自分のサクセスストーリーは、何気ない日常が作り上げる。という話。
昔から、映画でサクセスストーリーを見るのが好きだった。
最初は冴えない主人公が、挫折や成長を繰りかえしていき、最終的にハッピーエンドという姿を見ると、自分と重ね合わせて、わたしも頑張ったらそうなれるのではないか…?とちょっとした勇気をもらえるからだ。
ただ、自分の日常は...?というと、ぜんっぜんドラマチックなんて皆無である。昔のわたしはよく、そうやって映画や、世の中の成功者と言われる人の話を聞いて夢の世界に浸っては、自分の日常は何もなさすぎて絶望をくり返したものだ...。笑
しかし、ある時いつもと同じように映画で現実逃避をしている時のあるシーンを見て、ふと気がついた。
なんの映画だったか忘れたけど、ブルース・ウィリスがお医者さんの役で出ていた...と思う。
わたしがハッとしたのは何気なーい本当に大したことがないシーンで、銃も使ったことがない主人公(ブルース・ウィリス)が、家族の復讐(?)を果たすために銃を練習するシーンだった。
※調べたらデス・ウィッシュという映画でした…!
その練習シーンは映画全体で言えばとても1分か2分ぐらいのとても短いシーン。
少ないコマ割りでブルース・ウィリスが銃の練習を毎日練習して数ヶ月は経っているんだろうなーというのだけ伝わってくるような描写が映された。
その後はもうすぐに戦闘がはじまり(?)華麗に銃を使いこなしているブルースウィルスが表現されていた。
つまり、このシーンは医者だったブルースウィリスがいきなり銃が上手いのもおかしいので、
「目的のために、毎日、毎日、裏でもくもくと銃の技術を向上させていた努力があったんだよ」
というのを伝えるために入れられたシーンだと思う。
それを見て、ふと。
そうだよね、こうゆうサクセスストーリー(この映画はサクセスストーリーではないけど。。w)って、振り返った時に”その結果を出すために必要だった凹凸があるストーリー”にしかフォーカスしていないんだよなー、と妙に腑に落ちた。
この苦労した凹凸を上手に描いているから感動するだけ。
つまり、映画のストーリーに入らないような、端折られた日常があるのだ。
当たり前だけど、映画だって伝えたいことを伝えるのに必要なところしかのせないわけなのだから、もくもくと主人公が練習をしているシーンなんてずっと入れたところで視聴者はつまらないし飽きてしまうと思う。
凹凸がある部分だけを表現して作られているから、なんだかキラキラして見えるのだ。
これって当たり前のようで、実は案外盲点なんじゃないかな?って私は思っている。
どこかで人は
その人の環境が恵まれていたからだ
その人だからうまく行ったんだ
その人は才能があったからだ
という目で見てしまって苦しくなる人って多いんじゃないかな?と感じることが多々ある。
現にコンプレックスまみれの私に対しても、「ぱむこがすごいからできるんだよ…」なんて言われてしまうことがたまにあったりするわけで…
わたしからしたら何がすごいんじゃってかんじだけど、この考えはわたしも昔そう思っていたことがあったなぁと思うのだ。
何度やってもうまくいかなくて、続けられなくて自己肯定感がどんどん下がって悪循環というね。だけどそれって自分の理想、「本当はこうなりたい」があるからこそ凹むんだと思うし、できれば前向きに進められたらどんなに楽かって思うわけです。
わたしは実は、このこと(結局みんな何もない日常にやることをやっているだけ)が腑に落ちてからすごく気持ちが楽になった。
あ、ようはやればいいのね?って素直に思えたからだ。
自分の得たい結果がなかなか出ない時。そのもどかしい時ほど、人のキラキラしたところばかりに目がいくと思うんだけど、そんな人にも注目されない日常があるわけで。
そう考えると、
進んでないなぁ。。
うまくいかないなぁ。。
そう思う日の方が誰でも多いのではないだろうか?
とわたしは思えるようになったのだ。
だから、もどかしい時でもいかに「日常」をコツコツと進めるか。
凹みそうになった時にはいつもそれを思い出している。
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