募ります。時間が経つにつれ、人間関係は悪化して行くでしょう。こんな反応をされる可能性もあります。
・境界線を引かれているにも関わらず、自分がやりたいように仕掛けてくる。
・あなたの境界線の意味を誤解したふりをする。
このように無視された場合、どのように対応したらよいでしょうか?まずはもう一度説明しましょう。境界線の内容を相手の口から復唱してもらうなどして、あなたの意図が伝わっているか確認するのです。そして変化を維持する重要性も訴えます。これからもこういう線引きをして行きたいのと。無視されていると気づいたらすぐに対応してくださいでないと、あなたの境界線は消えてしまうでしょう。
→元夫がこのパターンだった。私は主張するけど、それを貫き続けることができなかった。恨みが募って、人間関係が悪化していった。
>他者にとってはあなたに線引きをされない方が都合が良いのを忘れないでください。あなたがもうやりたくないことをこなしたとき、なぜ主義に反する行動をしたのかと尋ねられるかもしれません。そんなときは「ただ気が変わったの」と答えるか「今は当時の線引きとは違う価値観を持っているの」と答えておけばいいのです。それでも食い下がってくる場合。まずは自分の意見を熱心に伝えるのは避けて、簡潔な答えを心がけるのです。例えば、「これが私にとって心地よいやり方なの」とだけ言えば、それで充分でしょう。くどくどと説明しても議論が堂々巡りになるだけです。
→私は、すぐに背景を説明してわかってもらおうとしてしまう。私は弁が立ち、相手は大抵太刀打ちできない。論破なんてされたくない反射的な防御反応として彼らは暴力的な手段をとることがある。私がすればいいことはNOということだけ。
>音信不通になる。何の断りもなく交流を断ち切ったり、姿を消してしまったりするのは、ゴースティング(音信不通)と呼ばれる行為で、境界線に対する不健全な反応です。これも受動的攻撃のひとつと言えます。反対意見を言葉で表明するのではなく、行動でどう感じているかを示しているわけです。あなたの要求を聞いた直後か数日後に起きがちで、大抵はあなたに罰を与えた意図があります。
→これ、大学の友人、教採仲間、実子の行動パターンだわ。
>受け入れる。あなたの境界線の話を聞いて受け入れてくれることが、問題に対して最もふさわしい反応であり、それは円滑で互いを尊重し合う人間関係を築けている証拠です。こういった間柄なら。友達が伝えてくれてありがとうというでしょう。そしてあなたも友達の手伝いから逃れられます。だれも傷つかず、不当な思いもしません。他者との間に境界線を引くことには多くの不安が伴いますが、私の経験上、ほとんどの人が快く受け入れてくれています。もしも相手の反応が気分を害するものだったら、そもそももっと早くに線引きをするべきだったのでしょうし、今からでもその人との関係を見直すべきでしょう。あなたの望みを充分に満たしてもらえる関係だったのかを考え直す時なのです。
>【不健全な人間関係のサイン】
・話を聞いてくれないのであなたの要求を伝えられない。
・もっともな頼みをしても応じてもらえない。
・精神的肉体的、あるいは性的な虐待がある。
・やり取りをした後は大抵悲しくなるか怒りを覚えるか、疲弊するか失望する。
・一方的な関係であなたを与え、相手は受けるだけ。
・互いを信頼していない。
・不適切な言動を改めるように言っても拒否される。
・何らかの依存症を抱えており、あなたにも害が及んでいる。
→元夫との関係性そのもの…。これまで、彼のことをサイコパスだって言ってきたけど、この条件を見てみると、壮観というか、本当に身近に置くのに値しない人間だったんだなということが実感できる。
>友人とはあなたが選んだ家族のようなもの。その関係はあなたの人生に安心感を与えてくれて、心地よくて心強くて、日々を楽しくしてくれるものであるべきであって、大げさな感情の起伏などは不要です。
→「私が選んだ家族のようなもの」確かにその通り。
>燃え尽き症候群
燃え尽き症候群にかかりやすい要因は次のとおりです。
(・いつ断ればいいのか分からない)
(・どう断ればいいのかわからない)
・自分より他人を優先しがち
(・人の言いなりになりがち)
・ヒーローヒロイン願望がある
・自分は万能だと思い込む
・非現実的な理想を抱く
・自分の仕事に感謝してもらえない。
多くの親は子供に健やかに育ってほしいと願うものですが、それは親の心の健康を犠牲にしてまで叶えるものではありません。
→自分より子どもを優先しまくってきた。
→毒親育ちの私が健全で裕福な親と同じことを子どもにしてあげたいという非現実的な理想を抱いてきた。
→自分割と何でもできるという万能感はある。(実際能力が高いものは高いし、それによって望む現実にシフトしてきたから、そう思うのはまあ自然ちゃ自然な気がする)
→日本が良くなってほしいと願いながら仕事をしている(教育は国づくりの要素が大きいから、意識が引っ張られていたのもあると思う。)
→学校にいると、嫌われる×攻撃される×ストーカーに脅かされる条件を常に抱えることになる。学校の仕事で感謝は実感しにくい。99%泥、一瞬きらめく瞬間がある。育児と同じ、忍耐を強要される仕事。
…これじゃぁ燃え尽きもする。
>自分が適切に処理できるやりたい内容について、しっかりと境界線を引くことが不安を呼び起こす引き金に対処する一つの方法です。自分や他人に対して非現実的な期待をするのも不安の原因です。時に過度の期待は自分と他人を比べたときに生まれたり、家族や友人、文化的な規範から寄せられるものだったりもします。よく不安に襲われているようなら、どれが適度な期待でどれが過剰な期待かを考えることが大切です。期待が適切かどうかを見極めるためには、次の点に着目してみてください。
・誰の基準に合わせようとしているのか?
・やり遂げるだけの時間はあるか?
・もし自分がやらなかったら起こり得る最悪の事態は何か?
・その状況でどうやって自分の境界線を尊重できるか?
→毒親育ち、親からの経済的サポートが希薄だった私にできる子育てには限界がある。やり切ってみないと限界があるって認められなかったかなぁ。日本が良くなってほしいというのは、期待するだけ無駄なこと。
>境界線を言葉で伝える。自分で伝えなければ、相手はあなたの境界線など知り得ないということは忘れてはいけません。説明もなしに基準を守ってくれるはずもありません。境界線は暗黙のルールではないのです。暗黙の境界線は目に見えず、こんな言葉で察せられるものです。「向こうがきちんと知っていてくれれば…」「常識で考えれば…」。でも常識とは、私たちそれぞれの人生経験に基づいて培われるので、みんなが同じではありません。だからこそ、きちんと伝えるのが大事ですし、相手が自分の期待に気づいてくれると思ってはいけないのです。自分の境界線を示し、それを維持する責任があるわけです。境界線は暗黙のルールではないのです。心地よい人間関係を築ける可能性があっても、境界線がかたくなすぎたりもろかったりすると、不健全なものに転じます。それはつまり、私たちお互いが厳密になるか、何の制約もなく相手の好きにさせるかということでもあります。そこから生まれるのは一方的な関係で関係を維持する責任を片方だけが追う形になります。心地よい人間関係とは本来、2人の人間が互いに支え合う関係です。唯一一方的な関係が認められるとすれば、親子だけでしょう。平たく言うと、境界線のない関係は機能できず、不合理で付き合いづらいものです。ただ単に何か「魔法のような」力でいつか上手くいくだろうという楽観的な見通しで続いているに過ぎません。でも、いつの間にか自然に関係が改善することを願ってみても、希望がかなうわけがありません。
→ここの訓練だよなぁ
>境界線を欠いた人間関係は大抵破綻するか、自分が不当に扱われるのにうんざりするかのどちらかです。ときにはあまりにも長くそうした扱いが続くと我慢できなくなるでしょう。そして自分たちの不幸せについて明確に話し合ってこなかったばかりに、相手はあなたがどれだけ苦しんできたかを知るとショックを受けるのです。
→これは、私と親との関係性そのもので、私と子どもとの関係性でもあるんだろうな。
>境界線を引かないとどう感じるか。
頼みを引き受けておきながら、本当は断りたい時、あなたは体の中で何かが止まったように感じます。人に利用された時、体の中で何かが間違っていると感じます。本当は嫌だったのに、人に何かをあげたときは、体の中にもくすぶった思いを感じます。つまり、自分の身体に意識を向けられれば、一線を引くべきタイミングがわかるのです。ある人と話したくなくて、電話に出る時にため息をついたり。依頼を引き受ける時に躊躇いを覚えたりといった反応もあります。お腹を締め付けられるように感じたり、肩が痛くなったり、首やこめかみが疼いたりするかもしれません。あなた自身の体が発する際にもっと敏感になれば、人を喜ばせたり、人の世話を焼いたりするために、どれほど自分の望みには希望を脇に置いているかに気付くと思います。
→これを実子に育成できれば、あの子は生きるのが楽になるよなぁと思いつつ、まあ私がそう思っているくらいを伝えておけばいいか。
>境界線を持たない人が主によく感じるのは、恨み、怒り、それと不満です。人との関わりの中で、どういうときにそうした感情が湧き上がりやすいか、一部を紹介します。
・自分の話を聞いてもらえないと感じるとき。
・境界線を定めたのに求めていた結果が得られないとき。
・やりたくないことに関わるとき。
・利用されたと感じるとき。
・線引きを避けている時。
→実子はどれかなぁ
>不満
心の境界線には根気がいるのです。境界線をうまく弾けなかった理由はいろいろ考えられます。相手あなたの話を聞く心の準備ができていなかった。あなた自身が境界線を維持しきれなかったために話を誤解された。あなた自身が境界線を尊重しなかったために、周りの人もあなたが真剣だと受け止めなかった。要求を伝えたが、境界線を引かなかった。ともあれ、理由が何であったにせよ、また挑戦してみればいいだけの話です。不安に引き摺られて。要求を満たせなくならないようにしましょう。
>関係の遮断
突然時には何の説明もなく、相手との連絡を絶つ行為です。人と縁を切ろうと思ったら、次の点をよく自問してください。一その人は、私が抱えていた問題に気付いていたか?私は境界線を引こうと試みたが。私は自分の境界線を守り、相手にも責任を持ってもらったか?人間関係を遮断して縁を切りたくなるのは、相手がもはや変わらないだろうと思われる時です。境界線を尊重しない問題を先延ばしにしすぎて、もはや関係修復をする気にもならない。などといった理由が考えられます。ただし、合わない人と縁を切るのも簡単な解決策に見えるかもしれませんが、心地よい人間関係を築きたかったら、境界線を定めるのは避けて等れません。
→親とは縁切るのがよい。実子とはなんとかしないとなぁ。
>情緒的ネグレクトは、親や保育者から充分に自分の気持ちを受け入れてもらえない状況を指します。親や保育者が自分の欲求を理解できていない、あるいは子どもを精神的に安定させる必要はないと思っているなど、理由はいろいろ考えられます。こうした状況で育った人は、自分が何を期待しているのかわからずに混乱しがちです。とは言え、これは精神的虐待とは異なります。精神的虐待は故意になされますが、情緒的ネグレクトは意図せずして行われるからです。不安型愛着スタイルを持つ人、回避型愛着スタイルを持つ人、いずれの場合も情緒的ネグレクトを経験した人は他者と心地よい関係を結ぶのが苦手です。
→母はワンオペで育児をしていた。母は私と思考回路が違いすぎて、基本的に言葉が通じなかった。二つ上の兄と私を、引っ越ししまくりの慣れない土地で、車も、お金の余裕も、親戚もない二十代半ばの女性がワンオペで育てることを想像すると、不可能だって思う。子どもを育てる前は母を責めてたが、実際自分がやってみるて子育ての地獄を味わいつくし、母性神話をきれいに解毒することができた。母は幼子の命を守りながらワンオペ生活を成り立たせるために、私の欲求に向き合うよりも彼女のやらなければならない仕事を優先し、私が泣いても置きっぱなしか背中におぶうかの2択で対応することが多かった。
衣食住の面倒は彼女はちゃんと見てくれた。病気の時のケアも温かく手厚かった。だから、私には健康と清潔の基準と病気で弱った時は必ず助けてもらえる安心感がデフォルト設定された。
しかし、それ以外のことは、
私「えーん(かゆいよー)」→おんぶする
私「えーん(飽きたよー)」→しばらく置きっぱなし
私「えーん(話聞いてー)」→一人で遊んでて
私「えーん(かまってー)」→兄を優先
というような感じだったんだろう。結果的に、言葉が通じない×欲求を表明しても無視される、情緒的ネグレクトの状況に置かれた。だから、「私は理解されない、受け入れてもらえない、私の望みは叶わない、私は常に二番手」がデフォルト設定されている。
学童以降、引っ越しが多く小学校は3校行った。
私「私は引っ越したくない」→問答無用で転校させられる
私の望みは母の重荷となる構造。「望むこと=愛されない=育ててもらえない」がリンクしている…
>私たちは境界線が必要だと気づいていない
居心地が悪いのに我慢してしまうのは、自分の感情を理解していないために不快感に気づけないからです。自分の中の何かが「止まった」のは感じられても、その原因が見えていないわけです。
→ギルバート・グレイプもう一回観てみよう
>私たちが最も恐れるのは、自分の元から人が去ってしまうことですから、今の関係を維持しようとして我慢を重ねてしまうのです。人間関係に境界線を引くのは快いものではありません。ですから、その不快感を避けたいがために境界線の設置に及び腰になりやすいのです。結果として何も言わない道を選ぶわけです。面倒なやり取り、これも最悪な事態を想像しています。を強いられるはずだと思うと、居心地の悪さに耐えられなくなるのです。私たちは生まれた時から欲求を満たされたいと強く願っています。何かを求める時は泣きぐずり癇癪を起こします。親や保育者の反応を見て、自分の欲求が満たされた満たされるかどうかを学んでいくのです。このように、親や保育者は心地よい境界線も心地の悪い。境界線も教えられる存在と言えます。おや保育者は子どもに自分が抱く期待を伝えて満足するのですが、一方の子供は自分には線引きをする権利はないと思いがちです。
→子どもが「自分に線引きをする権利がある」と実感する取り組みができたら、世の中平和。
>子どもが引いた境界線を尊重する
子供は態度や行動で禁止されなければ、自分なりの境界線を持つのです。小さな子であれば、食べ物の好き嫌いを示すのが一つのやり方でしょう。健全な子どもを育てるためには、子供に心地よい境界線を引かせてあげなければなりません。食べ物や洋服人についての好みや本人の気持ち、物理的に必要な距離感などを尊重することがそれにつながるでしょう。
→これはやってきた。(たいへんだった)
>親は自身の行動をとうして子供に物事を教えます。そのため、心地よい境界線を示さない親は子供に不健全な線引きを教えてしまっているのです。かつて私は自分を大切にするのが苦手な女性達から相談を受けたことがありました。彼女達にあなたのお母さんが自分自身を気遣う姿を見たことがありますか?と聞くと、決まって首を横に振るのです。こうした女性たちは、自分自身をどう大切にすればいいのか分からないだけではなく、セルフケアにおーきな罪悪感をいただいています。セルフケアは我侭で悪い大人になる行為だと教えられてきたからです。自分の母親を自己犠牲精神に満ちた女性像の具現化として見てきたので、彼女たちもそういう女性を目指すのです。もっとも、そんな彼女達の母親ももえ来ていました。なぜなら、その世代もまた、誰にも文句ひとつ言わず他人に従うよう強いられてきたと信じている人が多いからです。
→私は、母の自己犠牲精神に満ちた女性像に対して、幼児のころから反発してきた。元夫と離れる決断をしたのも、自己犠牲を強いられるコースに追い込まれると感じたから。
>断ってはいけない時。子供は親の振る舞いから断っていいかどうかを学んでいきます。直接見る場合もあれば、間接的に感じる感じ取る場合もあるでしょう。まず、兄弟やほかの家族、他人から断られた時に、親がどんな反応するかをみます。その反応から子供は断っていいかを判断するのです。もしも自分が断れないというメッセージを受け取ったら、断るのが苦手になるでしょう。このメッセージは必ずしも言葉で表されるとは限りません。例えば口では嫌だと言ってはダメだよと言わなくても、子供を無視したり、気にかけなかったり、何かしてもらいたいと思っている子供バカにしたりする親の態度は断るのを許さないと言っているのと同じです。
>トラウマ
大切な人の死、ひどい事故、虐待/ネグレクト、いじめ、育児放棄、犯罪により親が投獄される
トラウマを経験すると、私たちの脳と体は製造を目指すモードに切り替わります。不適切な境界線も生き抜くために必要な手段となるのです。
>情緒的ネグレクト。充分な情緒的注目をしてもらえないとネグレクトです。大切な相手でも情緒情緒面に関心を向けない人は悪気がない場合が多いため、このネグレクトを受けた人は相手に同情しがちです。また、皮肉めいたますが、あまりにも近い関係が原因でネグレクトが起きる場合もあります。複雑に絡み合い過ぎた関係を持ってしまうと、個人としての自分を感じづらくなります。他人の感覚に自分が責任を負っていると信じはじめ、望ましくない結果と思われるものから彼らを守り遠ざけようとします。でも親の長所的欲求を満たすのは子供の仕事ではありません。
あなたは責任を感じなくて良かったのです。一家を支える存在にならなくても。親にとって何でも打ち明けられる友人にならなくても。兄弟の面倒を見なくても良かったんです。親に教えてもらわずに物事を学ばなくても。家がめちゃくちゃなのに平穏を保とうとしなくても。精神的サポートを受けずに問題を解決しなくても。子供なのに請求書の支払いを気にしなくてもよかったんですよ。子供が大人の役割を担わされると境界線が脅かされます。たとえそれが必要に迫られた結果だとしてもです。父親と母親との関係においては。子供は相談相手でしたから、自分の欲求を満たしてもらえませんでした。ネグレクトされたら、相手が自分の要求を受け入れ叶えてくれるとは到底思えなくなるでしょう。
→母に対してはいつも片思いで、いつか私を理解してくれる、いつか私のありのままを愛してくれると思い込んでいた。そのために、母がなんでも話せる友人となり、鬱になった母を支えてきた。情緒的ネグレクトを受け続けてきて、相手が自分の欲求を受け入れ、叶えてくれるとは到底思えなかった。
>心の境界線が弾けなくなる思考パターン
あなたが自分に必要な境界線を引けない九つの理由。悪者になることを恐れている。失礼だと思われることを恐れている。お人好し。線引きをした後の付き合いに不安を感じている。自分を無力だと感じている(境界線が解決してくれるとも思えない。)。人助けをすることで、自分に価値を見出している。人に断られた時の自分の気持ちを想像してしまう。どこから始めればいいのか分からない。今の人間関係において、心の境界線を引くなどできないと思っている。
→人助けをすることで自分に価値を見出してきた。ここが、対人援助職=人助け=自分を殺すみたいな感じでリンクしちゃってるんだよな…
スイカを見たことが無い人がスイカを想像するのは難しい…
>人に手を貸し、同時に自分なりの一線も引くのです。要するに、自分をおろそかにしてまで他人の面倒をみてしまう人にも、境界線が必要なのです。
>物理的境界線
物理的境界線が脅かされる例。肉体的虐待ハグやキス、握手の強要話すときの距離が近すぎる。人前ではベタベタしないと決めたのに、恋人に公共の場で手を握られる。不適切だと感じる触り方をされる。人の日記やプライバシーを侵害するようなものを読まれる。
→実子は、小さい頃に私が「かわい子めー」と言いながらしたハグに対して、「自分は今ぎゅーってされるの嫌なんだ」「かわいこじゃねー」と言い返してきていた。ちゃんと境界線主張できてた。寂しいって思いながらも、わかりましたっつってそれ以降しなくした。
>性的境界線。同意なしに人の体に触れては絶対にいけませんし、子供は決して性的同意に同意できません。互いの合意なくして触れたり、性的な発言をしたり、性的行為に及んだりするのは性的境界線の侵害です。子どもを性的行為の場に置いたり、性的な議論の場にいたりするのは断じて許されません。とは言え、子供はその線引きを自分で伝えられないので、大人は一貫してふさわしい行動を見せなければなりません。
→元夫はこの辺も曖昧で引いたし、「ヤバい」って思ったんだよなぁ。
>【性的境界線が脅かされる例】
性的虐待、暴行性的な悪戯人の容姿にまつわる性的な発言、性的な含みのある身体接触、性的なほのめかし、性的表現を含む冗談。
→民泊のオーナーの行為は、性的表現を含む冗談・ほのめかし、性的な含みのある身体接触だ。
【性的境界線を引く表現の例】
私の容姿にまつわるあなたの発言に不快感を覚えます。あなたと性的関係を結ぶつもりはありません。私の腰から手をどけてください。やめて。その発言は面白くないよ。性的で不適切だと思う。
【性的境界線を尊重してもらう方法の例】
セクハラ行為を見たり、受けたりしたら報告する。自分の振る舞いに思慮が足りなかったときは、余計な釈明をしない。
→これまで職場でつるし上げてきた。私は釈明しがちなんだな。いつも。他者にわかってもらいたいって思って期待しているのか。
>知的境界線
知的境界線とは、考えやアイデアにまつわるものです。あなたは何に対してどんな意見を持ってもいいのです。あなたの意見は否定されたり、貶されたり馬鹿にされたりするべきではありません。
【知的境界線が脅かされる例】
人の考えや意見について悪く言われる。意見が対立した時に大声を上げられる。人の視点や考えを馬鹿にされる。意見が合わないからといって、相手の考えを却下される。子供のいるところで母親、父親を侮辱される。子供が情緒的に対処できない問題についてはなされる。
【感情的境界線を尊重してもらう方法の例】
話をする時、自分がただ聞いて欲しいと思っているのか、それとも意見を求めているのか、前もって伝える。提案するべきかしないべきか相手が判断しやすくなる。
>時間的境界線
これまでの経験上、6種類の中で時間にまつわる境界線に苦労する人が最も多いと感じています。時間的境界線とは自分の時間をどう使うか、自分の時間を人にどう使わせるかたのみごとにどう対応するか、自由な時間の予定をどう立てるかに変わっています。時間の問題を抱えている人は、ワークライフバランスやセルフケア、自分の欲求に対する優先順位付けに悩んでいます。特に自分の時間を人に与えるのは、自身の時間的境界線を脅かしかねない行為です。もしもやりたいことのために時間が足りないとしたら、時間に関してしかるべき線引きができていないのです。
>境界線の小さな侵害と大きな侵害
気づかれにくく、どんな関係においても起こりうる攻撃行為です。遠回しの不満や隠れたメッセージや怒りを伝える受動的攻撃もその1種と言えるでしょう。故意であろうとなかろうとコミュニケーションに悪影響を及ぼします。例えば。相手の話し方についてよく口を出すこと。単語や文章を間違えると指摘したりもする。
→これ私が母に対してよくやっていたこと。主語が無い話し方をするから、それじゃ伝わんないよってよく言ってた。
【小さな侵害の例】
研修に参加して面識のない人に話しかけられました。30分話したあと、あなたは本が一冊書けそうなくらい相手について知りますが、あなたが口を挟む好きは全くありませんでした。
→これこないだあった。
>信念に関わる思考システムの深い部分が傷つけられる行為は、とるに足らないように見えて、甚大な悪影響を及ぼす。
→母から、学ぶこと、主張すること、曲げないことに対してよく否定されてきたな。
【大きな侵害の例】
あなたは友達の酒癖の悪さに被害を蒙っています。友達が悪いをするたびに自分が開放してやらなきゃと感じています。
→これこないだあって、ものすごいかたくなな線引きしたやつだわ。
>過剰共有
大学の友達が遊びに来て3人で話していました。友達が寝ている間にルームメイトは友達の中絶について話しました。潜在的な問題点はこのルームメイトが他人の極めてプライベートな事情を話題にしたということです。
→これ大学の時に似たようなことやられたことがあって、怒りまくったら縁切られたやつだ。あと、母からもやられたことがあって、当時は死ねばいいって思ってたやつだな。
>大きな侵害:マクロアグレッション
人間関係の構造そのものを壊してしまうほどの境界線の侵害は大きな影響と言えます。人間関係の一つの側面として侵害行為は珍しくありませんが、巻き込み型、共依存、トラウマによるつながり、共依存といった広範囲に影響を及ぼす侵害のダメージは長く尾を引く可能性があります。
巻き込み型。巻き込み型の関係においては、自分という個性も境界線も受容されません。こうした関係は、相手と自分が限りなく似通ってくると、ますます強まって行きます。そして、もしも一方が制限を設けたり、新しいルールを作ったり、関係を大きく変えようとしてくると、2人の中に大きくヒビが入る恐れがあります。
【巻き込み型の例】
人間関係において、相手と異なる意見や立場をもてない。自分というアイデンティティが確立されていない。他人と自分の社会が曖昧。境界線がない。どれだけ長い時間を共に過ごしたかと、どんな時間を共に過ごしたかの意味を混同する。過剰共有してしまう。相手の感情を自分のことのように感じてしまう。自分というアイデンティティを確立させようとしても、相手に認めてもらえない。
巻き込み型の関係はこんな風に境界線を侵害されがちです。精神的にも肉体的にもパーソナルスペースが狭い。 2人の考えは常に揃っていなければならない。人生にまつわる決断は、双方の意見が合致していなければならず、個人としての考えは認められない。
共依存。相手が窮地に陥らないように助け、不愉快な体験をさせないようにしなければならないと思ってしまうのが共依存です。でもそれは守るというよりも、むしろ相手に不適切な振る舞いを正させない行為だと言えます。互いに無力でいていいのだと思い込んで、相手なしでうまくやっていけないとみなします。でも共依存は他人の感情や行動の結果に情緒的に巻き込まれてしまうような関係にはつきものなのです。共依存の関係に陥った場合、自分の感情と他者の思考や感情を切り離すのがとても難しくなります。
→私の母が子供たちと孫にしたこと。ほんと迷惑。
【共依存の例】
自分に過度の負担をかけてくる。現実の問題についての話し合いを避ける。他人が散らかした場所を掃除する。他人の失態について弁解する。他人の要求を変えてばかりで、自分の望みをかなえようとしない。相手が自力で物事を解決する手助けをせず、代わりに手を貸してしまう。周囲に迷惑ばかりかける人の面倒を見る。他人に何か起きたとき、自分に降りかかったことのように感じてしまう。他人の問題を自分の問題のように話すを助け役としてでないと、他人と上手く関係を築けない自分自身の問題について考えるより、先に他人の問題を解決する。不適切な方法で人に自分を頼らせる一方的な関係を築く。
共依存的関係においては、生きて行くために片方または両方が相手に依存しています。そのため、恨みや燃え尽き症候群、不安鬱症状、孤独虚脱感、深刻なメンタル、メンタルヘルスの問題などを引き起こしがちです。自分を顧みない人のために生きるのは負担が大きいですが、共依存関係は両者にとって悪影響を及ぼします。世話をする側は自分の要求が全く、あるいはめったに満たされません。一方で世話をされる側は自力で要求を満たす方法をいつまでも学べません。ですから、共倒れのように2人とも心身の健康を損なってしまうのです。こうした人々は、不適切な境界線や自尊心にかかわる問題の言いなりになる傾向、自分をコントロールする難しさに悩んでいます。中毒症状を抱える人を助けて充足感を得ているのです。
→実子と私の母の関係性…どこまで介入したものか…
共依存を解消するための境界線の引き方。自分がどう手を貸すか明確に決める。相手の声が自分にどんな影響を与えているか、本人に伝える。外となる行為をやめられるよう協力する。頼まれる前に助けてしまうのではなく、本人から頼んでくるまで待つ。その人との関係においてどこまでは共有できて、どこから共有できないか、自分の関わり方を尊重する。依存行為についてははっきりと伝える。自分の心身の健康を気にかける。自分の面倒を自分で見る様に相手に責任を取らせる。自力で状況を改善できる方法を教えながら、必要な場面で手を貸す。
>トラウマによる繋がり
トラウマによるつながりは感情的、あるいは知的な境界線の侵害が原因で生まれます。自分の身に起きることはすべて自分が受けるにふさわしいことなのだと時間をかけて思い込まされている状態です。我が身に降りかかる出来事は何でも偶然の結果だと思うか。自分を傷つけようとして起きたわけではないと考えます。一度断ち切ってもまた元の不健全な関係に戻ってしまう。他人から不適切な言動を受けても、自分に非があったように弁明してしまう。自分に害のある人間関係から逃げ出せないと思ってしまう。ひどく扱われたり、丁寧にあつかわれたりを繰り返す。どんな扱いを受けているが、周囲に伝えない。なぜなら虐待を言われるのを恐れているから。不当な接し方をされても抵抗しない。
>相手からの接し方に責任を持たない、あるいは相手の振る舞いに自分が弁解をしないのはとても大切なことです。人があなたにどう接するか、彼らの問題であり、あなた自身に原因があるわけではありません。
→元夫、職場の暴力男、民泊のオーナーから私への侵入は彼ら自身の問題であり、私自身に原因があるわけではない。
>うまく伝えられない4つの要因
受け身
受け身の姿勢でいる人は、こんな風に考えがちです。自分の要求を耐えるのはいい気分じゃないな。だから自分の中にだけしまっておこう。他人に気持ち良く過ごしてもらうために、自分の要求を否定し、無視してしまうのが受け身の姿勢です。コミュニケーションが消極的な人は、自分の要求をどう受け止めるられるかに不安を抱き、もしかしたら拒絶されるかもしれないと恐れていマスだから何もしないのです。もう少し例を挙げると、問題があっても何も言わない。本当は同意できないのに人がやったり言ったりするのを黙認するあなたの気持ちを成り立たせるものを無視する。
攻撃的
攻撃的な人はこんな風に言ったり、ほのめかしたりするのではないでしょうか?あなたのせいで私がどう思っているか知らしめてやりたい。攻撃的なコミュニケーションとは?自分の望みを伝えずに、相手を手厳しく高圧的にやり込めたり、自分が求める言動や行動を要求したりすることです。例えば、あなたのせいでどれだけ嫌な気分にさせられたか教えてやりたいと思うのです。攻撃的な感情にとらわれると、自分の行動によって相手がどう感じるかを気にしなくなります。振る舞いや言葉で人を侮辱したり、攻撃したりして脅すのです。他にもこんな例が挙げられます。
自分の主張を通すために相手を貶める。意見を伝えるためにわざと叫んだり、悪口を言ったり罵ったりする。過去を引き合いに出して相手に恥をかかせる。大越を上げ、正しくない態度を取る。事実を正しく見せかけるために喧嘩をふっかける。相手をバカにするために皮肉な冗談を言う。あんたデブだな。勿論冗談だよ。そう気にするな。
受動的攻撃
心のままに行動してやろう。時に、自分の気持ちを認めない時に受動的攻撃をする人は無意識にすることが多いようです。十年以上にわたってさまざまな相談を受けてきて。自動的攻撃は、私たちが自分の感情や要望を伝える最も多い方法であると気づきました。人が受動的攻撃と思われる振る舞いをした話を聞くと、私はこう尋ねます。それじゃあ、あなたは自分の望みを伝えないまま態度では示したんですね。ここで問題なのは、人はあなたの行動からはあなたが何を望んでいるかをくみ取れないという事実です。態度だけでは何を意味しているのか、おそらく分かりませんし、なにか伝えようとしているかすら気づいてもらえないでしょう。自分の要望はとにかく言葉で表さなければならないのです。受動的攻撃は境界線を引きたくない時に取る端的な方法とも言えます。対立を避けるためにそれとなく振る舞い相手が間違ったことをしていると自ら築いて行動をただしてくれることを願うのです。しかし、悩んでいないふりをして要求を直接伝えないまま望む結果を得ることはできません。要求が満たされないのですから、間接的なやり方は逆効果でしかないのです。ますます苛立ちが募る人付き合いに負担を抱えるだけです。他にも受動的攻撃にはこのような現れ方があります。気分を害した様子を見せながら、それを認めたがらない。現在の状況とは関係のないことで、言葉で相手を攻撃する。理由もなく不機嫌になる。過去の問題を持ち出す。問題に焦点を当てて不平を言う場に加わる。自分なら解決できるのに対処する気のない事柄について陰口をたたく。
心理操作
心理的に人を操作しようとする時、その人は相手が罪悪感を抱くようなやり方をして、望みを叶えてくれるように仕向けます。確かに、そうした心理操作によって欲しい結果を得られるの事実です。自分の要求を満たすため、大人も子供も使う手段であり、相手が根負けするまでねだったりもします。そんな時、きちんとした交渉と心理捜査の違いを見分ける方法とは何でしょうか?交渉では例え不公平であっても、両者が何について同意したのか、お互いに自覚しています。例えば、子供の場合なら学校できちんと頑張ったら帰った後でご褒美をくれるといった具合です。大人ならアクション映画を見たら、次は一緒にロマンス映画をなどという感じでしょうか?一方で心理操作では、操作されている人は自分が心理的に不利な立場に置かれている事に気づいていません。操作しようとしている側は、さらに相手の気持ちを乱そうとしてくるので、操作されている方は混乱してしまうのです。そのため、普段なら応じないような頼みを聞いてしまうのです。例えばこんな例があります。自分とあなたの問題をあなたひとりの問題のように思わせる悪いのは自分だと信じ込まされる。ギリギリの状況で協力を求め、他にどうしようもないんだという。同情買うような話をする。協力させるために話の肝心な部分を伝えない。あなたを居心地悪させたり、あなたの振る舞いを変えさせたりするために愛情表現を減らす。あなたの立場を示しながら、何かをすべきなのだと思わせる。例えば、妻は料理をすべき娘なんだから、毎日母親に会いに行くべきなど。
→元夫がこれを駆使してたな。「妊娠したのはピルを飲んでいない私のせいだ。ドイツではみんな飲んでいたのに。」「妊娠したんだから大学辞めるよね。子どもは専業主婦として育てるのが良いし。」「鬱で仕事今すぐに辞めたいから援助してほしい」「自分の資産額は言わない。でも援助してほしい。」書いていて、こいつ本当に終わってるなって思った。この父親との関係を維持しながら、私は本当によく子を育てた。この父親も相当足引っ張ってくれたし、私が必死に整えた環境のわりに実子が望む結果が出せなかったとしても、そこが限界だったんじゃないかなって思えてきた。
積極的に主張をしてみましょう
「自分の希望が分かっているから、それをあなたに伝えたい。」積極的に自己主張できる人はこんな風に考えます。心の境界線についてはきちんと自己主張するのがもっとも心地よいやり方です。もう少し例をあげてみましょう。やりたくないことは断る。相手の振る舞いによって自分がどう感じたかを伝える。あなたの体験したことについて率直な考えを伝える。早めに対応する。第三者に話すのではなく、あなたとの間に問題を抱えた人と直接話す。相手が汲み取ってくれるだろうと思い込まず、自分の望みを単刀直入に伝える。境界線を引くという取り組みは自己主張する取り組みでもあります。ぜひ受け身にも攻撃的にもならず、受動的攻撃というやり方にも陥らず、あなたの意思を伝えてみてください。人と心地よい関係を築くためには、はっきりと自分の意見を主張しなければなりません。
してほしいことを伝える
あなたの要求や要望、あるいは拒否の意思をはっきりと示しましょう。単に嫌だという気持ちだけを押しつけるのではなく、してほしいことを相手にはっきりと伝えるのです。
不快感に対処する
境界線を引いた結果として生じる不快感に対処するのは最もつらいプロセスです。この不快感こそが、線引きを躊躇う最大の理由でしょう。そのように罪悪感、恐れ、悲しみ、公開気まずさを感じるのはいたって普通のことです。ただ、罪悪感のない境界線なんてありません。罪悪感もまた線引きという過程の一つなのです。
私たちの子は生まれた瞬間から要求を抱くことに。罪悪感を持つように育てられます。大人の中には、子供自身の境界線を無視させながら育てる人もいます。意図的でないまでも、保育者は子供がハグをしたくない相手にもハグをさせる時があります。そして子供は従わないと悪い子だね。そういうのは良くないよなどと言われてしまうのです。相手の要求に従わないの悪いことだと感じるのは洗脳的です。こうした小さな言動の積み重ねによって、私たちは子供に自分の境界線を重んじるのに罪悪感を抱かせているのです。
しかし、何よりも大切なのは、あなたは自分の望みを満たそうとしていいということです。自分の要望を伝えるのはいたって健全な行為です。無礼な態度でなければ、自分のためにはっきりと主張しているのです。たとえ罪悪感を抱いても難しいプロセスの一部として受け入れるのです。すべてに影響を及ぼすわけではない。ほんの一端の要素にすぎないのだと。
相手に境界線に難色を示されたときの例をいくつか紹介しましょう。
・抵抗する:あなたの示す境界線を無視しがを通そうとします。
・限度を試す:あなたを出し抜いたり、心理的に操作したり、あなたの目をかいくぐるろうとしたりします。また、あなたに気づかれない方法で、自分の要求を通そうともします。
・正当性を疑う:境界線と、それが妥当であるかについて疑問を呈します。
・自己防衛に走る:あなたの言葉や性格について批判したり、自分の声が正しいと弁解したりします。
順応期間
相手にもあなたの境界線に慣れてもらう時間を取りましょう。線引きに慣れてもらうまでの間、あなたの境界線を繰り返し説明する必要があるかもしれませんけれども、あなた自身について必要以上に丁寧に説明する必要はありません。何よりただ、誠実に境界線を守るという姿勢が大切です。境界線を引くという行為は、あなたにとっても相手にとっても新しい試みです。人間関係の新たな在り方になる時間は、どちらにとっても必要なのです。
境界線を維持するためにすべきこと。境界線を引くことは難しいと思いがちですが、実は維持する方がもっと大変なのです。人に何かを求めたら、あなたは完璧な模範でいなければならないのです。そして、もう一つ境界線を保つためになすべき事は境界線をないがしろにされたらどう対処するのかを決めておくということです。何も手を打たなければ、自らを軽んじているのと同じです。
・ぶれないで:たとえ一回でも境界線を侵害されたら黙認してはいけません。あっという間に2回、3回、4回になるでしょう。そうしたらまたゼロからやり直しになってしまいます。
・言い過ぎにも注意:あなたの境界線事細かに説明する必要はありません。もちろんせいぜい一つか二つ質問に答えるくらいは構いませんが、よく考えて簡潔にしましょう。忘れてほしくないのですが相手はあなたが考えを変えてくれる気を探しているかもしれません。できる限り当初の主張からそれないようにしてください。
【境界線を尊重してもらえない主な理由】
あなたも境界線の維持に努めていない境界線について自信がなさそうに説明した。必要性や期待する内容についてはっきりと伝えなかった。境界線に一貫性がないほんの1分間きちんと守っても次の瞬間にはぶれてる。たとえ自分から要望を伝えなくても、相手が勝手に振る舞いを正してくれると思い込んでいる。一度説明すれば充分だと思っている。線引きするのに謝る。結論を伝えたけど、自分がそこにこだわる様子を見せない。境界線を尊重して欲しいなら、まず自分が尊重しなければなりません。
→付き合う人厳選するようになるね。
あいまいな境界線とは
相手に対して何を求めているか、どうして欲しいのかを明確にしないと境界線がぼやけます。境界線が曖昧なままでは人間関係を効果的に改善させられないと肝に銘じて欲しいと思います。
・ライフライフスタイルに口を出す。時として求めているいないにかかわらず条件付きで人から助言されることがあります。例えば、もうちょっと上手な生き方を教えてあげるよというような。誰かに相談された時に何々した方がいいよと言ってあげれば助けになると思っているのです。これは18歳以上の子供と親との間によくある境界線の問題です。親はどうしても子供にどうすべきは口出ししてしまうのをやめられないのです。何のアドバイスもせずに、ただ相手の話を聞く事は想像以上に難しいかもしれません。でも実はそれこそが相手を支える最善のやり方という場合も多いのです。悩んでいる時、何よりうれしい質問は今、フォッシーのは共感。それとも問題を解決するための戦略だそうです。とか私たちはどうすべきか意見を求められていると思いこみがちですが、いつもそうだとは限らないわけです。境界線を引く基本は何の助言もせずに話を聞く方法を学ぶか私に話を聞いてほしいだけか、意見を求めているのかどっち?と聞くことです。あなたにどう関わってほしいのか、相手に選んでもらうのは、相談した人にとってもとても嬉しいものなのです。
あなたの人生については、あなた自身の意見より、他人の意見に価値があるはずがないのです。
人は最後にはあなたが譲歩してくれるのを期待しています。あなたが自分の一線を譲る気はないとはっきり伝えない限り、いつまでも食い下がってくるのです。はじめからやめてと言えば、相手を何度もはねつけずに済みます。ですから、単刀直入に興味のないことを伝えましょう。
→元夫をなんだかんだ引っ張ってきたけど、それ自体が間違っていたのかなぁ。わからんなぁ。何度も何度もはねつけてきた。
トラウマを持ったアンバーは、環境に応じてカメレオンよろしく、自分を変えるすべを身につけていました。母親に見捨てられた過去や虐待に耐え忍んだ時期、複数の家族と生活を送りながらも安らげる場所は一つもなかったことなどを思い返し始めたのです。
→実子にとって安らげる場所がちゃんとあったのか聞いてみよう。
境界線とトラウマ。子供の頃のトラウマは、その後の発達だけでなく、境界線を引いて尊重する能力にも影響を及ぼします。逆境的症状に小児期体験ACE(Adverse Childfood Experiences)における質問項目は、幼少期におけるトラウマの影響の度合いを測るために作られました。虐待、ネグレクト、幼少期の家庭の機能不全などについてのトラウマの深刻度を測定します。 ACEは次の項目で成り立っています。
・虐待:身体的、性的、情緒的
・ネグレクト:身体的、情緒的
・機能不全家族:精神疾患、収監された家族がいる、薬物依存症患者、母親への暴力、離婚(転居の頻度が高い場合もトラウマになります)
すべての項目10個のうち、あてはまるものが四つ以上あるというACEスコア高い人は、健康上の問題や人間関係の問題、不安うつ病などの精神的問題を抱えがちです。
→私は、情緒的ネグレクト、母の鬱、父のアルコール依存、転居の頻度が高いで4点か。カウンセラーさんが、私のACEスコアだったら、「リストカットしまくっててもおかしくないのに、よく生き延びましたね。よく大学に入りなおしましたね」って言ってくれて、何を大げさなって思っていたけど、よく健闘した方なのかも。
トラウマがある人がたびたび経験する境界線の侵害行為には3つのタイプがある
・身体的侵害の経験
不適切な接触をされる。愛情が与えられない自分の体をどう扱うべきかを教わっていない。個人のプライバシーを無視される。必要な衣服を与えられない。押す、つねる、突き飛ばすなどの行為をされる。個人的な日記を勝手に生まれたり、私物を荒らされたりする。
→不適切な接触されたな。生理の情報は足りなかった気がする。そして、高校の時ブラを買ってもらえなかったな…
・性的侵害の経験
性にまつわる冗談やほのめかしを言われる。卑猥な雑誌や映像を見せられる。相手のジェンダーや性的嗜好を侮辱される。体の発育について適切な情報を与えてもらえない。性行為を強要される。性的虐待を受ける。相手が性行為を拒否しても応じてもらえない。避妊具の使用を求めても応じてもらえない。
→避妊具の使用を求めても応じてもらえない
・心理的侵害の経験
自分の感情を軽視される。頻繁に怒鳴られる。どう感じるべきか考えるべきかを指示される。自分の感じ方が間違っていると言われる。人を大切にする方法を示されない。両親の不和に対処させられる。適切な期待されない。不当に責められる。その人のせいではない事で相手から非難される。自分の意見を持たせてもらえない。馬鹿にされる。面と向かってお前の気持ちなんかどうでもいい、出来損ないなどと言われる。
→学びたい、挑戦したいという感情を軽視されたな。自分はあきらめたし結局そうせざるを得ないんだからなぜ闘うのか、なぜ生きづらい方を選ぶのかと言われたな。親の不和に対処させられてきた。私勉強してみたらできたけど、親からは一切期待されなかった。むしろ、兄を越えるなというような天井を設けられた。私のせいではないことで非難されたな。
・虐待やネグレクトを受けて育った大人が抱える主な問題
誰かれ構わず助けようとする。いい方法がなくても、がむしゃらに頑張ってしまう。返してくれる見込みのない相手にお金を貸す。愛情を得るために物や情報を過剰に共有する。他人を優先しがち。対立を恐れる。自尊心が低い。複雑な人間関係に身を置いている。他人の意見なしに自分で決断をくだせない。
→生徒は助けようとした。それが仕事ってのもあるし、目の前の人が網の目からこぼれ落ちかけてたら、とっさに手出しちゃうよ。愛情を得るために、物や情報を過剰に共有した。他人を優先しがち。ずっと複雑な人間関係に身を置いてきた。今ものすごくシンプルになって、とても心地よい。
愛着3パターン(不安型・回避型・安定型)
【回避型の愛着】
(人間関係がうまくいかないことを正当化する理由をいつも探している。)人間関係における否定的な側面ばかり気にしている。人間関係から逃れることばかり考えている。自己開示が苦手。自主性を失うのを常に恐れている。自分に釣り合う人なんて居ないと思っている。日常的なつながりはベタベタしすぎだと感じている。多くの場合、不健全な愛着スタイルを持つ人は、融通の利かない境界線をひいています。
→私は今回避型だな
【安定型の愛着】
気持ちよくパートナーから離れることができる。口論になっても、感情をコントロールできる。健全な自己意識を持っている。人と感情を共有するのが苦にならない。大げさに伝えなくても、相手の気持ちをきちんと受け止められる。
→口論になっても感情をコントロールできるけど、感情を共有していい人、自分と関わる人は厳選したいなぁ。
【反依存】
他人に自分の弱さを見せずらい。人の力を借りたがらない。相手からの協力を得ずに物事をこなしたがる。人に愛着を抱くのに不安がある。意図的に人と心理的距離を取る。孤独感への耐性が強い。感情認識するのが苦手。 反依存とは言ってみれば、回避型の愛着を持つ人が自分を守るすべとして習得する心の持ちようなのかもしれません。人とのつながりを求めながらも、純粋な気持ちで人と関わることを危険だと感じてしまうのです。
セルフケアで自分を労わる
【自分の労わり方】
自分に対してまた他人への向き合い方について適度な期待を持つ。メンタルヘルスを良好に保つ。親に対しては親の立場を配慮するのではなく、子どもとして接する。兄弟に対しては親のような立場ではなく、兄弟として接する。必要な時には援助を求める。休日は自分の好きなことに時間を使う。人にもセルフケアのための時間を与える。自分を疲弊させる人との付き合い方を減らす。信じ込まされている自分ではなく、本当の自分を見つける。過去の自分を、人生を前向きに転換させない理由に使わない。自分の気持ちを話す。喜びを素直に感じる。過去の経験を都合よく脚色せず、ありのままの過去を話す。自分を責めない。子供の頃に教わらなかったことを率先して学ぶ自分の体の状態についてよく知る。
→今、休日という感覚がないから、先に予定を決めちゃって組み込んでみるか。子どもの頃に教わらなかったことを率先して学ぶ。自分の体の状態についてよく知る。
自分のための境界線が役に立つ領域
・金銭管理←とにかく今必要なのはこれ
・時間管理
・セルフケア(自分が楽しめる活動ができる場をつくる、不安があっても興味がある活動なら試してみる)
・他人からの扱われ方(問題が起きたら深刻化しないうちに対処する)
・考え方
・反応の仕方
・自分の人生に関わるべき人々
自己妨害となる行為
・先延ばしをする
・目標に近づいたところでやめてしまう
・不健全な関係を続ける自分との約束を破る
・非現実的な目標を設定する
・挑戦しない
・自分自身の能力についての否定的な逸話を吹聴する
自己妨害とは、自分の境界線を自ら軽んじる行為です。望むものを遠ざける不健全な振る舞いです。自己妨害は自分について否定的な話をするところから始まります。私たちは往々にしてやる前から自分に否定的な言葉をかけて挑戦するのをやめたりします。そういう後ろ向きな言葉は否定的な考えを現実にしてしまいます。ついできっこないよと言いがちかもしれませんが、できると信じる以上に私たちにはやり遂げられる力が備わっているのです。できっこないよは先延ばしや諦めや断念、非現実的な目標設定、自己卑下などを引き起こす要因となります。
ですから、自分の話をする時は「出来る」を使いましょう。やる前から諦めてしまわないでください。次に使わない方いい言い方を挙げてみます。
・30日間断酒に挑戦してみるよ。
・どのくらいの期間があれば、水を飲む量を増やせるか試してみるね。
・自分の一線について周りに話してみるよ。でも絶対に聞いてもらえないと思うけどね。
要するに、未来に対して不安や躊躇いを交えずに率直に伝えればいいのです。自分に関する境界線を説明するときの決然とした言い方をいくつか紹介します。
・30日間断酒するよ。
・今日からもっと水を飲むようにしたんだ。
・私の境界線を尊重してください。
・習慣を変えるよ。
・私は最後までやり通す。
境界線を信頼すれば、自虐的な言動から抜け出せるでしょう。
自分への裏切りとなる行為
・人間関係を維持するために、自分自身と考え方を変える。
・本当の自分を偽る自分と他と比較する。
・自分の価値を維持し続けられない。
・周りの人にあるいは、頭の中で自分に対する否定的な言葉を並べる。
自分を裏切ると、あなた自身の価値に見合った生き方ができなかったり、信頼に足る人としての立場を確立できなくなったりして、自らを貶める結果を招きます。それと、心の奥底では自分の振る舞いの不誠実だと自覚していますから、罪悪感が生まれます。
親との間に一線を引く
オトナであることの基準、それはつまり、自分で自分を導けるかどうかです。大人を楽しめるようになってくると、親の管理下から離れようとし始めます。
親との間に境界線が必要な時とは
・あなたの人間関係について詳細に知っている(特に親の存在が人間関係に悪影響を及ぼしている時)
・あなたと他人との対立に親が介入してくる
・あなたの意見を尊重してもらえない
・許可も取らずにあなたのパーソナルスペースに入ってくる
・何を言われても応じるように強要されている
・例え不都合があっても、義務感から俺の言葉を受け入れてしまう
→父は話してないのに交友関係について知っていて気持ちが悪かった。母はパーソナルスペースへの侵入が激しい。親を訪ねる時は、実家ではなくホテルに泊まるようにしよう。
共同親権を持つ相手との間に境界線が必要な時
・子供にあなたについて否定的な意見を吹き込まれる
・あなたと相手が合意しないまま決定を下して子供に悪影響を与える。
・子供にわるぐちや口喧嘩、心理的虐待、家庭内暴力などを見聞きさせる。
・子供が一方の親の側につかせる
・どちらが正しいかを選ばせたり、一緒にいた親を選ばせたりする。
・子供を喧嘩のダシに使う。
共同で真剣を持つ相手との間に引く境界線の例
・問題が起きたときは、子供に話す前に2人で話し合う。
・真剣に関する取り決めがある場合、それを尊重する。
・相手のよくない情報を子供に伝えない。
・子供が居るまでの議論ルールを決める。
・問題を円満に解決できないときは、仲裁してくれる人に入ってもらう。
・子供を相手の家に連れて行くときは、送り迎えについて決めておく。
→これができる相手だったら離婚してないんだよなぁ
子どもに境界線の引き方を教える
大人は子供にも境界線が必要だということを忘れがちです。お前はまだ子供なんだから黙ってなさいと親の勝手な都合を元にして言葉や態度で示すことなどはその証拠でしょう。
大人が忘れてはならないこと
・子供にもさまざまな感情があり、それを自由に感じたり、表現できるのは、彼らにとってとても有益です。
・子供が大人が物事か見せる物事から影響を受けます。
・子供は問題が起きた時の大人の対応によって様々な影響を受けます。
・子供が大人の言動でどんな気持ちになったかを覚えています。
・子供あなたの仲間でも親友でもありません。
・振る舞いがどうであれ、子供には大人の問題に適切に対応するだけの精神的能力はありません。
・子供にも境界線があります。
これまで私のもとを訪れた大人の相談者の大半が、子供の頃に境界線を侵害された体験をはっきりと覚えています。今なおその時受けた心の傷が癒えずに苦しみ、大人になってもなお心地よい境界線を引くのに苦労しているのです。子供は、自分の境界線を持つのは健全だと知る必要があります。子供はじぶんの希望を尊重してほしいと大人に訴えられないと気付くと、ささやかながら心地よい境界線を引こうとします。そして大人に話を聞いてほしいと頼むのです。
→実子にきいてみよう。侵害された経験について。
恋愛関係に期待を抱いたとき
付き合い始めは楽しく、相手を喜ばせるのは簡単だと思いがちですけれども、相手が何より喜ぶものはあなたと相手が正直でいることです。そして自分のための時間を作り、傷つかずに済むために、「深い付き合いをもとめていないの。自分は結婚には向いてないタイプだと思っている。これまで付き合った人にはことごとく変人だと言われてきたよ。子供が居る自分は想像できない」等と言われたら、それをそのまま受け取りましょう。それでも2人の関係に問題がないなら、きっと相性があっているのでしょう。でも、もしも反対の考えを持ってるなら、同じものを求めてる人を探す方が賢明です。そうしなければ、付き合いの大半を自分の要望を相手に押し付けることに費やすためになります。妥協して意見を変えてくれる人など、滅多にいませんし、少なくとも長続きしません。
→アスペルガーくんに対して私はちゃんと意思表明をしていた。彼は自分をごまかして私に合わせようとした。結果長続きしなかった。
自己主張して2人で解決策を見つける
とりわけ次のように思い込んでいると、素直に率直に話すのが難しいと思います。
・私のことなどどうせ気にかけてもらえないだろう。
・私の頼みを尊重してもらえないだろう。
・私の主張は真面目に聞いてもらえないだろう。
・私を理解してもらえないだろう。
・きっと事態は何も変わらないだろう。
・悪者にはなりたくない。
→これは、情緒的ネグレクト育ちの人のデフォルトの思考。
空になった巣
子供が成長して家を出ると、子育てをアイデンティティの拠り所にしてきた親は空になった巣になかなか順応できない自分に気づきます。子供をもったからといって、それがあなた自身の人生や結婚生活を諦める理由にはなりません。親としての暮らしの一時期に子供が加わっていただけなのです。子どもを育てるために自分の人生疎かにをする必要はないのです。
不健全な友人関係の特徴
(・競争関係にある)
・相手にひどく感じの悪い接し方をしてしまう
・相手と交流したあと、精神的に疲れてしまう
(・人前で恥ずかしい思いをさせられる)
(・共通点が一つもない)
・あなたの個人的な話を周囲にひろめられてしまう。
・対等な関係でない(たとえばしてもらうよりしてあげることの方が多い)
(・意見が食い違うとうまく折り合えない。)
・あなたの境界線を尊重してもらえない
・複雑な共依存的な関係にある。
→頻繁に境界線を侵してくる友人にはひどく感じの悪い接し方をした。私が自分の心を抑えて相手を優先して話を聞いてた友人とは、会った後に精神的に疲労していた。私の個人的な話を周囲に広めて怒って主張した私を責めてきた友人とは縁を切った。年下の年上からおごってもらうとか年下扱いがデフォルトの友人は引っかかっているが今まだ様子を見ている。
境界線の感覚が近い友人達が結果的に残っているのか。
このワークを若者にやってあげたら彼らは喜ぶし生きやすくなるだろうな。
友達は自身の経験に基づいて100%の先入観を交えた助言をしてきます。
→そうなんだよね。だから、古戸建て投資のことは師匠に相談するし、民泊は民泊の師匠に相談する。脳とトラウマについては専門のカウンセラーさんに相談するし、仕事についてはその道のコーチに相談する。若い頃は、とりあえず友達達に聞きまくっていれば、自分の考えを整理できて歩き出せたけど、それは多分当時抱えていた問題が単純だったからってのもあると思う。今は、悩みの専門性が高いというか、その道のプロに相談しないとずっとぐるぐるしがち。友人たちは、彼らが到達できなかったこと、諦めたことについては消極的なアドバイスをくれるし、時には善意で私を止めにかかる。
相手の問題に巻き込まれない
私たちは人生の誰に対しても借りがあるわけではないありません。他者に対して1種の責任はあります。しかし、他人の人生の重荷を自分の肩に背負う義務など一切無いのです。
友達の問題は自分の問題ではないというのは重要な認識です。他人の問題に深く立ち入ったからといって、あなたがそれだけ相手を大切に思っている証拠にはなりません。むしろ、あなたに心地よい境界線が欠けている証です。相手の感情や解決法や結果に巻き込まれずに、その人のためにできることはあります。最も好ましい方法はただ聴くことです。もっとも相手を力づけられる方法は、本人に自分で問題に向き合わせることです。もしも他人の問題なのに、何度も不平を言う自分に気づいたらすぐにやめて、それは自分の問題ではないと自覚しましょう。自分の気持ちに意識を向けて、なぜ他人の問題に巻き込まれてしまうのか考えてみてください。他人の問題に巻き込まれると相手を助けられる本当の解決法から逸れてしまいます。これまでだってただ心配して、延々と相手の問題について考え、混んでいても誰も助けられなかったはずです。
→私にできることは、実子を助けようという考えを捨てて、あの子のためにぐるぐる考える時間をなくし、ただただ実子の話を聴き、自分自身で向き合わせること。これだけ。
境界線を何度も侵入する人への対応
人はあなたが許した通りに振る舞います。あなたから拒否しない限り、同じことを繰り返します。確かに、相手の行動をコントロールすることはできませんが、自分の反応の仕方や強度を調節することは可能です。
健全であるためにできること
・自分の人生から有害な人を排除する
・健全な付き合いができない人との交流を減らす
・不健全な人と一緒にやるくらいなら一人でやる
・自分の時間の作り方について厳しく選択する。
・同じ方法で同じ結果しか生まないので、違うやり方を試してみる。
・新しい友人ができたときは、あなたの希望は早めに明確に伝えておく。
・健全な人新たな関係を築く
・境界線について何回か説明する。
→学校で仕事をしていると、毎年付き合う人は入れ替わり、境界線の構築をしたとしても、1年毎に更新されてしまう。対応する人数が多すぎて、常にバリアを張っていないと一部の境界線のない人達にガンガン侵入される。不特定多数を相手にする仕事、対応する人数が多すぎる仕事は、私にとっては健全な環境ではない。
今まで、大きな目標を掲げてきた。でもそれは、私の幸せには直結しないし、成果が見えるものでもない。バーンアウトの一因。
これからは、目の前の人の生活が少しでも良くなる、居心地よく過ごせるようになる方向に目標設定をシフトしたらいいのかな。成果みえるし、彼らの喜びが私のエネルギーになる。
職場における境界線の問題の例
・他人の仕事を肩代わりする
・個人的な問題について詮索される
・手におえない量の業務を任せられる
・仕事を委任できない
・不適切な交流がある。
・給料が支払われない休暇を利用できない、
・責任を持ってやり遂げられない仕事を引き受けてしまう。
・精神的に疲弊する交流に参加する
・休憩時間にも仕事をする
・一人でこなしきれない仕事をしている。
・必要な休息がとれない
もちろん人の境界線を犯したことに気づく人もいますが、ほとんどの人は気づきません。境界線と自然に身につくものではなく、教わるものなのです。職場では労務管理部門や労働文化や上司を通じて伝えられます。ところが失業の恐れを抱いている人はなかなか線引きができません。
劣悪な労働環境の例
・長時間労働がある
・複数の人に噂をされる。
・残業代が支払われない
・同僚に派閥がある。
・限られた時間で対応できる量を超えた仕事を命じられている
・同僚や上司の間で悪意のある会話がなされている。
・上司のうぬぼれが強い
(・いじめを受けている)
・セクハラの被害に遭っている
(・人種や身体能力、性的嗜好理由に不当な扱いを受けている。)
→学校は、()以外、ほぼすべて当てはまっている。劣悪な労働環境。
可能な限り過労避けるために私が知っていること
・相談を受けるのは週に15~20人とする。
・週の3日は相談者との面談に使い、残りの2日は執筆したり、ほかのプロジェクトに関する仕事をしたりする。
・自分の専門分野の相談、人間関係にまつわる問題しか受けない。
・新しい相談者を受ける前、受け入れる前にお互いに足並みをそろえて前向き問題に取り組めるかどうか話し合う。
・勤務時間外の連絡方法について私の境界線を相談者に伝える
・相談者と会う日は、自分のエネルギーを計画的に使う。例えば、仕事以外の疲れそうな対話は避けるなど。
・最初のセッションの前は数分間静かにその日の予定などを考えて気持ちを整える。
・勤務時間以外はセラピストである必要はないと自覚し、時間外は相談を受けない
・自分の人生で問題が起きたらセラピストとして向き合う
・一年間で数回休暇を取る。
他に過労避ける方法はある
・休暇使い切ろう。休暇とエネルギーを取り戻し新たな気持ちで仕事を始めるための機会。雇用主が有給休暇を許可するなら、ぜひ活用してください。
仕事から離れるのはあなたがエネルギーを充電し直す大きな意味がある行為です。
・仕事以外で自分のための時間を作ってください。仕事とは関係のない趣味を見つけて定期的に取り組んでみましょう。
→MXTXの小説をずっと読んでたい。オンライン英会話。世界遺産巡り。美しいものを見に行く旅。仮面祭、ランタン祭、ダイヤモンドダスト見たい。
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