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いつか死ぬとしたら自殺がいい

ハイデガーの言う通り、自らの死だけは誰かに肩代わりして貰うことは出来ず、その責任から逃れることは出来ない。
我々は現存在として来るべき死の事実に向き合うことではじめて自由に、自分を取り戻すことが出来る。

内なる良心の呼び声が聞こえなくなってしまったとか、その声に従えなくなっえしまったら、それはもう生きていないのと同じだ。
よくいる誰かのひとり。わたしの世界を構築するわたし以外の雑多な何か。
ただ息を吸い、命を食べて、排泄するだけの永久機関。始まってしまったのだから、終わらせなければならない。

いろいろな都合でダラダラと続編が作られる終わりのないシリーズ物に花束を。

わたしもいつかそうなりたかったのかもしれない。だが、わたしの心はそれを許してくれないようだ。声が聞こえる。毎晩頭蓋骨の中を反響し、今にも割って出てきそうだ。
わたしは今生きているのか?本当にまだ生きていると言えるのか?

いつか聞こえた声が今日も鳴り響く。
いつか殺した夢が身体の中を駆け巡る。
五月蝿い。やめてくれ。わかっているんだ。
頭がどうにかなりそうだ。

もう終わったんだよ。
そういうのは終わり。わかってくれ。
どうして普通に何となく生きさせてくれないんだ。黙って見てろよクソが。お前のせいで何もかもが辛くなる。何もかもが壊れていく。壊してしまう。それを正当化してしまう。本当はそうじゃなかったはずなのに。こんな結末を迎えたいわけじゃなかったはずなのに。
どうして。どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。




今日も声が聞こえる。
正しくあれと叫んでいる。
そんなことは、わかっている。
ごめんな。今迎えに行くから。

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