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283に込められた願いと誓いは樋口円香に届くだろうか(アイドルBと芸能界に関する考察)

  *この記事は樋口円香PSSR「ギンコ・ビローバ」のネタバレとなる内容が含まれています。

 11/30に開催された復刻イベント「きよしこの夜、プレゼン・フォー・ユー! ~お客様の中にサンタはいらっしゃいますかSP~ 」では、シャニマスの舞台となる283プロダクションの社長、天井努の過去が描写された。

 そこでは自分の担当アイドルの未来を考えつつもアイドルの本当の考えを知る事ができず才能を潰してしまった事が明らかになり、その経験から283プロダクションではアイドルや自身にコンセプトを決めさせるなど、「それぞれが望んだ色」の翼で空を飛べるようにサポートするという方針を取っていると確認する事ができた。そこに込められた願いは一度道を踏み外した時点で全てが崩れる上に、芸能界の黒い側面が見え隠れする本作では綺麗事に聞こえるかもしれない。 

 しかし、本作のプロデューサーは「どう行動すべきか」ではなく「どうなりたいか」という事を意識して伝える形でアイドル達の成長をサポートする場面が多く、社長の願いを知らず知らず成し遂げている。(特定の行動をするように咎める場合も、アプリオリな発言ではなく極力その理由を合わせて言うようにしている事は考慮しておきたい)

 ところが、新しく実装されたアイドル「noctill」の中に1人、アイドルとしての理想を抱かず、プロデューサーからの対話も拒絶する事で自分から望まない靴に対し、自分の足を合わせようとしている存在がいる。

 それが、ノクチルの「樋口円香」というキャラクターだ。

 幼馴染が変な仕事や大人に巻き込まれないように監視するという目的でアイドルになった樋口は,芸能界や大人を汚い存在だと認識している発言を多くしている。しかし、それと反比例するように業界やファンから高く評価される描写が多い。

 時が経ち、他の幼馴染が「どんな方向性で仕事をしたいのか」「どんなアイドルになりたいのか」という方針を定めつつある中、経緯が経緯だけに彼女にはそのような描写は見られないことから,アイドルという職業に対して本当に特別な感情を抱いていないと読み取れる。

 そんな状態でも一定以上の結果を出せている描写がある樋口には、恐らく「アイドル」の素質があるのだろう。しかし、現状を維持したまま彼女がアイドルとして人気を勝ち取る事は、社長およびプロデューサーが掲げる願いを破壊してしまうのではないだろうか。

 これは私の思い込みかもしれず,また樋口というキャラクターを誤解しているという可能性があるが、上記の考えに至るようになった理由について分解したものを以下に示した上で論述していきたいと思う。

樋口円香が苦しんでいる理由=

(a)醜い芸能界から幼馴染を守りたいという覚悟✖️(b)成長する幼馴染に追いていかれるという恐怖✖️(c)理想像がない自分が理想像があるアイドルより高い評価の対象になる後ろめたさ

その優しさは憐れみか(a),(b)

 前提として、樋口円香が人生で一番大事にしている物は幼馴染である事に疑いはないだろう。これに加え、他の一部のアイドルに対しても気遣いを見せ、時には同じオーディションに参加していたアイドルを励ますことができるなど情が深い人間だとも言える。ただ、ここに一つ気になる点がある。彼女が優しさを示す事ができるのは「相手が自分を害することがない」「自分が優位に立てる」と確信できる状況、つまり自分が安全圏にいる状況がほとんどだという事だ。ここから仮説を立てると、樋口円香は自分自身を「幼なじみの中で自分が一番しっかりしている」と認識しており,人を気遣う行動は「ダメな所がある人間をしっかりしている自分が支えなければならない、気遣ってやろう」というような、言葉を選ばなければ上から目線の感情から行っているものだと考えられないだろうか。

 抜けている所がある透・努力が結果につながらないことの多い小糸・己の生き方を貫く強さを持っているが故に周囲と摩擦を起こしがちな雛菜という幼馴染に囲まれて育てば、彼女達を保護しなければならないという責任感や外の世界で生き残る為に立場の上下を明確にする価値観が強くなる事は不自然ではない。しかし、「ノクチル」という名前を手に入れた三人は明確に成長した。透は自分の思いを伝えようとする事を覚え、それが伝わった時の喜びという成功経験も得た。小糸は「居場所がないと感じている人たちの側にいたい」というビジョンを持ち、雛菜は自分がまだ気づいていない「しあわせ」を探す為に外の世界を旅するようになっている。

 それぞれがノクチルとしてやりたい事を見つけ、人間としての魅力を増してい最中、樋口は未だ幼馴染を自分の存在意義として固執している。樋口が「自分が幼馴染の中で一番下にいる」と実感した瞬間、「居場所がない人の居場所」であるノクチルの中に自分の存在意義を見出せなくなるのではないだろうか。

 樋口円香を追い詰める物は成長する幼馴染それ自体ではなく、「透にできない事で私にできない事はない」という彼女自身の覚悟なのだ。

「アイドルB」が翼をむしり取る(c)

 樋口がノクチルに居づらくなったとしても、樋口は幼馴染を自ら捨てる勇気を持てず、その手段としてアイドルとしての技術をさらに高める事を選ぶだろう。

 成長していく浅倉透と張り合う為に技「だけ」を伸ばすとしても、彼女はさぞかし優れた「アイドル」になるだろう。「透にできないことで、私にできない事はない」という天塵で見せた覚悟を貫く事も恐らく不可能ではない。

 しかし、技術や力はあるが、他者(この場合はファンに限らず、プロデューサーでも良い)伝えるに値する何かをもっていない、言わば透明なアイドルが成功するという事は何を意味しているだろうか。

 それは、各個人がアイドルとして活動する手段や目的を持つ事が結果に繋がるというプロデューサーの価値観が、それらを拒否する樋口の成功によって偽りだと証明してしまう事であり、手段それ自体よりも結果の方が重要だと証明してしまう事にもなる。

(*やや本論から外れるが、真摯に政策を訴える政治家よりも威勢のいいスピーチや記憶に残るキャッチコピーを唱えるだけで実務能力が低い政治家の方が先進国の住民からの支持を得て、首都レベルの首長に当選する事例が頻発していることに似ていると理解していただきたい。)

 樋口はノクチルの関係性を壊さない事を最重要視している事から、大枠としては自分なりの理由でアイドルとして活動していると言えなくは無い。しかし、「理想や信念、伝えるべき何かを持たない人間がそれを持っている人間を自分の利益のためだけに叩き潰す」と言う構図は「天塵」でノクチルを軽んじたテレビ番組のディレクターや視聴率を稼ぐ目的でアンティーカの発言を恣意的に編集した「ストーリー・ストーリー」の中に出てくるリアリティショーのスタッフと非常に似ていると私は考えている。汚い大人の世界から幼馴染を守ろうとした少女が汚い大人の世界で蔓延る理屈の正しさを証明するようになる事を「成長の証拠」と言っていいのだろうか。
 
 勿論「今の」樋口円香は誠実な人間である事に疑いは無い。あそこまで落ちることはないと信じたい気持ちはある。だが、生活環境の変化は時に思考法の変化に繋がる。具体的には、成績優秀者の集団に配属されるうちに元々成績が優秀でなかった人間の成績が上がっていったという経験に覚えはないだろうか。
 逆を言えば、例え最初は特定の行為を「悪」だと思っていても、ダラダラ続けていたり周囲の人間から肯定される事により、その行為が「善」に置き換わる事はあり得る。
 どれほど人格が優れた人物であろうとも、一度周囲に流されれば腐り落ちるのに時間はかからない。仮にそうなれば、「ノクチル」として幼馴染の関係が破綻しないまま終わったとしても、その先の未来で誰かの可能性を否定してしまうような大人になる可能性はそう低くない。プロデューサーからは樋口の抱えている問題の全容が見えないとしても、「彼女は誠実だから大丈夫」で終わらせてしまうのは流石に危険だ。

 樋口にとっては彼女が持っている誠実さを捨て、ファンに伝える言葉を考える事への後ろめたさを放棄する事によっても心の平穏という結果を得られるだろうが、 未来でアイドルとして生きる人々や長期的な樋口にとっての利益を考慮するとなると、険しい道を選ばせる事になり大変心苦しいが、後ろめたさを放棄させるという解決法は却下せざるをえなくなる。

(余談であるが、GRAD決勝で流行1位の審査員を集中して攻撃する難敵の「アイドルB」のシルエットは樋口円香のそれである)

引き裂かれたとしても

 ここまで樋口円香は幼馴染との関係を守ろうとし、自分の心をすり減らしてでも「アイドル」である事に固執している結果、彼女が嫌っていた大人と同じような存在になりつつある事を述べた。最後に、ノクチル意外に彼女にとって重要な存在となっているプロデューサーについて触れていくことでこの先何をプロデューサーがするべきなのか推測したいと思う。

 2週目のPSSR「ギンコ・ビローバ」のTRUE ENDの内容がプロデューサーとの決別、あるいは決定的な対立を示唆する内容であったことから、WINGを経て少しずつ関係が改善しているという読み方がひっくり返され、虚脱感に襲われている感想が多く感じられた。しかし、対立の可能性がある事は確かだが悪化しているとまで考える必要は無いと今の私は敢えて解釈している。

 根拠としては、プロデューサーが彼女に必要だと考えられる言葉はWINGの時点で届けられている事、TRUE以外の2周目のコミュを総括してみるとむしろ彼女の方から本音を話し出す場面が増えている事だ。

前者の根拠についてもう少し掘り下げてみよう。「心臓を握る」の中にある選択肢「高望みしよう」、これは先述した仮説に基づけば重要な選択肢になる。

「何度も自分を試されたくない」という独白に対してこの言葉を返す事は、一見最大の地雷を踏んでいるように見える。しかしこの後に続くプロデューサーの発言は、諦められるまで側にいるというものであり、敗北する事でこれまで自分を支えてきた物を失うのではないか、という彼女の不安に最も深く届かせる事ができる言葉だった。

諦められるまで側にいる そして一緒に大泣きしよう」(樋口円香WING共通コミュ "心臓を握る")

 感謝祭で小糸がWING優勝時の台詞を前提にした発言をしている事、感謝祭の季節が秋である事、2周目SSRでは1周目と比較してプロデューサーの存在に本音を話す事を許容する回数が増えている事。このことから「ぐちゃぐちゃに引き裂かれて仕舞えばいいのに」という言葉の意味を私なりに推測すると、「プロデューサーの善良な振る舞いが職業を遂行する為に身につけた仮初のものでは無くプロデューサー自身の人格に基づくものであって欲しい。スーツを引き裂いても中身が同じくらい美しいならば私は貴方を信頼できるのに」というプロデューサーを信用したい樋口の心情を表したものだともいえる。

 樋口円香はおそらく危ない橋を渡っている。それはしかし、そこから彼女を救う布石も既に打たれている。後は、「ノクチルという名前を得ても4人は4人のままでいられる」事を全力で証明するだけだ。まずプロデューサーは、これまでそうしてきたように自らの在り方を損なおうとしない事が一層重要になるだろう。プロデューサーだけでは力不足だというなら、はづきさんや社長、ノクチルの存在が何かの助けになるのかもしれない。(敢えて強調するならば、はづきさんの名前を比較的頻繁に出す所が気になっている)

 幼馴染が樋口を救えるとすれば、庇護すべき存在から明らかに気遣う態度を取られれば、帰って自尊心を傷つけられる可能性があるので、それとは違う方法になる。おそらく、「幼馴染の絆」は樋口にだけできない事があっても揺らがないと言葉以外の方法で示す事だろう。例えばそれは、樋口が何かしらの理由で1人だけライブに参加できなくなった時にさえも彼女の歌唱パートを空けておく事かもしれない。

見たいんだって、友達の絆 簡単じゃん それは(浅倉透 天塵"アンプラグド")

 自分が他の三人より劣った存在になることで関係が変わる事を恐れていた彼女も、三人が成長したという現実を受け止める事で「そんな事で私たちの関係は変わりはしなかった」と思える日が来たならば、晴れて「透にできない事で私にできない事はない、そうでなければ彼女達を守れない」という妄執から解き放たれる。そして初めて「何をすべきか」ではなく「他者を押し通してまで自分が成し遂げたい事は何か」「ファンに対して自分が持っている、伝えるに値する何か」について考える余裕も生まれてくるのではないだろうか。

(*なお、WING決勝で敗退した後の樋口は非常に晴れやかな表情で自分がアイドルになろうとした理由を考え始めようとしている。)

「できない事があってもいい」(櫻木真乃GRADコミュ"とまる歩みに")

「舞台に立つ人間は、もっとわがままになっていいんだ...... 聴け!ってさ」(杜野凛世GRADコミュ”いたかった”)

 天塵のラストシーンでプロデューサーが「4人で生きていく姿こそが美しい」と判断した時、当初私はやや無責任な言動だと感じた。だが、今ではこの判断がノクチルがノクチルである為に、そして樋口円香が樋口円香として生きる為に最も適切なものだと思い直している。プロデューサーが樋口の内心を完全に見通しているわけではないだろうが、完全に他者を理解できていない中でも、時に他者の人生を変えるような行動や言葉を送る事ができるという事は作中で何度も示されてきた。だからこそ、私は今後のプロデューサーがノクチルに対しどう向き合い、どのような答えを出していくのか注視したい。 

 最後に一つ個人的な願いを残しておきたい。いつか、彼女が幼馴染の他に信じる事を許容できる存在を見つけることで「あなたの歌を好きだ」と思える人に対し、言葉を見つけられるようになる事ができるようになる事を祈っている。

 そして、いつか彼女が翼を持っている人たちの可能性を伸ばし、望んだ空に羽ばたく手助けができるような大人になれる事を心の底から願っている。

「スタッカート。これからよろしくね!」

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