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花守

この春、住み慣れた関西を離れて夫と二人で東京に来た。期間限定の都会暮らし。私は仕事を辞めて、夫は仕事環境が変わって、めくるめく新生活。このところ、ようやく暮らしが手に馴染んできた気がする。


引っ越しの少し前に祖母が亡くなった。数日かけてゆっくりと呼吸が浅くなり、やがて静かに止まった。上品で優しくて、一番長く一緒に過ごした人。祖父をうまく弔えなくて滅茶苦茶になってしまった私を見かねたかのように、彼女は別れの時間を持たせてくれた。
長く認知症を患っていて最後に名前を呼ばれたのはもう思い出せないほど前のことだけど、祖母の側はいつでも安心できる場所で、それは彼女の呼吸が止まっても、身体が無くなってしまっても変わらないことだった。


神はいないし祈りに意味はない、と感じている。今ここにある現実がすべてで、タラレバはない。私が私である限りこの未来以外はあり得なかったんだと、綺麗でいられない自分のことはもう諦めた。
けれども、人が自分の信じたものに守られていくのだとしたら、神や祈りの力を信じ、静かに手を合わせる人たちは確かに何かに守られているのかもしれない。それが本当かどうかは確かめようのないことだけど、そうやって信心深く暮らす人たちのことを美しいと感じるのも確かだ。
私は死後の世界を信じてはいないしこれからも多分信じないけど、祖母はどうだったんだろう。もし信じていたんだったら、間違っているのが私であればいいと思う。


引っ越しが落ち着いてからは無職を謳歌しつつ、家のことをしたり資格の勉強をしたりして過ごしている。祖母の葬儀が終わった頃に子供を授かっていることがわかり、その準備も相まって毎日それなりといった忙しさだ。体調が良ければ運動をして、ずっと素面でいなくちゃいけない割には気分の塞ぎ込む日が減ってきた。ただ働き過ぎていたんだと思う。本当にそれだけで、それ以外特別な変化なんてものもなく日々が流れて、仕事を辞めても、子供を授かっても住む場所が変わっても何にもなれない自分で、何にもなれなくてよかった。


多分このまま生活は続いて、苦悩したり泣いたり、不幸にも遭いながら暮らしていく。目の前に起こるいろんな事柄のうち、自分で舵を取れることなんてこの先も殆どないだろう。与えられた環境と残された選択肢の中から何を選び、どう振る舞うか。それが私たちに残されている最後の自由なんだと「夜と霧」でフランクルが言っていた。この言葉に心底安心したのはきっと、苦しくてたまらない人生の舵を手放す瞬間を長い間待っていたからだ。


それでも、そんな私にも息を呑むほど美しい朝日の記憶があって、もう一度足を下ろしたいと思う丘があって、死んだら辿り着けない海がある。
人の残酷さに絶望しながら、人の寂しさに励まされながら、度々目にする美しさに取り乱したりしながら。今もむせかえるように香るいくつかの記憶を守っている。思い出した数だけ澱のように降り積もる記憶の側で、この放浪の旅をもうしばらく味わっていければいいと思う。