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鐘の音


2022年が暮れようとしています。
ただいま午後10時を回ったところ、除夜の鐘にはまだ早いですが鐘にまつわる思い出話など書いてみようと思います。

我輩、盆地の番犬にも幼き頃がありました。幼き頃は人間の女の子でありました。
番犬の父の生家は仏教の寺でした。
なかなかの貧乏寺でしたが立派な鐘楼がありました。
幼い番犬の目には大きく立派に映っていただけかもしれませんが。

さて、お寺では朝晩鐘を撞くのが慣い。
鐘撞き役は副住職の叔父であったりその奥さんであったり、日によってマチマチですが祖母もよく鐘を撞いておりました。
この先は幼き番犬に筆を譲ります。

おばあちゃんが鐘撞き当番の日は、すぐ分かる。
だってすごくゆっくりだから。
鐘を撞く回数は決まってるけど、おばあちゃんが撞いてると一つ鳴らし終わっても次の音がなかなか聞こえてこなくって「あれ、もう終わりなのかな」って思った頃にまたゴーンって聞こえてくるんだ。
おばあちゃんは、本堂のお掃除やお庭の手入れやお料理でいつも忙しく働いてて、全然のんびり屋さんじゃないのに鐘撞きだけはゆっくりなんて不思議だな。
鐘撞きは楽しい。梁にぶら下がった大きな棒を目印目がけて思いっきり叩きつけると、ゴーンって音と、びりびりびりーって振動が跳ね返って来てしびれたみたいになるの。
でも私の力だとあんまり大きな音が出ないから、たまにしか撞かせてもらえないんだ。
今日おばあちゃんと一緒に大相撲中継を見てたら、鐘撞きの時間になって「一緒に撞くかい」って言ってくれたからヤッターって鐘楼に付いて行ったよ。
最初にひとつ鳴らしてみたら、前より大きな音が出て嬉しくなっちゃった。で、もうひとつ鳴らそうとしたら、おばあちゃんが「まだだよ」って言うの。
どうしてって聞いてみたらね、
「まだ鳴ってるよ」
だって。それから
「鐘の真下に立ってごらん」って。
なんだか落っこちて来そうで怖いけど言われた通りに立ってみた。
おばあちゃんが鐘を撞く。
大きな音で耳がびりびりーってして、空気が震えて耳だけじゃなく体中にびりびりが伝わってきた。
おばあちゃんが口に人差し指を当てて声に出さずに「しいっ」って言うから息をひそめておばあちゃんの顔を見てた。

音が止んでも、びりびりは続いてる。
体の中を振動が拡がって、ゆっくり、ゆっくり染みていく。

おばあちゃんは、聞こえない音も聴いている。
体中で聴いているんだ。
だからゆっくりなんだねえ。

なんだかとってもいい気持ち。
おばあちゃん、大好きよ。

番犬は大きくなるにつれ、「ゆっくりは欠点だ。直さねば」という思いを強くし、効率的に有能になるべく努めてみたけれども元来性に合わぬことを得意にはなり切れず、得意になれない自身を「ダメじゃん」と憂いて一時期心を病みました。
「もういいや、オイラはゆっくりやらしてもらうぜ!」と開き直ったらエネルギーに余剰が生まれ前より元気になり、頑張ってない人を見るとイラつく病も治癒しました良かったね。

2022年、ブログを始めてみたものの思った程記事が書けず、相変わらずゆっくりです。ゆっくりにめげず来年も続けてみようと思います。

今年もお世話になった皆々様に感謝の思いを抱きつつ、お台所の掃除を年が明けちゃう前に、これだけはちょっと急ぎます。
ご機嫌よう良いお年を〜。

アデュー。


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