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気難しい人

これは、気難しい人間が朝から海へ行って最終的に京都のゲストハウスで寝るまでの、9月最終日の行き当たりばったりな記録。



4:30
変な爆発音みたいなので目が覚める。
あたりを見渡して、空き缶を下げていた袋が粘着型のフックごと落ちたのだと気がついた。ちょっと安心。目覚めたついでにそそくさと着替え始める。今日は海へ行きたい。

6:30
服選びに苦戦した。やや機嫌が傾く。始発に乗れそうだと思っていたけど化粧をしたり掃除したりするうちにこんな時間に。お腹空いた。

髪をゆるく巻いている時、私は無敵。
沢山の指輪をつけて防波堤をつくる。
いつも何かから自分を守らなければならない。その何かはいつも違う。
もしかすると今日は守らなくてもいい日かもしれない。でも、たとえ減るところまで心がすり減りきっても傷つくのは怖い。


6:58
家を出ようと思ったところで明日から天気が悪いことを思い出してしまった。観念して洗濯を回し始める。その間にお腹と相談してホットケーキをつくることにした。冷蔵庫にあるフルーツジュースを飲むと急に機嫌が良くなる(おんなじ色)。フルーツジュースはこういう日のために開発されたんじゃないかとか真剣に考えていたらホットケーキを焦がした。こういう時自分の鼻の効かなさが恨めしくなる(私は人より幾分か鼻が悪い)。
全然関係ないけど高校のとき突然りんごアレルギーになってしまい、以降は加工されたフルーツジュース以外飲めなくて(飲もうと思えば飲めるけど喉の痒さに数時間苦しむので)結構つらい。



8:18
まだ家にいる。洗濯物を干してうっすらと汗。バス停へと早歩きで家を出る。上着いらなかった。

9:07
「見えなくても輝いてて触れようと君の名前を呼ぶ」
世は平日。
少し前の方にイヤホンをつけリズムに乗ってやや横に揺れているおじいさんが。ハイカラやな…と和む。


9:53
海に着く。かなり涼しい。
藤井風の帰ろう、amazarashiの僕が死のうと思ったのはを聴いて、潮風を浴びてカステラを頬張る。苦しさが静かに消えていくのが目に見えるようだ。


これを忘れていたんだなと理解した。私は定期的に海を見ないと休まらないらしい。
それはおそらく、私にとっての休暇とは祖父母のいる瀬戸内海で過ごすものだったからだ。今年は感染症のこともあり、自分の仕事柄や都会に住む身としても帰るのを諦めた。
あぁお前、海が見たかったのか。

10:30
下瞼に涙が乗っかっては引き、乗っかっては引きを繰り返す。ここは私がよく話している白い海。今日のように曇りの日が一番美しい海。いつか友人と見た海。完全に人生最後の日になっている。
海見て好きな歌聴いて死ぬよりいい死に方ってなんかあんのか?とか。
帰り際やや怪しめのおじいさんに話しかけられたり何か手に触られたりしたけど最早そんなことすらどうでもよかった。
何故なら私は今日、海を見たから。
髪を巻くより無敵だな。ズカズカと海辺を闊歩。



13:32
この昼間にあったことは私のTwitterを見ている方はご存知かと思う。衝動で今夜京都に行くことを決めたので、宿のチェックインの時間に間に合わせるべく元々あった予定のために梅田を走り回っている。自分のこういうところは結構怖いが、いいところでもあると思っている。
余談ですが私は梅田が好き。JR大阪駅周辺の建物が綺麗で、都会の割に風通しの良い場所も多い。
そしてこれが今日の梅田での1番の目的。


トナカイさんのコーナーに行ったら、詩集の二刷(しかもサイン入り!)がラスト一冊。こ、これは…
声を出しそうになりつつ口の中だけでモゴモゴ喜びを噛み締める。
今日は運命に祝福されている気がする。
自分のご機嫌とりの手腕が光る。

16:17
家に帰って洗濯物を取り込んでからざっと荷物を詰め込み、軽く着替えて1時間足らずでまた家を出た。
今気付いたのだけれども、私はまた秋の京都に足を運んでいる。去年はトナカイさんの展示へ、2年前は清水寺(今回もこのすぐ近く)、その前は貴船、その前は東福寺。覚えているだけでもこれで5年連続らしい。何故か秋になると京都に吸い寄せられていく自分がいる。恵文社一乗寺店に行った日のこともよく覚えているのに、一年は早い。

17:03
電車に揺られる道中、ぼんやり車窓から雲と緑を眺める。一人暮らしを始めて、朝昼晩どのタイミングで何をしても誰にも諌められないというのは開放であり孤独とも背中合わせ。気難しい代わりに自分を元気付けるための手札はそれなりに多い方だと思う。


17:41
京都に着いた。写真は撮り損ねた。


18:15
急に入れたので店の人が予約に気付いてなかったようだったけど、普通にチェックイン。昔旅館だったらしい日本家屋。このご時世のために宿の一部を安価な下宿にしているらしく、海外の長期留学生が数人いた。「コンニチワ~」って言ってくれてみんなやさしい。宿の人もすごい気さく。イグサのいい匂い…

三畳の楽園。ここで一番狭い部屋。

着いて早々、宿の人が屋上(というか直に屋根の上)に出れることを教えてくれた。「風が通って気持ちいいでしょ?」って不敵な顔で笑うのを見て、胸が詰まった。泣きそうにさえなった。そういう気持ちを大事にしている人のことを私はとても好きでいる。


18:54
今日は疲れたので、適当なカフェで軽食を食べたら後は部屋でゆっくり晩酌しよう、ということにした。夜の祇園をこれまた大股で練り歩く。都会なのですごい人。カフェで軽いバーガーとコーヒーを頼んで、帰りのスーパーでお酒とおつまみをいくらか買って宿へ戻る。飲み屋の光が眩しい。


20:45
宿に戻ったら下宿生が「オカエリ~」と言ってくれた。来たばっかりなのになんてフレンドリーなんだ。どこから来たのかとか、取り留めもないことを少しばかり話してから自室へ上がる。

机上に完全なるラインナップ。


22:04
ここまでくるとヘトヘト。どっと疲れが湧き出る。よくよく考えると今日4時半から起きてるんだった。駆け抜けた一日。

ビール片手に、今日手にしたばかりのトナカイさんの詩集(二刷)のあとがきを読む。途中からは目の前がかすんで文字が見えなくなっていく。
この世には、文学に生かされている人間がいる。
ここ以下、さして特別でない話。


私のことになるが、これまで生きていて、誰にも、本当に誰一人にも打ち明けたことのない事柄がいくらかあって、それはある種の大罪であったり、人から見た私という人間を根本からひっくり返してしまうかもしれないことまで、色を問わない。
人間というのは、これ程までに自分だけの秘匿で雁字搦めになっても何食わぬ顔で生きていけるのだ。私は私のことを心のどこかでずっと罪人だと感じている。ありふれた、どこにでもいそうな陳腐な精神をもてあます罪人。


それでも、こんな人間にも、美しいできごとの記憶はある。
忘れたくない人、海の見える故郷、もう一度見たいと思うあのサービスエリアの夕焼けが、私の頭に確かに存在する。
トナカイさんの詩や文章を読んでいると、自分という人間が何に支えられているのかがわかる。

人間の罪深さや愚かさ、ずるさも包み込んでしまうほど、脆く強烈で痛々しい、美しい記憶。それを思い出させてくれる文章というのは、そう出会えるものではないと知っている。


こんな夜が死ぬまでにあと何回あるだろうか。
こんな、こんな…



なんと言えばいいのかわからない。



23:19
精神が落ち込んだときに死が選択肢として頭をよぎることは普通じゃないらしい。普通が何かっていうのは置いといて、ともかく、普通じゃないらしい。
けれども、一度自死を考えたことのある人間は恐らく、完全に元に戻ることはできないだろう。だから永遠に普通に戻れない私たちのような人間は…

23:37
明日は満月らしい。
満月ということは、海は大潮だ。
満月を見ると決まって思い出すのは、「胸が騒ぐのは、月の引力が水でできている人間の体にも影響するからだ」というような言葉で、この何かの漫画のセリフの引用を、前に教えてくれた人がいた。

あの人も、私と同じく「普通じゃない」人だった。どちらも普通じゃないから、私の目にうつるあなたはこの上なく普通で普遍的な、正常な精神を持つ人間だった。

あらゆる一般論が意味を持たない場所があること、物事を見つめる物差しは常に自分の中に存在していること、理解していなければならない。 

23:53
雨が降り出した。屋根がトタンなので音がよく響くし、下の階から下宿生の笑う声が聞こえる。今からお風呂に入ることにする。支離滅裂で縦横無尽な筆記もこれでお終い。
ここまでお付き合いくださった方々、ありがとうございました。長くて読みにくかったでしょう。ゆっくりと目を休めてくださいね。

それではまた。