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余白のある生活

最近の私は仕事を、生活を主体的に楽しむことができていないと思う。
毎日楽しいのだけれど、何事に対してもなんとなく受身で、「与えられたことを頑張る」「与えられたことを楽しむ」感覚が当たり前になりつつある。

情熱を持って仕事をしているはずなのに、なんだか急に冷静になってしまったり、大好きなお笑い観ていても「私の”楽しい”って本当にこれなんだっけ?」みたいな気持ちになったりする。

前は自信を持って「自分の生活は充実している」と思えたはずなのに、今は「本当に??」ともう一人の自分がケチをつけてくるもんだから、一日の終わりに「これでよかったのかな〜」なんて答えのない不安を感じながら眠りに着く羽目になる。こんな日々にはなるべく早くさよならしたい。

本当にやばいな、と感じているから、こうして解決策も思いつかないままnoteを書いてみたりして。書いているうちに何かいいひらめきがあるかもしれないと、そう信じながら。

今の状態はなんとなく不安ではあるけれど、違和感に気づけてよかったなという気もする。
このまま”普通”としてインプットされたら、いつか思考停止してしまいそうだから。そうなったらもう、今の状態に疑問すら持たなくなってしまうんじゃないか。それほど恐ろしいことはない。

きっと今の私に足りないのは「自分で人生を動かしている」実感なんだと思う。

私は人生の主役は自分だと思っている。
自分の人生なんだから、自分で選んで進む権利があるし、迷惑さえかけなければ誰にも遠慮する必要なんてない。(そもそも道徳的に正しいことをしていれば、誰が何をしようと人は他人にそれほど興味がないと思う)

それなのに最近の私は受身だから、主役がいないままなぜか脇役を選んでいるような状態なのだ。
誰かによって邪魔されているのなら腹の立てようもあるが、その相手もいないからこれは私の怠慢なのかもしれない。

でも今の状態を望んでいないということは、なにか楽をしたいとかそういう理由ではなくて、単純に考える余白が足りないのだと思う。
頭の余白も、生活の余白も。

余白がないから、今目の前にあることやそれまでの当たり前を続けることに必死になってしまうのだ。
新たな可能性を探そうとする視点やチャレンジする気持ちをどこかに置いてきてしまったのだろうか。張りがなくてなんとも気持ち悪い。
(今もチャレンジはしているけれど、以前に比べて減ったな、という感覚)

じゃあどんな自分なら満足できるのか?主役だと感じられるのか?
解決策がわからないから、まずはどうなりたいかイメージしてみる。

私は、なんの制限もなく未来のことを想像したり、ちょっとした面白いアイディアを試したりする柔らかい頭に戻りたい。
仕事では与えられた仕事に自分なりの価値を付けるのはもちろん、仕事をつくれる人になりたい。(こちらは戻りたいというより、訓練が必要)

この前ハッとしたのが、留学経験のあるチームメンバーに「私も留学してみたいな〜」とこぼしたら「留学すればいいやん」と言われて少し動揺してしまったことだ。「留学しようかな〜」と返しながら、心の中で「留学なんて本当にできるのかな」と否定の感情を持っていたことに気づいた。

以前の私なら、できるかどうかを考える前に「どうやったら実現できるか」を考えていたと思う。
でも、いつの間にか思いつき→手段を考えるというプロセスの間に「できるかどうか(不安)」を考えるクセ?がついてしまったようで、なんだか行動が鈍くなった気がするのだ。

そういえば、以前勧められた本に”女性が男性より行動するのに時間がかかるのは「自分がそれを実行できるか(準備できているか)」を考えるからだ”と書かれていた(うろ覚え)。

走りながら考えるタイプだったのが、いつの間にか思いついて手段を考える間にいらない不安を抱えるクセがついていたのかもしれない。

本を読んだときは、「へぇ、そうなんだ。私は違うけどな〜」と思っていたのに、不思議だ。1ヶ月か2ヶ月前のことなのに。
気づけばフットワークの軽さもなくなっている気がするし(プライベートで何かを企画するなど)。あ〜早く抜け出したい!

働き方や生活が変わって、内省する機会や時間が減ったからかもしれない。
「今自分はこう考えていて、本当はこうしたいけど、それにはこんな問題がある」以前ならそう冷静に分析できていたけれど、きっと考えることが多すぎて頭が回らないから、気持ちが不安に支配されてしまうのだ(これは仕事にかぎらず)。

書いているうちになんだか気持ちの整理ができてきた。やっぱり文章を書くことはすごい、、!

自分の気持ちがどこを向いているかわからないのに、舵を取るなんて不可能だ。だからやっぱり、向き合う時間は大切なんだと思う。

仕事は忙しいけれど、時間が作れないほど追われているわけではない。
やろうと思えば仕事以外の創作もできるだろうし、こうしてゆっくり考えることもできる。
今よりオンオフの切り替えがうまくできるようになれば、”今”だけに集中できるはずだ。(本を読みながらモヤモヤしたりせず←これが一番つらい)

そのためには強制的にスイッチをオフする作業が必要で、散歩したり、飼っている魚を観たり、料理をしたり、、。
主体的に楽しめてそれほど頭を使わない、むしろ休めるくらい簡単なもので気分転換するのが大事なんだと思う。

こんなに考えて書いたのに、当たり前の方法にしか辿りつかなかったけど、きっと誰でもこういう悩みを抱えるからこそ「気分転換におすすめな趣味5選!」みたいな記事が存在するわけで。
私がこんなに悩んでいるのもこんなフツーな答えにたどり着いたのも、当然のことなのだ、きっと。

主体的に動ける、考えられる自分に戻るために、まずは気分転換のプロになろう。

おしまい!

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