取り憑かれ力②

オカルトや占いは信じない方だが、月に一度ほど、これはもしかして取り憑かれているのでは?と疑うほど人が変わってしまう時期が必ず来る。その期間中は目に映るすべのものは呪われしメッセージと言わんばかりに何をされても言われても腹が立って仕方がなく、憎しみの権化となった私は胸中で念仏のように呪詛を唱え続けているのだが、そんなことハハは知るよしもない。いや、期間中の彼女を見ると明らかに怯えているのでもしかすると知るよしもあるのかもしれない。もしかしなくとも私の表情が露骨なまでに変わっているのかもしれない。とにかく取り憑かれ中は何もかもが腹立たしく許せないのだ。どんなに一生懸命に世話をしてもらっても、過去の理不尽なできごとが繰り返し繰り返し頭の中に蘇ってきて、彼女の顔を平静に見ることができない。

ところが不思議なことに、いつも決まってそうなのだが、ある瞬間を過ぎるとストンと何かが落ちたかのように、さっきまでそこにあったはずの憎しみや怒りは消えてなくなってしまう。まるで最初からそこになかったかのようにだ。決してなんらかのきっかけがあるわけではない。ただひとりでに、それこそディノスを読んでいる最中や外を眺めている最中、むしろそれ以上になんでもない瞬間に、私の中でとぐろを巻いていた薄汚い感情がどこかへ行ってしまうのだ。まるで憑き物が落ちたかのように、スーッと成仏してしまうので、こちらとしても「あれ……?今、元に戻ってる?」と、気付くのにも時間が掛かる。

取り憑かれている間は、取り憑かれていることに気が付かない。これが怖い。「もしかして今、また取り憑かれてる……?」と、うすうす考えはしても、その時に抱いている感情を正当なものにするためなのか、本来の自分と取り憑かれている自分、両者がどれほど掛け離れた存在なのか、自覚することはできない。ただ、腹わたを引っ掴んで全身を引き裂きたいような、得体の知れない焦燥だけが真っ黒な私の心を支配していくのだ。

なんと恐ろしいことか。正気に戻ったであろう今、取り憑かれている時の自分を振り返ってみて身震いする。憑き物が落ちてさえしまえば、目の前で何が起きようと、それを過去と繋げることもなければ、例えようのない憎しみや怒り、腹立たしさが湧くこともほとんどない。病気が理由のもどかしさや悔しさもないわけではないが、それらは現在進行形の日常的なものであり、過去の出来事とは別の箱に収納されている上、この箱専用の蓋に関してのみ言えば、絶対に開けてはならぬと全身が訴えてくるのだから、自分から開けにいく理由がない。


なにより、日々一生懸命に世話をしてくれるハハを見て、ありがとうと思わないわけがない。感謝しないわけがない。これが愛かと思わないわけがない。過去にどんなことがあろうと、私たちには今がある。

私が病気になった時、その過程で散々な目に遭わされたにせよ、最終的に今、物理的な意味で助けてくれているのは他ならぬ彼女である。どんなに耳障りの良い言葉を掛けてくれたとしても、行動では何も示してくれない、なんてことは世の中いくらでもある。今では細い糸でなんとか繋がっている程度の友情もいくらでもある(もっともそれは私の不出来さから来るものかもしれないが)。スクリーン越しのワンタップで示せる誠意にどれだけの価値があるのか、私にはもう分からなくなってしまった。

今うっすらと感じているのは、「この苦境を乗り越えよう」という空気がいよいよ終わったとき、人々はきっと大いに喜びはしゃぎ、なんの変哲もない日々のありがたみを悟ったかのように語るのであろうが、一方で取り残された私たちの毎日は今までとなんら変わることなく続いていく、ということだ。「外に出られない」という条件だけが重なっただけで、私たちと社会は最初から何もかもが違っている。それらが終わったとき、きっと今まで以上の孤独に襲われるのであろう。そのことが少しばかり怖い。

こうやって少しずつ肥大化した悔しさの塊が私の中で暴れ回っているのかもしれない。




○月に一度、取り憑かれたように人の変わる「PMDD(月経前気分不快症候群)についてはコチラ!

※比喩として「取り憑かれ力」という言葉を使っているだけで、PMDDは迷信的なものではありません。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞