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千葉篤胤の転生記_01~治承・寿永の乱

千葉篤胤は想う。自分の名前がなんで篤胤とやたら画数の多い漢字なのかと。そして初めて見る人は篤も胤もまず読めない。これは「アツタネ」と読む。

千葉篤胤は考える。なぜこんな名前なのかと。単純には親から授かったからなのだが、親からというよりどうも先祖代々「胤」がついているらしい。どれくらい前からなのかと平安時代かららしい。長すぎて全くピンとこない。

千葉篤胤は千葉で生まれ千葉で育って今は高校生をしている。生粋の千葉っ子だ。ご先祖は「千葉氏」という武士らしい。平成末期から鎌倉初期に活躍した一族だ。戦国とかでなく地味でマイナーな時代。

この頃の有名人は源義経と弁慶が飛びぬけて、源頼朝・平清盛・後白河法皇あたりは何となく知っているくらい。ちょっと歴史好きだと木曽義仲とか那須与一とか。でもその他の人物が浮かぶ人は少ない。戦国時代とかだと何十と名前がでる人もいるだろうからやっぱり地味な時代だねと思う。

ちなみに千葉県や千葉市の「千葉」は千葉氏から来てるらしい。千葉氏の事は源平合戦あたりの歴史の授業で千葉の学校では少し触れる。いままで学校では「え!もしかして千葉氏の末裔?」と聞いてきた先生は1人いた。末裔ってほど仰々しく無いけど代々千葉氏ゆかりの「胤」の文字が名づけられているからなんか関係はあるんだろう。

父親からもよく「千葉は常重・常胤親子がいまの千葉に移り住み、常胤と息子6人は源頼朝と共に挙兵して鎌倉の世を創り なんちゃらなんちゃら」と聞かされ育った。

源頼朝て鎌倉幕府と開いた歴史上の有名人だけど、自分が年を重ねるたびにご先祖であろう千葉氏の知名度を考えると共に挙兵は盛ってるよねと薄々感じ、でもしがない一地方武士が大躍進を遂げたのは正に頼朝様々であろうと思っていた。

篤胤はご先祖さまかもしれない人ってどんな人だろうとネットで調べた事がある。調べてみると常胤は頼朝の重鎮だったようだ。その後、千葉氏は戦国末期まで続いたらしい。でも地味なのかマイナーだよなと思った。息子6人もそれぞれ源平合戦とかで活躍してたようだ。

常胤の息子たちは上から
胤正(タネマサ)
師常(モロツネ)
胤盛(タネモリ)
胤信(タネノブ)
胤通(タネミチ)
胤頼(タネヨリ)
という。本当に『胤』が多いな。一人だけ無いけど。

きっとこれから千葉に住む限りは何年かに一度、千葉氏と関係あるのかと聞かれるくらい、後は何の変哲もない人生を過ごすだろうとは時々よぎる。

そんな篤胤であるが、ひょんなことから過去の世界に転生することになった。それも平安末期である。元号で言えば治承3年。西暦で言えば1179年。源頼朝とご先祖(であろう)達が挙兵する1年前だ。

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