なぜ君は総理大臣になれないのか

「なぜ君は総理大臣になれないのか」を観てきた。有楽町で観ようとwebでチケット取ろうとしたら売り切れ、久しぶりにキネカ大森まで行ってきた。

最近の私はずっと「わかりやすいもの」への抵抗を試みている。インスタのExploreタブを開くと、いつのまにかYouTubeよろしく「3ヶ月で●●キロ痩せる方法」「社会人n年目の貯金」とかいったわかりやすい言葉が並ぶようになってしまった。私はそういったわかりやすいものを好む流されやすい消費者だと烙印を押されたようで結構ショックで、見かけたら即ブロックするようにしている。(それでも次から次に同じような投稿が出てくるし、それが正しい方法なのかというと違う気もするけれど、これは自己満足の範疇のささやかな抵抗である)

この映画は「わかりやすいもの」に流されやすい我々市民への皮肉だと感じた。選挙に勝てるのは政策の有効性や志の高さではなくアピールが上手い人間だ。我々市民は「わかりやすいもの」に流され、政策や志や実績を十分に検証せずに、ただなんとなく良さそうな人に投票している。政治家を「自分たちの代表」として捉えず、ただ政策を作る職業の人、権力者としか思っていない。(いや、議会で野次ばかり飛ばして大した議論もできない馬鹿と思っている節さえある)

私もまた、そういった流されやすい人間の一人で、ただ自分がエリートリベラル層(中流家庭出身で既得権益はないけれど、地元では勉強ができる部類だったため所得が一定以上となりうる人間)に属しているから同じようなの人を選んでいるだけだ。

本当は与党にだって素晴らしい政治家はいるし、野党にだってダメな政治家はいる。表層だけでなんとなく判断し、本質を見ていないからとりあえず自分にとって安パイの正当に票を投じているだけだ。仕事が忙しくて疲れているから政治にまで気を回せない、それは確かにそうなのだけれど、本当にそれでいいのだろうか。

政治に警鐘を鳴らす投稿をリツイートする。Change.orgでとりあえず署名する。それが正しいかをきちんと調べて考えて判断する前に、ただ流れて来た投稿にささやかなアクションを起こすだけ。政治は本当は自分ごとだって、小学校で習ったはずなのに、私がやっていることは政治っぽいだけで本当の政治ではない。

この映画は無名だが志の高い政治家を描いている。しかし描いているのは政策ではなく彼の政治家としての人間ドラマである。人間ドラマだから理解しやすく、映画館が満席になるほど話題になるのだ。