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自己心理学について
注意!
今回は「私の心理学的探究:物語としての自己の視点から」を読んだ感想です。
「まだ読んでないよ!」「これから読もうと思ったのに!」という方はブラウザバックお願いします。
それではどうぞ。
過去は変わる?
誰しも嫌な思い出というのがあるだろう。
失敗した、恥をかいた、思い出すのも辛い出来事たち。
それらの出来事は、「タイムマシンにでも乗らない限り消えない」のではないか、一生つきまとってくるのではないかと不安になる。
しかし、過去は変えられるのだ。
正しくは、過去は「思い出した時の視点」で変わるものなのだ。
ある出来事を思い出した瞬間、その時の心理状態や与えられたイメージで、同じことがらでも思い出された感情が異なるという実験結果が出たらしい。
このことから、思い出したくない過去というものは、「その瞬間にそうなだけ」であるということである。
実際に、うつの不安の波が来ている時は、職場での失敗を思い出して辛くなる。
しかし、天気の良い日に散歩をしながらでも、同じことを思い出す時がある。そんな時は「もっとこんな風に処理できたら、よかったんだなあ」とはっとするのだ。
過去は過ぎ去ったものである。こぼした水を元通りにコップに戻せないことと同じだ。
だが、再び同じコップに新しく水を注ぐことはできる。その水はこぼれた水とはまったく違うものだが、同じ水であることには変わりがない。
思い出して辛い過去、というものは無い。「その思い出した時の心理状態」が辛いのだ。
話すことの重要性
話をする、ということは意外と難しい。相手に理解してもらうためには、ある程度論理的である必要がある。
この論理的、というものが曲者だ。記憶を整理し、感情と出来事を切り分けなければならない。
一人で悶々と考え込んでいる時というのは、自分では論理的であると思い込んでいるものだ。
日々思い詰めていることを、いざ病院の先生に伝えようとすると、言葉が出ない時がある。不思議だったのだが、本書を読むことでその疑問が解決した。
誰にも話さずにいることは、驚くほど狭い視野で物事を見ていることに、気が付いた。
完全なる客観性というものも無いようだ。
どんな人でも、己の主観から出ることはできない。
それなら、少しでも自分が心地よいと思えることを増やしたいものである。
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