ありがとうの重み
怒涛の帰国劇からはや1週間。
GWなんて知ったことかと、毎日やらなければいけないことに追われる日々…
片付く気配が全くない家の中で今日の記事を書いています。(もちろん落ち着いて執筆できるデスクもないので床です😅)
さてさて、約2年半ぶりに日本に帰ってきた僕ですが、「日本のいいところ/不便だな〜と思うところ」をたくさん感じています。
とりあえず、接客が最高。
親切だし、穏やかだし、細かなところまで気遣いが行き届いている。
シャワーの水圧が強過ぎて吹き飛びそうになるし、ペットボトルのキャップは開けやすすぎるし、卵かけご飯は美味しすぎるし、何より言語の障壁がないってすごく楽。(その楽さになぜか不安を感じる時もありますが)
ただ、やっぱり道は狭いし、空も狭いし、クレカが使えないお店がまだまだあるし、お家の天井が低くてなんだか圧迫感を感じるし、ゴミの分別と出す曜日が決まっているのはなんだかめんどくさい。
こんな感じで毎日いろんなことを感じるわけですが、僕が今一番違いを感じているのは「ありがとう」についてです。
なんだか日本のありがとうって重たいんですよね。
ありがとうの重み
日本語の「ありがとう」ってなんだか重たいんです。
英語の「ありがとう」は皆さんよくご存知の「Thank you.」。
これ、みんな何かとあればよく使う言葉なのですごく気軽に言えるんですよね。
例えば、レジでお会計を済ませて立ち去る時に「Thank you!!」とか、みんなの前で何か話をした後の結びの言葉として「Thank you」とか。
日本語であれば「さようなら〜」とか、「わかりました」とか、「以上です」とか…
他の言葉に置き換えられてしまうようなところも大半が「Thank you」で済んでしまう。(もちろん、フォーマルな言葉としてはもっと違うものがたくさんありますが。)
それだけいろんな場面でどうとでも使える言葉だからこそ、いい意味で重みがないんです。
気軽に届けられるし、気軽に受け取れるし。
(あえて重みを出したい場合は「Appreciate it.(感謝します)」って言ったりします。)
ところがどっこい。
日本語の「ありがとう」は感謝の意を伝える時にしか使えない。
しかも、使う時は大半の場合「ありがとうございます」というしっかりとした形でのお届けになってしまうので、届ける側としてはすんごく重みを感じます。
アメリカにいた時のように気軽に届けたいし、気軽に受け取りたい。
そう思いながらも、その言葉の感覚の違いに違和感を持ってしまい、「モヤッ」とする日々が続いています。
マイナスなことはない
とはいえど、感謝の意を伝えられて負の感情を抱く人っていないと思います。
よっぽど皮肉の意を込めたりしない限りは、「ありがとうございます」と言われて「こいつウゼェなあ」とか「なんか鼻につくな」って思う人って「いないですよね。(いないですよね…?)
なので、何も気にせずにどんどんお届けしていこうと思って。
コンビニでお会計する時も「ありがとうございます!」
何かアドバイスをもらった時も「ありがとうございます!」
お仕事のやり取りの締めも「ありがとうございます!」
こうやって並べると当たり前のことのように感じますが、言葉の最後まで相手の目を見て柔らかな笑顔で元気よく気さくに「ありがとう」ってなかなかいえないものです。
ちょっとくらい「あいつのありがとうは軽いんだよなぁ」って思われても気にしないです。
ありがとうは必ず周りに伝染するし、一人がその空気を作ればみんなが口にするようになるし。
その重みに関係なく、ありがとうが飛び交う環境にマイナスな雰囲気は生まれにくいはずだと僕は信じています。
さてさて、今日もいろんなところにお届けしようかな。
井藤 亘(いとう わたる)
名古屋アクロバットスクール
20年以上続けてきた「男子新体操」というスポーツをより多くの人に知ってもらうため、日々活動をしています!! 頂いたサポートは、今後の活動費、またはその勉強のために使わせていただきます!🙇♂️✨ また、サポートとともに記事のリクエストも募集しております。