『幽霊はここにいる』20230112夜

※自身で観劇へ行ったことを覚えておくための偏った感想です。
閲覧はあくまで自己責任でお願い致します。敬称略。

 今回は神山智洋半分、安部公房半分くらいを目当てに森ノ宮ピロティホールへ向かったのだが、入場早々、正直来るところを間違えた感が凄まじかった。安部公房を目当てにした体半分が悲鳴を上げていた。ホール全体の趣も凄まじかった。動揺に動揺を重ねた結果、パンフレットを買うために並んだ列(坂道)で余所見をした挙句、前のお姉様に思いっきり突っ込んだ。再三だが、本当に動揺していたのだと思う。謝罪から始めるのも良くないとは思うが、本当に申し訳ございませんでした私の前に並んでいた神山担のお姉様。謹んでお詫びを申し上げます。

 座席は中央より少し後ろ下手寄りくらい、通路の隣で、最近WESTにハマった母と一緒だった。古来より嵐のジャニオタである母は準備良く双眼鏡を持参しており、また近場に座る人も四割五割は双眼鏡を持っていて、演劇全体を見ているより神山さんを見に来ているのだなという空気をひしひしと感じていた。客席に座る人の服もほぼ緑か可愛い量産型で、皆揃いのぬいぐるみを持っていた。私はそれと同じくらいのサイズをしたプリンのぬいぐるみを鞄につけていたのだが、完全にやらかしたなと思っていた。この時点でまだ、母共々ジャニーズWESTにハマり始めて一か月経っていない。グッズの把握や、動向の把握も何も出来ていない。変に自分の状況が俯瞰出来ている分、自分の格好が完全に場違いであることを十分に自覚していた。自覚していたが、諦めて舞台上を眺めることにした。

 森ノ宮ピロティホールは1979年に開かれたホールらしく、先ほども言ったが一歩足を踏み入れた瞬間から本当に趣が凄い。流石に機材は当時のままであることは無いと思うが、それでも上に吊られた顔当て用の灯体は一キロのまま(ムービングのように電子制御が出来ない灯体。オンオフ、光量の調整のみが可能)だ。舞台上の照明は客席の位置的に確認できなかったのだが、舞台上の横から当たっていた光も同じようなものだった。開演前からずっと舞台上を覆っていた淡い幕も、数本の少ないバーで円形に吊られていた。
ただ、幕がカーテンのように柔くスライドした瞬間、何故、大阪公演が森ノ宮ピロティホールであったのかを理解した。
 天井から、砂が降ってきていた。それは神山智洋演じる深川の傘にあたり、さらさらと地面へ零れ落ちていた。
 砂など、本来舞台上へ入れてはいけない物の代表格である。純粋に機材が危ない。高校時代に演劇を行っていた時も、砂に関しては特に気を付けるよう口酸っぱく言われていた。それが真上から降ってきている。地面も、幕で隠されていた円形部分をびっちり砂が覆っていて、舞台装置が簡素な作りだった訳を一瞬にして悟った。何の計画性も無いが、私もここで演劇がしたい! と思った。
 
 ただ唯一、この砂に関して公演中ずっと気になっていたことがある。それは役者の全員が、特に意味も無く手をはらう、ということだ。どうしても砂が手につくらしいが、果たしてそんなに適当にはらってもいいものなのだろうか。既に脚本上意味深な構造が多く出来上がっているばっかりに、全ての動作が深読みのきっかけなのではないかと、どうしても穿って見てしまう。戦争の影がずっと残る演劇で、最終的に戦争の影を作る砂を適当に扱うことがどういう意味を持つのか。観客は、演劇を見る以前に脚本を見ない。ましてや今回の観客は演劇慣れしていない人が大半であって、そのことに関しては神山さんが主演である時点である程度把握出来ていたはずだ。たった一動作だが、されど一動作である。何となく勿体ないような気がしてしまった。
またもし、わざと全員が手をはらっているのだとしても、舞台上で行うにしては些か小さい。登場人物のその場の感情をのせるにしては、余りにも砂の存在は大きすぎたように思う。
 砂を袖に持ち込まない必要があって、手に砂を付けたまま歩けないのは重々承知だが、それでもどうにかならなかったのかと、ずっと思っていた。
 
 また深川の視線の先に、どうしても幽霊が見えないのが気になっていた。常々、彼が幽霊の目を見て話していない気がした。幽霊を紹介する時にも、胸というより顔を差して人に紹介している時もあったようにも思う。彼より身長が高いのか、低いのか、同じくらいなのか。幽霊を信じる強さと圧が、ずっと惜しい気がしていた。
 個人的にだが、深川はしっかりと、例え幽霊であってもしっかり目を見て話す人間であるような気がする。下から掬い上げるように聞くというよりは、真っ直ぐに、対等な視線で言葉を聞くように思う。口では「そうだよな」と労わりながらも、身体は掬い上げる姿勢が取れないからこそ唐突に幽霊から馬鹿にしているのかと怒られるのであるし、深川もそれに関しては自覚があるからこそ幽霊から怒られるのだと思う。確かにマイムとしてそこに幽霊の姿形が見えないというのは、いっそ深川自身も幽霊のビジョンが不安定であるという示唆のようにも取れる気がしたが、本人が一番幽霊を信じたいのであれば、より強くその姿を想像するような気もした。
 また作品全体の構成を通しても、彼は幽霊を本気で信じていなければいけない人間だった。
 神山智洋自身、演技も踊りも上手で、声も良く通る。活舌も良くて、言わずもがな間の掴み方が凄く上手い。あの圧がやけにつよい大庭三吉としっかり張り合っている。張り合い過ぎて他が置いて行かれるくらいにはふたりでガンガン走っていた。客弄りも面白く出来るのに。ただその一点が、今回作品の根幹に触れているからこそ本当に勿体ないと思ってしまった。如何せんジャニーズなので難しいかもしれないが、座長ではないポジションで演劇をすれば、彼は今よりもっと伸びる気がする。演劇全体を俯瞰して、演技を吸収できる場がこの先の彼にあればいいなと思った。
 
 他にも正直、演劇だけを見るなら勿体ないところがいっぱいあって、もはやこんなことを言っては大暴言だが、安部公房の脚本自体も詰めが甘いところがあって、十分に成立はしていたが、時間がもっとありさえすればと思わずにはいられない作品だった。幕間、隣で見ていた母が「ちょっと眠い」と零したのが悔しくてたまらない。
 もし機会があるのならば、次も同じメンバーで、よりブラッシュアップした形で再演されればいいなと思う。また見に行きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?