私はユダ

・私が敬愛するにゃるらさんが駆け込み訴えについてのnoteを書いていた。とても良い記事だったのでメモ。

・有名な話だが、駆け込み訴えは妻美知子が太宰の口述筆記をして書かれた作品である。だからこそ、この作品はユダの心情が痛いほど伝わる臨場感に満ちた作品となっている。一度、駆け込み訴えを朗読する機会があった。読み進めるほど、ユダに情がうつる。イエスが憎く、愛おしく思えてくる。これは一度感情を乗せて朗読しなければ得られない体験だと思う。一度、是非朗読をしてみてほしい。もし恥ずかしければ、一度朗読を聞いてみて欲しい。太宰の息遣いまでもが聞こえてくるだろうから。
私がこの作品を好きになったきっかけの一つである朗読を載せておく。Vtuberのものではあるが、毛嫌いせずに聞いてみて欲しい。いくつかこの作品の朗読を聞いてみたことがあるが、彼の朗読は頭ひとつ抜けていた。
【朗読枠】駈込み訴え/ 太宰治【にじさんじ/ジョー・力一】

・電車に乗っていたら、「いとエモし。」という本の広告を見かけた。ヤバい、だとか、そーいう、だとか。そんな日本語で清少納言の感性を訳すな。それで若者に擦り寄ったつもりなのだろうか。間違っている。舐めている、舐められている。日本文学が、若者が。今どきの日本語で訳す、それを「超訳」だなんて。馬鹿げている。清少納言が紡いだ日本語を現代のことばに訳すなら、もっとふさわしい日本語があるはずだ。今の日本語も昔に劣らず美しい。それをそんな下卑た感性で訳して広告を打って、若者にも分かりやすいようにだなんて。腹が立つ。をかしとエモいを一緒くたにしないでほしい。清少納言のをかしの文学はもっと高尚で、綺麗で、知的なものだ。清少納言が培ってきた知性によって養われた感性で紡がれたものが枕草子で、春はあけぼのだ。超訳?ほざけ、ほら貸せよ。私がやる。日本文学を舐めるなよ。

・でも、もしかしたらそうでもしないと読めない層がいるのかもしれない。綺麗でエモいイラストがないと、口語訳がないと読めないような層が。けれど、そのような層は枕草子のをかしを理解出来るのだろうか。そもそも、理解しようとするのだろうか。甚だ疑問である。

・バイト先で着々とキャラを解放している。我ながら可愛げのある女だ。

・鏡を見て、ブスは化粧をしてもブスだなと落ち込む日々。結局はブスなのである。

・化粧をしてもしなくても変わらないだろ、というのは自らの自己肯定感の低さから来る自認だったが、最近気付いたことがある。化粧をしてもしなくても顔自体は変わらないが、化粧をしなければ化粧をしないなりの顔になるし化粧をしたら化粧をしたなりの顔になる。多分、化粧をした方がいい。

・冬だ。寒い。セーターでもこもこになる日々。

・カビゴンのアイマスクを買った。かわいい。親にもプレゼントしてあげたら、カビゴンを愛するあまりアイマスクを付けずにアイマスクの横で寝ていた。プレゼントした身からすると、正直つけて欲しい。

・メンタルが崩壊している。ぽろぽろ。なみだ。

・みんなには黙っているが、私は普通にメンヘラである。こう、人を傷つけないタイプの。自分だけ傷つけて勝手に凹んでるタイプの。心は弱いけど強く見えるタイプのメンヘラだ。可哀想。

・メンヘラでごめんへら〜!!!うるせえ死ね

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