見出し画像

幸せにできない2 元夫について

私は26歳から35歳まで結婚していた時間があります。

大学4年から付き合って、
同世代の中では早くに結婚しました。

いま振り返ると
私は夢見る夢子でした。

「専業主婦になって
子どもを産み育てる」

が、私の夢だったんですねー。
両親共働きで寂しい思いをしたので
わが子にはこんな思いさせたくないと
子どもを産む前提で思いを巡らせていました。

が、しかし。

子どもができない。

検査の結果、
夫にも私にも異常なしで、
タイミング法と
人工授精の不妊治療もしました。

夫はブラック企業勤めで
家にいる時間なんてほとんどなかったし、
タイミング法もイヤイヤながらも付き合ってくれた(いま思うとそんなのイヤに決まってたよね)
けど、どうしても授かりませんでした。


さっきも少し触れたけれど
夫婦一緒に過ごす時間は
それほどありませんでした。

元夫は休みの日は寝てるか
スマホゲームで、
私のことは見向きもしませんでした。


寂しかった。

私が寂しい思いをした幼少期と
なんら変わらない生活だと思いました。

あのオモチャがほしい!と
ダダをこねる子どものように
子どもを欲しがって、
手に入らないと
夫を責めました。

夫も責めたけど
こんなに頑張ってるのに
自分のどこがいけないんだろうと
自己嫌悪と他責のせめぎ合いで、
心の底から苦しかった。

何を言っても
「ごめん」しか言わない夫が寝ている隣で、
何度も声を殺して泣きました。



そして
ものすごく悔しかった。

家庭を狂わせたブラックな会社にも
そんな会社に居続けて
病気になってでも私を養おうとし、
辞めてほしいと泣きながらお願いしても
喧嘩にすらならない優しすぎる夫にも

そんな夫に甲斐甲斐しく尽くして
得意でもない家事をイヤイヤながら頑張って
勤務を続けるサポートをしてしまう自分にも
すべてに悔しくて腹が立ちました。

そんなこんなで、
夫に変わってほしいと願う私と
このまま変わりたくない夫では
この先の未来、一緒にいれないと思いました。

「私の幸せはすべて夫に依存している」
「一緒にいたら押し付ける私と、押し付けられる夫、双方が潰れてダメになる」
と思いました。


『自分が変わるしかない』
『自分で自分を幸せにする』


そう決めて
私から別居を切り出し
夫には反対されたけれど1年後に離婚しました。


結婚生活は
愛憎半ばの関係で
それでも共に生きていくものなんだろうと
今なら思うけれど、

もっと別の方法があったのかもしれない。
とも思ったりもするけれど、

当時の私は
愛憎の愛だけを求めて
憎しみには蓋をして
なきものとするために
離婚したようなものです。

蓋をせざるを得なかった。
だってのれんに腕押し、
何度言っても伝わらない
両耳を塞ぐような相手だったから。

だからあれが最善だったと思います。


それに、独りになって自分を見つめる時間が
幼少期のころからの深い根とか
色々向き合う時間が私には必要でした。


最後に、
元夫は悪くなかったと今なら思えます。
夫は夫なりに私を愛してくれていたと思います。

別れて時間が経って、
自分を知れば知るほど
元夫はASDの自閉傾向があったことも最近わかりました。
私にもその傾向が少しあります。

「子どもができなくても、私さえいてくれたらいい」と言ってくれた夫の言葉も
そのときはまったく信じられずに
愛を受け取れずに別れを選びました。
(耳を塞いでいたのは、私の方でした)

離婚は、「どうせ愛されない」の前提を設定した私に起こった当然の答えなだけでした。


これも夢から醒めた経験でした。

前提って、恐ろしいほど当たるよー。

復縁したいとは思わないけれど
こんなことがあったんだよと言いたくて。

しくじり先生みたいにこれを読んだ人の
何か役に立てたらいいなー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?