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今となっては些細なこと

夜になると涙がぼろぼろと出る。三月に入ってからずっとだ。自分のどこにこんな水分があったのか不思議な程に。

まるで幼い頃に戻ったようだなと思う。小学校低学年のときはよく泣いて周りを困らせていた。本当にいつも泣いていた。今よりも臆病で、些細なことがとても怖かった。

それも中学に入ってからは減っていったが、その代わり人のいないところで泣くようになった。当時の私は家のことでかなり気を病んでいて、ずっと息苦しかった。
毎晩咽ぶ声で枕を濡らし、二階の自室から飛び降りようと窓枠に足をかけたことも一度や二度ではない(その度に思い留まっているわけだが)。
今の道に進み、いつか一人で生きていこうと決めたのもその頃だった。

高校もその後の進路を視野に入れて選んだ。勉強は三年間真面目にやった。血眼だった。ただ、その頃にはもう人前では一滴の涙も出なくなっていた。ぴくりとも動かない涙腺に、人前でも感情のまま泣くことができる人たちがとても羨ましかった。
当時の私は進路に邁進しながらも、傍らではどうやって消えてなくなるかということばかり考えていた。友人がいて笑えることも沢山あったのだが、その背後で、生きていることはいつまでも恐ろしかった。

専門に入り、相変わらず人前で泣くことはなかったが、色々な人と出会い、これまでよりも多くのことを考えるようになった。それは自分や他者のことであり、自然のことであり、命のことでもあった。ずっと死のうと思っていたが、次第に生きていくことへの諦めのようなものを感じていた。



昔の私を突き動かしていたのは怒りや憎しみだった。いっそ殺してやりたいと思うこともあったが、殺すよりも見返してやろう、後悔させてやろうと、その一心で勉強に耽った。

だが、歳を重ねる毎に、化け物だと思っていた人間たちがどこまでも「人間」であることに気が付く。
それは私にとって大層な絶望だった。この世には、あのような人間がごまんといるのだろうか。だとしたら、私はどうやったって生きてなんかいけない。自分を取り巻く環境から這い出ても、その先にもまた同じような人間がいるのだとしたら、私は一体何のために。目の前が真っ暗になるようだった。


それでも、憎くて仕方がない人間にも友人や仲間がおり、私の知らない顔が山程あった。
長所と短所の、短所の部分を私が一身に受けただけで、あの人間たちの長所に助けられ、心から感謝している人間もこの世のどこかにいるのかもしれなかった。

それは世の中の誰にでも当てはまる。目に見えている部分がその人間のすべてではない。そう思うと、微塵も理解できなかった仕打ちにすら納得してしまい、そのときにはもう、昔ほどの復讐心はなかった。

だが、それでも静かな低温の怒りと憎しみだけは私の腹の奥で沸々と動いた。どれほど咀嚼しても、それ以上許すことなどできなかった。
未消火の火種をずっと抱えながら、そんな人間を許せないこともまた自分の小ささを突きつけられるようで、私の精神を徐々に擦り減らしていった。



そんなとき、こういう言葉に出会った。


あいつのせいにしていると
私はあいつに閉じこめられる
私がだれかを憎むとき
私は私を憎んでいる


これは、谷川俊太郎の詩『愛が消える』にある言葉。私は谷川俊太郎が好きでよく読んでいるのだが、これを読んでようやく、ようやく諦めることにした。

私は、自分を刺した人間と、その人間に愛されなかった自分自身への怒りと憎しみにずっと囚われていた。誰かを憎むことでしか進めなかったあの頃の自分と、その人間がいつまでも許せない自分との間に。双方への憎しみが私の苦しさの根本であり、生きていられる所以でもあった。

でももう怒りも憎しみも手放さなくていいのだ。
許せなくてもいいから、それらに支配されず、自分の首を絞める手を少しだけでも緩めて生きていこう。
許せないこと自体を、もう許してもいいのだと。
そう思うと、驚くほど怒りや憎しみが顔を出さなくなった。何とも思っていないわけではないし、諦めることが果たして良いことなのかは知らない。ただ、拍子抜けするほど息がし易くなった。


誰かを憎んで生きていくことを悲しいことだとは思わないが、そういう感情はそれ相応に自分の心も蝕んでいく。
結局のところ、誰かを憎んでいる人間が一番許せないのは、他でもない自分自身だったりするのかもしれない。私がそうであったように。


心には穴が開き、魂は歪に変形した。それはもう元には戻らないだろうし、いつも世界から切り離され、自分一人だけ蚊帳の外にいるような気持ちでいる。
いつだって戻りたい過去など無く、生きたい未来も見当たらない。現在に取り残され、死ぬこともできずにただ、生きている。

だが、良くも悪くも人間は一人でなど到底生きてはいけない。物理的なことではない。自然や命の中、様々な人と人との結びつきの上に誰しもが生きている。
数年前まで私の人生の舵を握っていたのは怒りや憎しみだったかもしれないが、今はきっと違う。


この先のことを考えることに、私はずっと難儀してきた。私にとっての人生の到達点は長い間、自立して生きていくことができる力を身につける、ということだったからだ。殆どそれだけを自分に念じていた。先のことを考えると足が竦む。
今も長く生きたいとは思わない。
けれど生きている間はどうせ生きていくことになるのだから、ならば少しでも自分にやさしく生きたい。もうできるだけ憎しみや過去には支配されずに。せめて、死のうとしたとき、それを思い留まらせる存在がいる間は。


専門を卒業し、ようやく心の底から安堵している。これからは何かあっても好きな場所でやりたいように生きていくだけの力はある。
この八年、どこまでも過去に囚われて生きてきたようにも思えるけれど、それももう今となっては些細なことなのかもしれない。
毎晩目玉が溶けそうなほど泣いていたあの時の自分の頭を、今なら撫でてやれるような気がする。



朝夕の冷気が少しずつ控えめになり、道を歩くと花が芽吹いている。来週にはもっと咲いているだろう。
春が来ているのだな、と他人事のように思う。
私の好きな冬の気配はもうほとんど消えつつある。


昨日は買い物がてら自転車で河原を漕ぎ、夜は本を読み耽った。
今日は浴室の大きなカーテンを縫い合わせた。水辺の写真を壁に貼って眺めてみたり、日が傾いてからは窓を網戸にしてその下に腰掛け、しばらく目をつむって過ごしたりした。ひんやりした空気が眠気を誘う。

明日は何をしようか、と考える。考えることの、身に余る幸福。余生とはこのような生活の流れを指すのだろうか。日の下にある日々。今になってこんなに穏やかな時間が来るとは思わなかった。これまで生きてきた中で感じたことのない類いの、安心と安寧。


こんな、こんなに安らかな時間があるんだなぁ。
あぁ今、すべてが終わればいいのに。
そう思わない日はない。
涙が毎晩出てくる。
悲しみよりももっと温度の高い感情に沿って。
これまで人前で流れなかった分も、今。


窓下で耳を澄ませる。
雨戸の揺れる音、車の音、自転車の音、人の声。
外を覗くと、遠霞に隣町の灯りが見えた。
日が長くなった。明日にはもっと長くなる。
来月からはまた、多忙で目まぐるしい日々が待っている。
今、紛れもない人生の休暇にいる。
涙はまだ尽きそうもない。


生きている。
ただ、生きている。