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海に行った話

海で昼からのんびりお酒飲まん?
という一言で、いつもの2人と一緒に海へ行くことになった。3人で海に行くのは2年ぶりだ。2年前も3人でこの海へ来た。

遅めの誕生日プレゼントとしてクラフトビールをもらい、途中色んな食べ物を買って海の近くの木陰で乾杯をした。海を見ながらお酒を飲むのはなんとも言えない心地よさで、なんでもない話に花が咲いた。

エイヒレを頬張りながら、不安も期待も、色んなものを感じて海の空気を吸っていたであろう2年前の自分たちのことをちょっと思い出した。

気付けばお酒が飲めるようになっていて、3人とも違う勉強をして、違う社会に足を踏み入れている。
それぞれの道に色んなベクトルの大変さがあって、毎日胸が詰まりそうになる私と同じように恐らく2人にも、口には出さないやり切れなさがあるのだと思う。
3人のうち1人は今年から社会人。そして私ともう1人は今年が最後の学生生活だ。
漠然とした不安をずっと背負っている感覚。
ただ、昨日あの海を見ていた間は、柔らかい潮の匂いとまだ冷たい風、あったかい日差しに石の浜を歩くときの足裏の感触、ジェラートの甘さにビールの苦味、そういうものを感じ取る五感以外は全て機能停止していた。

天国があったらこんな感じかなぁ
こんな感じやな、たぶん
今死にたいなぁ
このまま昇天したい〜
なんていうことを言い合って、3時間くらいずっと海を見ていた。真っ白な海だった。

あんまりだ、と思った。
あんなに綺麗な海を私はこれまでに見たことがなかった。
私らはこういう日のために生きよう
と言ったら、2人とも頷いていた。
目の前がちょっとだけ霞んで見えたのを眩しさのせいにして、また静かに海を見ていた。

人生には縁というものがあって、私が2人と一緒にいるのも紛れもない人生の縁だと思う。けれどそれは私の人生の捉え方であって、2人がどう思っているのかはわからない。私が想うのと同じくらい彼女らが私を想っているなんて自惚れてはいないし、ましてやこちらが想った分、同じものを返してもらおうと思って一緒に居るわけじゃない。
5年間一緒にいたからといって、この先、私たちの人生が交わらない可能性だって大いにあるのだ。
そう思うと、あの頃から随分と遠くまで来たような気がする。

けれども、こうして集まって、沢山の場所に行って、ずっと笑い続けているのはあの頃からなんにも変わってはいない。
先のことはわからないけど、居酒屋でお酒を飲みながら、毎度のように昔のゲームや懐かしいアニメの話で大盛り上がりしてお腹の底から笑っていられる私たちのこの関係が、まだあと少し続いていけばいいなと思う。

徐々に日が傾き始め一層白さが増してゆく。

もう空と海の境目もわからんな
ほんまやな、綺麗やな
あっ船
いいなぁ釣りしたいなぁ
私の田舎おいで。どこでもできるで
あ〜旅行行きたいなぁ

穏やかで愉快で、これが私たちの完璧な一日。
大阪の海は汚いって言われるけど、3人で見た海は途方もなく綺麗だった。
一日中笑い、空っぽになっていたエネルギーがお腹に溜まる。

こういうことを、一生覚えていよう。
この記憶の中で私はこの先を生きていこうと思った。
たとえそこが地獄のようなところでも。
たとえ私たちの縁がどこかで綻んでも。
私の頭の奥であの波の光と笑い声はこだまし、飽和していく。

私はあの春の海を一生忘れない。