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妖怪について考える

2021年3月6日

国際色豊かになった現在、日本の文化そのものがおろそかにされていると感じる。

たとえば、私の祖母が住む地域でのことである。

テンノウサマ

6月に「テンノウサマ」の祠に札を納めるという風習がある。
いわゆる「テンノウサマ」とは、牛頭天王、つまり疫病を追い払う神様のことを呼ぶそうだ。京都の祇園祭の源流も、突き詰めると疫病を追い払いたい人々の願いが込められている。

しかし祖母の地域ではなぜそれが行われるのか説明できる人がいなかった。それどころか私もつい最近まで知らなかった。

これではただ祠に札を納めるだけという形骸化した行事になってしまう。またその祠の存在すら、消失してしまわないか。

私はそれが恐ろしい。

河童について

日本の文化、というと大仰に聞こえるかもしれない。
でも「妖怪」と聞けば、日本固有のものでありあなたも聞いたことくらいはあるだろう。

ここからは「妖怪談義」の中身に触れていくので、「まだ読んでないよ!」「これから読もうと思ったのに!」という方はブラウザバックしてください。

本書は民俗学の祖、柳田國男が「妖怪」というものに焦点を当てて書かれた論文である。

彼一人が延々と妖怪について語っていくのかと思いきや、微笑ましい憤慨をしている場面がある。

「川童祭懐古」で、柳田氏は泉鏡花や芥川龍之介の河童作品について喜んでいた。
しかしこうも言っている。

「川童を馬鹿にしてござる」

柳田氏は河童を川の神の使いと考えていたので、作家たちの描き出すユーモラスな河童の姿に違和感を覚えたのだろう。いわゆる「解釈違い」というやつである。

本全体を通しての感想は「論文よりも文学だな」ということ。

主観的で、後世には誤りもあると指摘されてしまうが、こと妖怪に関してはフィーリングも大事なのではないかとも思うのだ。

なぜ今妖怪なのか?

私は妖怪が大好きである。

あのユーモラスな姿、文化的背景をたっぷりと詰め込んだ来歴、これぞ日本文化と思うのである。

しかしたいていの人にこれを言うと、なんともいえない妙なものを見る目を受けてしまう。

着物や新選組が好きなくせに、なぜ妖怪だとそんな白けた目を向けなければならないのだろう?

妖怪についてはまた別の機会に語っていきたい。
このままではあと一万字は書けてしまう。

ともかく「妖怪談義」はおもしろい。
ぜひ一度読んでみると、「妖怪」のことを違った目線で見ることができるだろう。


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