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『手当たり日記 01』 届いたのかも分からないことば 2023年11月7日

所属している番組の、5分のスピンオフVの、1回目の試写が終わった。次の試写まで2週間ほどあったけど、またケツ合わせして最後に焦りたくないので、ちゃっちゃと直したい。頭ではそう思っていても体は違った。

パソコンを開いて、イヤホンをつけて、アップルミュージックのアプリを開いていた。多分とりあえずリラックスしようとしていたのだ。最後に再生したのがジョージハリスンだったのでそのまま再生ボタンを押した。が、通信状況のせいか、なかなか流れてこない。ふと、それならポッドキャストでも聴くか、という気持ちになり(どんどん作業するのに適した状況から離れていく)、アプリを開いてスクロールしていると気になる新番組が目に入る。「前世は兄弟」。気になる。普段、決まった3、4番組を最新話まで聞いて、首を長くして更新されるのを待っている状態なので、「待ち番組」を増やしたいという気持ちがいつもある。気になるものはすぐ聴いてみる。

出演者は、前から気になっている三鷹の本屋UNITÉの大森さん(同い年)と、ライターの小沼理さん、下北TSUTAYAブックストア店員兼のげしまさん、とある。気になる。やらなければいけないシットジョブをこなしながら聴いたら、案の定良い。オープニングのジングルもなく、音声配信にあまりなれていないメンバーもいるので、ぎこちなさもある。良いではないか良いではないか。フォローした。

トイレに入ってインスタを眺めていた時、ひがいけポンドのなみちゃんのインスタストーリーを見た。今日は逆スナックをやっているらしい。伊藤くんのストーリーにも、逆スナックの開店を知らせる投稿があった。そういえば今月は毎週火曜日グリーン大通りで逆スナックを開催することになっていた。仕事をいいかげんに終わらせて、「前世は兄弟」を聴きながら池袋へ向かう。

逆スナックに行く前に池袋ジュンク堂へ。木曜日に会社の先輩と行く予定の「はじめての人類学」トークイベントに備え、該当の本を買おうと思って、探していると、たまたま、気になっていた「誰でもよいあなたへ 投壜通信」を見つけ、一瞬迷ったが購入。
「超相対性理論」のポッドキャストで、渡邉康太郎さんがちらっと言っていた「投壜通信」が気になっていた。難破の危機が迫る航海者が、愛する家族や知人には届かないかもしれないけれども、自分がこれまで生きて、そしてまさに死のうとしている今をなんとか残し、どこかの岸辺で拾ってくれるかもしれない「誰か」に宛てて書く手紙。それを「投壜通信」というらしい。とうだんつうしん。とうびんつうしん。

届いたのかも分からないことばについて、アラスカに留学してまもない頃に考えていたことを思い出した。フェアバンクスに着いて数ヶ月は、友人と文通をしていた。文通を、していた。ハガキを買って、手で文字を書いていた。そういうのが好きな友達や当時付き合っていた人と、何度かやり取りした。何度かやってやめた。日照時間が短くなって気分が落ち込む日が続いて、手で文字を書く気力をなくしたのだと思う。
祖父母が打つLINEみたいに、親しい友人に宛てる手書きの手紙では、ことばはですます調になる。さらにどこか気取った内容になる。気がする。慣れないメディアでひとはぎこちなくなる。「前世は兄弟」の#1みたいだ。そういうことばでは、気分の落ち込みを表現できなかったのかもしれない。
手紙が返ってこなくなったことを、友人たちはどう思っていたんだろう。今聞いたところで、当時どう思っていたかは正確に聞けないだろう。留学した僕は孤独を感じていたが、日本にいた友人たちは日々充実していて孤独なんて全く感じていなかったんだろう、みたいな疎外感を勝手に抱く。きっとそんなことはない。フェアバンクスにいた僕だって、なんらか充実感に浸れることをしていたはずだ。

遅く夕飯を食べたのと、逆スナックでおでんを食べたのがあり、しばらく満腹感があった。家に帰ったのは10時くらいで、ソファで静かに本を読んだ。(うるさく本を読む、ということはあるのだろうか。アキラとかを読む時はうるさいのだろうか。)いや、思い返すとうるさく本を読んでいた。突如、痰が絡んで咳が止まらなくなったからだ。断続的に不快な咳が続いていた。あたかもなんでもないかのように本を読み進めた。そうした方が早く咳が落ち着く気がした。11時半くらいに風呂が沸くのを待っていると、お腹が空いてきた。咳が止まらないのに、なぜかカップラーメンのトムヤム味を食べて、さらに咳き込んだ。

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