天使の声に出会って 信仰を受容するまでの経緯1 

先の記事で信仰受容の要素は4つあると指摘した
もちろん私の中だけの話ですが

…メディア業界にいたので既成概念の裏を知っていた
…天使の声の導きがあった
…西洋人の血が流れていた
…IQ140?と本質の部分に関心を持ちやすかった


私がその上で一番考えるのはどうして信仰という形になる必要があるのかということですが

1と4は要素的に同じでそれは目の前の何かの前にそこに何かあるということを体験や観念的に通常よりつかみやすい環境があることでしかありません

信仰は本質的には関係ないものですしそもそもこれは正直信仰という結実にならない場合も多いと思います

世にいうIQが高い人とか天才とか言われていてもその人が信仰的にすごい何か偉業をなしてはいません

信仰において必要な要素は神様とのつながりでしかないので

だとすると何が向かわせるのかというと
結局には天使の導きになるかと思います

一番重要なのは導きであって、そしてその先が何へのという方向性が重要なのだと思います

人格的な成熟や、深みも意味がないとはいいませんがそれも信仰においては頭がいいのとそれほど変わらないものかと思います

消え入りそうな、そして見えない何かを現実と思えるその思い

聖句を引用するまでもなく私達が信仰を深めるには
それ以外にないと思うのです


天使の声とってどういうものかというと

先に書いたように私の限定は幼稚園児以前における天使の声に聴き従ったことでした

それを聞くと

すごい

もちろん信仰があるなって思うかもしれませんが幼稚園児以前の話です
これは信仰ではありません

ある意味常識です

そんな体験をしたらそれは当たり前の現実になり、そもそも全ての出発点になるのは何の努力もいらないものです

きっと私に会った人はそういう体験がある人に思われないかもしれません
なのでこれは心の中だけの細かい話でしかないので表に現れないものといっていいのかもしれません

逆に私にとって後から信仰を持った人の話を聞くと、どうやってそういう動機を持ったのか知りたくなるものです

実は天使と今表現しておりますがその辺は実は曖昧です

そもそもその当時天使と思ってはいませんでした

私が聞いたのは声であって

いわゆる頭上の真ん中あたりの先に何か空間みたいなものがあってその当たりから頭の中に響いてくるようなものです

もう慣れてしまいましたし不信仰にも私は全てのメッセージ受け取れるほどできていないので辛いときは受け取らないで切るようにしています

だから預言者や牧会者のようになれなかったのかもしれません

それで当時の事を思い出してみるとこんな感じです

いつの日かあなたを迎えにいくから
その時までお前は待っていないとならない

私の生涯でこの言葉が全てを支配していたといってもいいかもしれません

今はある程度霊的に通じる体験を通じて知っていますがそれは天使がメッセージをくれたものだと理解しています


黙示的な言葉に似ている天使のメッセージ

私が小さいときに導かれる根拠となったメッセージにずっと導かれておりましたが私が不幸だったのは私が求めているものが何かということを教えてくれるものがこの国や私の周りにいなかったことです

もし何かそういうものがあったら21歳に出会ったキリスト教に幼稚園の時に出会ったことでしょう

環境とは恐ろしいものです

それで天使のメッセージの

待っていなさい

というのは黙示録的ないつの日かその時はという終末的な概念を想起させます

その聖書的な概念に出会ったのは中学の時に友達を通じて知った、あるSF小説の中で扱われていた終末的な概念でした

終わりの日に天使のラッパとともに主が表れて空中で主に出会う

よくあるあれです

しかし私の中に現れてものはそれを待っていなさいそして迎えにいくからという言葉でした

だからいつの日か何か自分の人生にそういう迎えがくる瞬間があるのだろうとそう思っていました

そういう衝動がそもそもあって、それが何であるのか知りたいのでいろいろと調べるようになってそれでオカルト的なことに興味を持ったりもしました

例えばお迎えが来るのは天からと思われるので、ある時から何か宇宙のかなたから私をみているのを感じることがありました

よく宇宙人が人を監視していたりという話がされたりしますが私は高校の時にあるきっかけで科学者になろうと思っていたのでそんなウソみたいな話は信じてはいませんでした

でも何かの宇宙意識みたいなものにみられているのは感じたのです

それは天使だったと思います

世間でいう宇宙人とは天使のことだと思われます

その方が逆に科学的には納得できます

もちろん仮定として精神世界がありこの現実世界と同じく今そこにあり感じられる人はみえたり感じられるということを仮定するならですが

どちらにせよ天使のメッセージは明らかで彼らは終わりの日のことしか基本いわないはずなのです

大きな役割を持って活動しているのが天使ですからそもそもが創造の目的を成就することのために神様の手伝いをしているわけですから

天使の導く目的を見誤るといろいろな霊的な問題が起こります
それは注意しないといけませんが

天使の目的は一つしかありません

主と神様のもとに人を導くということです

それを外れているもしくは想起させないのは天使ではないのかもしれません

どちらにせよ天使の声が問題なのではなくて神様の目的のもとに人の心や精神が向かうことの素直さが大切で

それが幼子のようにならないといけないのだと思いますが

私はその意味ではたぶん相当恵まれていたことなのかと思います
曲がることは私の出発点全てを曲げないといけないので

信仰をなくすことがありません


※以下天使の事に関しては付記でありますしある程度気持ちを持った状態でないと読んでも意味がありません。それにそもそも大切なことではありますが霊的に通じない限り実感的に意味はないことでもあります。そのためちょっとした封印として有料化しております。
ある種この執筆活動を支えるためのカンパとして考えてください、
テーマを限定して書き加えても随時していきます
また有料部分に関してはツイにDMしていただけましたらお答えいたします



よろしければ下に続く………

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