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「高野聖」を読んで

注意!

今回は泉鏡花「高野聖」を読んだ感想です。

「まだ読んでないよ!」「これから読もうと思ったのに!」

そんな方はブラウザバックお願いします。

それではどうぞ。

婦人は神か魔か

そのどちらでもあるのだろう。

上人が獣にならずにすんだのは、もしかしたら婦人を人に戻せる仏の功徳というか、そんなものを持っていたのではないか?

婦人に会ったのは若いころ。語っている今の上人が彼女に出会ったらどうなるのだろう?

私の妄想

婦人は変わらぬ姿をしているのかも。

白痴も親仁もそのままの姿だ。きっとあの川にも何か不思議な力があるに違いない。

獣に変えられた男たちは、今の上人の力で元の姿を取り戻すかも。

婦人と白痴、親仁はそのまま山から下りない。降りることができないのだ。

それでいて、上人と姿を取り戻した男たちは山を下りる。

そんな風景が目に浮かぶ。

妄想が楽しい作品

作品自体の力か、とてもいろいろなことを思う。

なぜ上人は獣にならなかったのか?

仏の信心もあるだろうが、それでも一瞬、婦人と共に暮らす生活を夢見て居たのにも関わらずだ。

きっとそれは、婦人がそうなろうとして力を得たのではないのと同じなのだろう。

上人は山蛭に襲われた時、血と泥にまみれた妄想をするほど感受性の強い人、純粋な人だ。

だからもしかすると婦人をただの人にする唯一の男だったかもしれない。

なんとなく、そんな気がする。そうであると面白い、と私は思う。

この妄想が楽しいのだ。

考察、というほど堅苦しいものではない。

思うがままに妄想を遊ばせる読書も良いものである。

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